二週間あれば興味はかなり変わる。
書いた文章を一つの場所で管理していると、というかworkflowyというツールに書いていると前に書いたものも見やすいので、流れでぱらっと覗いてみることがある。
そうすると、本当に大きなくくりで言えば同じなのだが、もう一つ二つ降りてみてみたときに結構興味の対象が変わっている。二週間もあればかなり違っている。4日ぐらいは同じような話をしてるけど、そこを超えるとゆっくりシフトしていく。
この前普段毎日何か調べてメモとして書いていたものを原稿という意識で書いてそれで本を作ってみようと思って、二十日間4000文字ずつ書いていくと、ちょっとずつ興味が移り変わっていて、最後の方になれば大テーマそのものが一旦終わりという気分になる。
初めは文章を書くということについて気になっていて、昔の文豪とか文学の世界で有名な作家の書き方や仕事の方法などを見ていた。
すると、断片的に書いていく人または断片や断章から生まれた本がいろいろあって、そうすると次はじゃあ作品とはいったい何なのか、ということが気になっていった。そしてそのあたりのこと考えながら出てきたことをひたすら毎日書いていたのだが、しばらくするとエネルギーの湿地、という概念が浮かんできて、次は生活と創作の滑らかなつながりについて考えたくなった。
そこからは何か本を読んで刺激を得るというよりは、毎日まだ書き足りないという感覚で、次の日にその時書きたい感じを引き続き掃き出していくように書いた。そしてちょうど20日ぐらいたつ頃に急にそろそろ終わりたいという気持ちになり、ある日いつものように書いていた流れで今日で終わろうと思ってそのままひとまず終了させることにした。
するともうその次の日からはそのあたりのテーマについての興味も落ち着き何か調べたいという気分でもなくなりそれについて書きたい気持ちも出てこなくなった。
そしてその20日の原稿をザーッと眺めてみると、4日スパンぐらいでゆっくり移り変わりつつも20日間全体では書く、または創るということに関して考えたことが並んでいた。今はそれが終わって次のテーマが出てくるのを待っている。一つ書き終わると空白の期間のようなものが生まれて、その間は毎日ランダムな内容で適当に書き散らかしていく、そうするとその適当に書いた中からこれは、と思うテーマがまた出てくる。
最近はアンガージュマンというのが気になっている。モンテーニュのエセーを本当に雑にパラパラ見ていたら、その言葉で引っかかった。つまり、今僕はアンガージュマン(参加)に関心があるということだ。何か文章を書くというのは基本的には一人で行うものでそこでは社会に対して参加しているわけではない、ただ、それは誰かに読まれるものとして書いていて、つまり読者の存在が必ずあって、書かれた文章は社会とつながったものである、というかちょうど間にあるぐらいの感じかもしれない。
また、書くということそれ自体は一人で行う閉じた行為と言えるかもしれないが、その書き手には生活があり、つまり社会や他者と接点を持つ。それは参加を含んでいて、つまり書くことと何かに参加することは同じ枠組みで考えておいた方がいいのである。いいのであるというよりは、そんな気がしたということかもしれない。だからアンガージュマンが今僕が気にするべきことのように感じ、そこに引っ掛かりが生まれた。
そうすると恐らくここからまたしばらくアンガージュマンやそれを提唱したサルトルについて調べてみて、その周辺で出てきたことについて書いていくのだろう。そしてこれがまた二週間の中で微妙にシフトしながら、そのときにはまた別の興味に移る。
で、ここがまた重要なポイントのように感じてるんですが、その場合、そうやって調べたことや興味を持って考えたことは外に発信されるような状態がいいと思っていて、でもこれをその興味が落ち着いてからせっせとまとめても遅い。
つまりそのときにはすでに興味を失っていて、新たな方に意識が向いている。その状態ではまとめようとか改めて書きなおそうという気持ちは湧き上がってこない、やりたいこととやらないといけないと思っていることにずれが生まれている。これはやりたくないことをやれと指示しているのと同じで健康的ではない。
となると、もうその気になっている最中に同時進行的に書いていくしかない。つまり、こういうことには完成など存在していなくて、常に途中で、それが断絶され別の話題に変わり、またしばらくすると戻ってきたりするもので、どこかで終わりがあるものではない、だからキリのいいところで、と思っていてはそんなキリは一生やってこない、つまり、いつまでも書くタイミングはやってこない。
だから自分の興味あることを調べ考えることと並行してそれをそのまま愚直に言葉にして書き表していくのが最適。書き手が今の興味のまま考え、考えながら書いていくその時間を、形に残しておいて、そのグルーヴ感を一緒に楽しめるようにしておく。
すでに息絶えた興味にいくらエネルギーを注ぎ込んでも生き返ることはなく、今のホットな生き生きとした関心ごとをそのまま提出していく。その興味が落ち着いた時がこの時点での完成であり、区切りということ。
だから二週間調べて次の二週間でまとめよう、では遅くて、二週間で自分の興味や好奇心という欲望を満たしながら同時進行で書き残していき、興味が落ち着いた時には道中の軌跡がすでに完成品になっていて、明日からの二週間はまた次の興味と一緒に移動するのである。