コラム(?)

人生を捉える切り口としてニーチェのアポロンとディオニュソスが面白い&X再チャレンジします、というただの雑記

こんにちは、高本(@takamoto100)です。

今日はちょっとまた面白い概念を見つけたんですが、1つの記事にするほどのことではないのと、Xやりますという一応の報告だけなので、短めになります。

アポロン的なるものとディオニュソス的なるもの


さっき、「アポロン」と「ディオニュソス」というのを知りまして。

ギリシャ神話が元ネタなんですが、ニーチェの「悲劇の誕生」っていう本に出てくるんですね。

はっきりした言葉で言い表せるものではないんですが、ざっくりいうと

アポロン的なるもの・・・理性、秩序、明るさ
ディオニュソス的なるもの・・・感性、陶酔、狂乱

ですね。

ニーチェは、芸術に置いてはこの両方の概念が重要だという話をしてます。

で、これのどこに引っかかったのかというと、この2つの統合として人生を捉える、という見方が面白いんではないかってことなんですね。

僕は頭でっかちで理屈っぽくならずに、感覚とか感性の部分を大事にしていくのがいいと思っていて、以前こんな記事を書いたりもしました。

「理屈ではなく感覚に従う」ことが「脳ではなく腸に従う」と言える理由こんにちは、高本です。 今日のテーマは「脳腸相関と内臓感覚」です。 そのまま脳と腸は結構な関係があるよ、という意味なんですが...

更に言うと、このブログでは人生の軸を見つけるというのがメインの話題の一つですが、

これは自分が進んでいく方角を見定める、物語を整えるもので、どっちかといえば理屈よりなんですね。

でもゴールや理想の場所がうっすら見えたからと言って一直線で底に向かうのはつまらないわけですね。日常がすべて手段でしかなくなるからです。

だからそうじゃなくて、ゴールに近づいてる体感を持ったうえで、意思決定にランダム性を取り入れたり流れに身を任せる形で、

感覚とか感性を活かしながら曲線的に進んでいくのがおもろいんじゃないのかと。

で、これを人間に心地よいリズムである 1/f ゆらぎの観点から考えたものとして、↓の記事があったりします。

なぜ「ゆらぎ」は現代における重要概念なのか【前編】

曲線的なアプローチについては、ありあわせの道具でなんとか完成を目指す、ブリコラージュという概念があります。

これも似たような発想だと思っていて、ちょっと前にこの記事で扱いました。

ありあわせの素材と創意工夫で乗り切る「ブリコラージュ」という概念がおもろい

つまり、人生の大きな流れを考えるという理屈的なる部分と、瞬間の空気や心地よさで動く感覚的なる部分を統合させるところに、個人的なるロマンを感じてるわけですね。

ちょうどいいというか。

で、そこに今回もう一つ新たな切り口が生まれまして、それが「アポロン」と「ディオニュソス」です。

これも同じように考えればいいですね。

他にはバルトっていう神話学者か言語学者の「機能体」と「指標」とか、日本的には「ハレ」と「ケ」とかもこの辺に対応します。

東洋的には「陽」と「陰」も近いですかね。

こういう概念を見つけたときに意味とか使われ方を調べて、人間の生活とか一生の中で実現するにはどうしたらいいか、って考えると結構面白いですよw

さっき知ったばっかりなので、僕ももう少し調べてみたいところではあるんですが、なんかおもろそうなので共有しておこうという日でした、本日は。

X的なるものの話

もう一つはXの話。

SNS好きじゃないうえに、ブログのアクセス増やすためみたいな使い方して、全然面白くなかったのでやっておりませんでした。

ただ最近ブログで書くほどでもないけど、ちょっと感じたこととか面白い発見したことが、ずっとメモ帳で眠ってる状態なのがもったいない気がして。

あとから見返しても、別にそれについて書きたい気分じゃないということが大いに大いにあるので。

だからどうせなら共有して、お互いに使える部分はどんどん使っていくほうがいいはずだと。

しかもフォローされてなくても届くようになったっぽいので、自由に投稿して反応してくれる人だけ反応してくれたらええわってのもありますよね。

あとは連絡手段としても、今のところLINEか問い合わせページしかないので、もうちょっと気軽にやり取りできる場としてですね。

基本的には映画・漫画・本・お笑いなどのコンテンツを見て、人生・情報発信・遊びの文脈で、面白い発見とか気付きを発信していくと思います。

アカウントはこちら
@takamoto100

というわけで、今回は以上です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。