本日はなんと、(ボリューム据え置きで)豪華2本立てです。
夜的認識もあるよ
今道友信の『自然哲学序説』という文字通り自然哲学がテーマの本を見てると、本題が具体的に始まっていく第二章のタイトルが「夜」で渋すぎておもろい。
「一般に自然の学問といえば、まず、自然科学しかないと思われているのに対し、それは、自然についての一つの知識にすぎず、われわれは自然哲学があるということを述べてきたが、自然哲学と言っても、自然を昼間見たときの姿からのみ考えるのでは不十分である。自然は昼においてわれわれに現れ、夜においてわれわれに現れる。」
「われわれが知らなかったその夜とはいかなるものであるか。それは、人間にとって、昼とはちがう考え方、知り方、思い方を促している場であることを忘れてはならない。」
カント以来、人がものを認識する方法は「自然科学」がベースで、メモリ分けによって定量的に行われます。
これは日の光で照らすことで認識できるわけで、「視覚的な認識方法」だと序盤に言及されます。
つまり近代の認識には光が必要なのです。
これが昼の認識で、「じゃあそれと対応する夜的認識についても考えなあかんやん」という方向に進んでいくんですが、これはかなり新鮮でよね。
だって、これまで自分たちが当たり前のように思ってきた認識のあり方は「本来の認識全体の半分でしかない」かもしれなくて、
つまり、夜的認識にまで注意を広げてみると、大量の取りこぼしに気づきそうってことです。
全然まだ読んでないんで具体的にはよく分かりませんが、たぶん視覚によらない認識がポイントになってくるんじゃないでしょうか。瞑想とか直観とか。
好きだから共有したい、が始まりでいい
結構前なんですが、友達が鹿児島のとある島が田舎だということで、3人でそこに行ってきました。
ただのお出かけなので特にそこの体験については言うこともないんですが、一つ発見がありまして。
それは「鹿児島が好きだから鹿児島を共有したい、が始まりでいい」ってことです。
というのは、友達は自分の親の故郷がその島なので子供の頃によく行ってたり、たぶん最近でも年一回ぐらいは帰ったりしてたはずなんですね。
で、今回は友達二人と一緒にきたので、じゃあやっぱり多少招待してるみたいな気持ちもあるわけですおそらく。
というかそこが好きだから友達にも一回来てみてもらいたいと。
九州の甘い醤油の話とか、ここのこの料理がうまいとか(かんっぜんに何の料理だったかは忘れたんですが)教えてくれるのです。
で、それでいいってことなんですね。
前に好きなことは好きなだけ喋るのがいい、みたいな記事を書いた気がしますが、
▶好きなことは周りを置いていくぐらいに喋ったほうがいいのであるという話
そういう時の喋りや語りって、価値を提供するとかどうとか別に考えてないわけですね。
楽しんでもらいたい、楽しく過ごしたい、ぐらいは思ってるかもしれませんけど、「何か役に立つことを」とかは微塵も思ってない。
情報発信の文脈ではよく「見た人に価値を提供する」とか言われますし、僕もそういうことを書いたりもしてましたが、
まあそんなことは結局それをやってて楽しいか、がすべての大前提にはあるわけなので、それで窮屈になるぐらいならもうすべて無視して「この話したい!」だけでよかったりします、ひとまずは。
自分が好きなものをぜひともみんなに味わってほしい共有したい提供したい、そしてそれがある期間続いた時に、そこに共感共鳴した同じ熱量・方向にある人が集まり残る。そんなものなのです。
ということを思い出した鹿児島の某アイランドでした。
ちなみにこの辺は以前書いたガイドの話とも通ずる部分があります。
「ガイド的」というのは、インターネット空間も含めた広い意味でのコミュニケーションを考える上でかなり面白いし使いどころのある感覚なのです。
現在、やりたいことや没頭できることがなく、でも何からやればいいかわからないという、人生と向き合い中な方向けに
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