こんにちは、一年ぶりにギターの弦を交換したらいい音過ぎて感動している高本です。
最近知ったブリコラージュという概念がおもろいので、その話をします。
もともとこれはレヴィストロースの『野生の思考』に出てきた概念で、ざっくりした意味は「ありあわせの道具・素材と創意工夫で乗り切る」みたいなニュアンス。
これと対になるのは「エンジニアリング」で、こっちはゴールに必要なものを逆算的に集めてきて組み合わせるというやつ。
だからその逆で考えれば、ブリコラージュの場合は、身の回りにあるものと向き合ってその性質とか本質を改めて考えてなんとかゴールに近づけていく、辻褄合わせていく感じ。
僕はずっとこういう感覚が好きなんですが、こんなちょうどいい言葉があったんか、というのがまずおもろい。
で、例えば西洋の建築で言えば、向こうは伝統的に自然は人間が支配するものっていうのがあるので、完成像を描いたらそれに落とし込むための素材を集めに行くわけです。
でも伝統的な日本人の精神としては、「どうやってこの天然の素材を生かすか」って発想ですよね。
日本庭園とかでも、そこにある石をどう組み合わせて配置して、自分の内側にあるものを表現するか、そこに工夫があるわけで。
それと関連してちょっと前に見たインタビュー記事を思い出しまして。
正倉院に保存されてる宝物を、なるべく素材も含めて再現する職人がいるらしいのですが、
その人が「大きな木を細かく刻んだら失礼じゃないですか」って言ってたんですよね。
素材ごとにうまくフィットする場所があるから、それをこっちの都合で捻じ曲げるのはリスペクトがない、みたいな話だと思うんですけど。
これも西洋的な発想だと目的物のために持ってきたものだから小さく切る必要があるなら、そうすればいいやん、ってなるわけですよね。
これはやっぱり直線的で余白がないなあって思いますね。遊びがないというか。
あとは料理で考えても素材を活かすって言う意味では日本人にはなじみやすいのかなとか。
で、これって何とかゴールに近づけていく、間に合わせていくって言う発想なので、やっぱりど真ん中にはいかなくて。
常に「ずれ」みたいなものが生じてくる。「ゆらぎ」とも言えますけど。
これに関しての記事もあるので興味あらば見てみてください。
ゆらぎと人生をどうやって統合するかという話ですね。
話を戻しまして、僕はこの「ずれ」とか「ゆらぎ」にこそ、人間の面白みが現れてくると思っていて。
だって今持ち合わせているもので何とかあがくわけなので、そのもがき方に、そいつの個性とか人間味とか変な部分がもろに出てくる。
めっちゃ雑に言うなら、そういうのを全部ひっくるめて「豊かである」ということなんじゃないかとか。
思いますねぇ。
それが人間として生きているということなのでは?とか。
直線ではなくて非線形的なアプローチ。
その曲線的な膨らみを丁寧に扱っていこうという話でございやした。