- 生きることは創造的である。
- 自分が工夫していることを発信すると思うと気楽に行けるのだが、
- そうすると自分が何に工夫しているのかわからなかったりする。
- でも本来、人が生きていくというのは創造的なのだ。
- つまり無事に生きていくことは工夫の連続なのである。
- 各々が自分が生きやすいように
- 環境や自分を変化させながら生きていくのである。
- つまり自分が普段していることは大体創造的なのである。
- 例えば今こうして文章を書いているが、
- ここにも創造性を見出すことはできるだろう。
- 文章を書くことそのものが創造的であること以上に、
- つまり、何か自分の内側にあるものが形となって
- 現れてくるという一番手前の意味の創造である以上に、
- いかにしてこの文章を書くに至ったのか
- ということも工夫であろう。
- そもそもこんな文章は別に書く必要がないのだから。
- 別にこの文章が書かれなくても世界はどうにも変わらないのである。
- でも今こうして書いているのである。
- それはこれを書くことが僕を生きやすくしているからであろう。
- 快適に過ごすためにこうして文章を書いているのだ。
- であれば、まず快適に過ごす工夫として「定期的に文章を書く」
- ということも言えるだろう。
- また、じゃあ定期的に文章を書く、
- ということまで受け入れたとして
- どうすれば定期的に文章を書けるのか、
- ということにも創造性が垣間見えるだろう。
- たとえば、今僕は完全に思い付きでこの文章を書いているのだ。
- 今たまたま、生きることは創造的である、という文章を目にしたので、
- それに関して思うことを書いてみているだけなのだ。
- 何を書こうと頭で想像してから書き始めたのではなく、
- ここまで書いてきて初めて
- 今僕はこれが描きたかったのかと気づいているのだ。
- でもこれを書いているときの僕は
- 非常に心地がいいのである。
- つまりこの一連の行為自体が
- 生きる中で自然と発揮される創造性なのである。
- また、このように思い付きで文章を書き始めるということ自体が
- 定期的に文章を書くための工夫でもあるのだ。
- つまりここにもまた、創造性を発見できるのである。
- 結局のところ、人が生きることは創造的である
- というテーゼを信じる限り、
- 僕たちは自分が何に工夫しているのかに
- 比較的簡単に気づけるのである。
- そしてその工夫は、
- また別の誰かがより快適に過ごすヒントとなるのである。
- その誰かにとってはあなたの創造性を取り込むという創造性によって
- 今日よりもまた明日心地よく生きていけるというわけである。
- こうしてまた一つエネルギーの循環が生まれたのである。
- こうして考えてみれば、何か発信することは難しくないのだ。
- ただ、これでは少しまとまりがないかもしれない。
- 生きる中で数々の工夫をしているわけだが、
- そのすべてをに注意を向けるのは大変であろう。
- また、それらにはまとまりがないため
- 受け取る側も混乱するかもしれない。
- そこで少し意図的に制限をかけてみるのである。
- いや、そのまま進めてももちろん構わない。
- むしろ、とにかく何でも気づいたことを発信してみる時間も大切である。
- 今から話すことはその少し先と思ってもいいかもしれない。
- これは度々話しているが、
- 僕たちのエネルギーの源泉に注意を向けるということである。
- その周辺では情熱があふれるわけだから
- 普段の日常的な動き以上に、創造性に溢れているのである。
- というのは、あえて極端に具体的な話をしてみれば、
- 好きなことややりたいこと、手に入れたいものなどには、
- かなり頭を使ってあれこれ考えて
- 何とか実現しようとしているものなのだ。
- 僕たちはそれには気づいていないが、
- それは人から見れば立派な努力と言われるものなのだ。
- 努力とか頑張ってると言われる類のことをしているのだ。
- ちょっとそこに目を向けて、
- 何をどうするためにどんなことをしているのか
- 普段どんなことを考えているのか
- どんな試行錯誤をしているのか
- どんな言葉を検索してみてるのか、
- それらを少し気にしてみるだけでいいのである。
- 例えば冒頭でこの文章を書いていることは創造的である、
- そもそも定期的に文章を書くことは僕を心地よくさせる
- という話をしたが、これにはもう少し続きがあるのだ。
- なぜ文章を書くことが心地いいのかと言えば、
- 書くことで思考が整理される、ということはたしかにある。
- また、文章を書くことには心理的なプラスの効果がある
- という話もよく聞かれる。
- もちろんそういうこともあるのだが、
- 僕にとってはこうやって文章を書くことで
- 僕が行きたい方向に前進している感覚なのだ。
- 僕は情報発信メディアをエネルギーの循環を
- 勝手に生み出してくれる機械だと思っている。
- ここに僕が考えたことや体験したことを
- 文章という形で置いておくだけで、
- それがコンテンツとしてこの場に訪れた人に伝わっていくのである。
- そしてエネルギーを送り出すほど、
- またそれが大きくなって返ってくるわけである。
- そして僕はその出会いや、気づきや、コメントや、お金や学びをもって、
- またさらに進んでいけるのである。
- つまり僕にとって文章を書くこと、それが誰かに届くことは
- この人生を進めていく燃料なのである。
- つまり僕の人生にとって、文章を書くことは、
- 僕がご飯を食べるのと同じなのである。
- 僕は今飯を食っているのである。
- 飯を食っておかないと昼からの人生が持たないのだ。
- そんなわけでこうして文章を書いているのだが、
- これがつまり文章を書くことで
- 僕が心地よくなることのからくりなのである。
- 僕は行きたいところに行くために、
- それはつまりこの人生をもっと遊ぶために
- 文章を書いているのである。
- 僕にとって活きるというのは、
- この人生を目いっぱい遊ぶことである。
- そして目いっぱい遊ぶ原動力として
- 文章を書くという行為を選んだ。
- 文章を書くのは人生を遊ぶための工夫なのである。創造性なのである。
- 僕が生きることそれ自体が創造的なのだ。
- それはあなたに置き換えても同じであろう。
- であるからして、結局、人が生きることは創造的なのだ。
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