こんにちは高本です。
「ときどき、自分は何を作り出しているか、と考えてみよう」
これは森博嗣という人の本の見出しにあったんですけど、この前本整理してたら昔買った本がいっぱい出てきて、なんかおもろいのあるかなーって色々見てたらたまたま見つけて、そういえば大昔このフレーズめっちゃ刺さったなーというのを思い出しました。
どうでしょうか。今日何か作り出してるでしょうか。その時はブログやってたか忘れたんですけど、これ見てまじで何かやろうって思った記憶があります。
この続きの内容としては、子供のころは絵描いたりアクセサリー作ったり、髪型コロコロ変えてみたり、毎日何しかしらその時々の気分で自分で何か作ったり生み出したりしてた。
でもそれが大人になっていく中でそういうことをしなくなっていって、毎日のルーティンの中に生きるようになる。みたいな感じで書いてた気がする。
確かにそうやと思う。でもこれの面白いところは別に何か小説書けとか、すごいアートをやるとか、ミリオン曲を作るとか、そんな話じゃなくて。
髪型を変えてみるって言うことだけでも立派な自分が作り出したものって言う見方がいいですよね。とにかく自分発信で内側にあるものを外に出してくる、そういう行為。それをどれだけやれてるか、そんな話ですよね。
だから全然すごいことをしようとか思う必要はないと思うんですよね。単純に今の気持ちのままにというか今やりたいことをやってみるだけでいいと思ってて。
で、もっと言えばそういうことって勝手にやってると思うんですよね。僕は昔からメモをよくしてて、中学高校の時は常にケツのポケットにメモ帳とボールペン忍ばせて、ちょっと何かやることとか、やってみたいこととか、気になったテーマとかもう少し考えたいこととか、忘れたくなくてメモしてたんですけど。
で、それって別に自分では何もすごくもないしただの日常なんですけど、ここまで見てきたような視点で考えればこれでも何か作り出してる、いや何か作り出してはないか。
でも今で言うと、そうやって気になるフレーズからスタートしてそれをノートに書いてそこから考えを広げていく、みたいなことをたまにやってたりするんですけど、
でもそれは別に誰に見せるわけでもなくて、何だったら自分でも見返すこともなくて、でも三年後とかに見返すと、あの時はこんなこと考えてのかって気持ちになれるのがおもろかったりするわけですね。
だから完全に自分であとから見たいから書いてるんですけど。あと最近はあんまりやってないんですけど、これからもっとおもろく生きていきたいなと思い始めたぐらいのときに一行日記みたいなのをやってて、なんかいつもと違う、ルーティーンから外れた日を過ごした時にそれをメモしてたんですよね。
そのときは毎日大学朝から行って夜まで残って一生勉強してたので、しかも休みの日はユーチューブ見て阪神の試合見て寝るだけみたいな。
だから友達と遊びたいとも全く思ってなかったりしてたんですけど、だからそういう生活から脱出してみようと思ったときに、その繰り返しから外れた日の出来事を一行だけ書くようにしてたんですよね。
例えば、ギターであいみょんの「君はロックを聴かない」練習し始めた、とか。友達と夜中ドライブした、とか。山登りした、とか。で、そういうのを別に毎日じゃなくていいからずっと書いてると、半年後とかに見返した時に、色々やってきたなあって思えるんですよね。まあ全然大したことはしてないんですけど、自分がそう思えるためにやってるわけなので、まあいいですよねw
で、そう思うと、自分ではこういうのは何かを作り出してるとみなしてなかっただけで、実はやってたんじゃねって思ったり。
作り出す生み出すアウトプットって言うと、どうしても何かすごいものとか人に評価されるものとかそういうイメージが先行してしまいますけど、でも別に誰に見せなくても、というか誰にも見せないと思うからできることもあるわけで。
で、もしそれを人に見せてもいいと思うんであれば多少編集して公開してみてもおもろいとは思いますけど。
僕で言えば、本読んでたり何か動画見たりして、例えば「やっぱ柔軟性って大事やんな」とか思ったらノートに書いてみるんですよね。で、なんで大事なんやろうなーとかをだらだら書いていく、それはもう文章とかはぐちゃぐちゃであっちこっち話が飛んでたりもするけど、でも思ったまんまバーっと書いてみたりするわけです。
で、しばらく書いて落ち着いたら、それでノートを閉じて終わり。もう書いたことも忘れるんですけど、そういうのを2,3か月後に見返してみたら、え、なんかおもろいこと書いてんなって思って、じゃあをもうちょい整理してブログに書いてみようとかなるんですよね。
だから公開するしないは結果であって、なんか書きたい描きたい作りたい残しておきたいみたいな衝動を無視しないというか、その勢いとかエネルギーってめっちゃスムーズで滞りがないから、改めてそれを見返した時にめっちゃ気持ちいい文章やったりするんですよね。
これはだいぶ話ずれるけど、僕は見出しから文章書くのが苦手で、構成考えて見だし作ったら、めっちゃいい文章が出来上がる気がするんですけど、でもそれ以上は出てこなくて、それは多分綺麗な文章を書こうとしてしまうからで、
でもとりあえずテーマだけ決めて、なんとなくこういうこと書こうってだけ決めて、あとは思いのままにブワーって書きなぐっていくと、割と面白い展開になったりするんですよね。
で、あとからそれを順番入れ替えて、おもろそうな見出しつけて、多少書き加えたいことは足してみたり。そんな感じでやるのもそれはそれでよかったり。
だいぶ違う話になってしまったけど、とにかく何か作り出すっていうのはやったほうがその一日面白くなるかなとは思いますよね。
勉強とかした後の、今日はいいことをしたって言う充実感みたいな、ああいう感じを味わえますよね。
あといつもしてる話で言えば、結局何か作り出すって言うことは外に何かが出てるっていうことだから、それと環境の相互作用があって、そのフィードバックがあるってことですよね。
文章だったら、書き終わって見てみたら新しく何かアイデアが浮かんだり、それまでの考え方が揺さぶられてその一秒後からの動きがそれに影響されてちょっと変わったり、進路が一度ずれたら一か月後は全然違うイベントが巻き起こってるかもしれないし。
髪型変えたら、気分も変わって、その自分でどこか出かけたくなるかもしれないし、会いたい人が出てくるかもしれないし。
そういう小さい循環を常に起こしていくのがいいかなって思いますよね。
で、それをちょっとずつ大きくしていって、自分を起点にめっちゃすごい循環が起きていけば、それはもう人生おもろいって言うことなので。
そんな話でした。
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