最近ガイド論とか翻訳論が気になってます。
論じゃなくてもいいんですけど、二つの世界をつなぐ役割について。
二つの世界をつなぐ役割としてのガイド
例えばまずガイドで言うと、自分のなじみのフィールドや得意な領域に誰かを導きます。何が気になってるのかというと、一つはそこをスムーズにつなぐ技術。技術として。
友達が宮古島でツアーガイドをやってるんですが、それは物理的なガイドです。
でも当然情報空間についてのガイドもあり得て、何ならそのツアーガイドも物理空間を案内するだけではない。海やジャングルやそこに棲む生き物など、その生態系をひっくるめて人に何をどう伝えるかが仕事になる。
その背景にどんな哲学や思想があるべきか、あるべきというとなんか固いけど、どんな考えに支えられてそういった行為が成り立っているのか、この辺りが面白そう。
というのは、このガイドはいくつかの角度から考えることができて、例えば、最近十数年ぶりに甲子園で阪神の試合を見てきた。沖永良部島で出会った男の子に誘われて久々行くことになった。
試合結果とか選手の成績は非常によく気にしてみてるんですが、球場には小学生の時以来行ってなかった。
逆に彼は阪神ファンではあるけどそれほど熱心に結果を気にしてるわけでもなくて、でも球場には年に数試合見に行くらしかった。
で、僕は久しぶりなわけですが、そうやってよくいく人と一緒だと僕と球場での観戦とのつなぎ目がすごく滑らかになります。何時に集合して試合開始のどれぐらい前に中に入っておこうとか、食べ物飲み物どうするとか。
慣れた人の動きに合わせると快適でより楽しめる部分があると。
これは別に直接的に「こういう時はああしましょう、こうしましょう」と言われるわけではなく、こっちで勝手に感じ取って「はいはいそういう感じね」ってなるもので、つまりガイド的なわけですね。
で、そういうガイド的な役割はなんか重要だし面白いしもう少し考えてみたいと思ったのです。
あともう一つその何日か前に、島で仲良くなったまた別の人と地元が割と近いということで、こっちの方に来てもらってランチした。
そのときに彼が調べてくれた洋食屋で食べたのだが、僕はその店を知らなかった。すぐ近くのダイエーで何度もメダルゲームしたというのに。
でもマップを見せてもらうとだいたいの場所は分かるので、自分が先頭を切って進んでいきます。
他にも何度かそういう場面があって、「ガイド出来るやん」って言われたのです。
それがなんかすごく残ってて、別に真に受けてガイドしたいとかそういう話ではなく、「ガイド」という概念、これがすごく気になったのです。
さらに言えばこのブログなんかは、ある一つのコンセプトやそんな世界観のガイドでもあったりするわけです。
「ここに現れている世界や場を回遊してみた後に、それぞれの世界の見え方がどう変わるか」とかに重きが置かれているわけですけど、とにかくここもガイド的であると言えます。
というわけでガイドそのものについて、そしてその思想的背景のようなものまで一通り見ておくのがいいのではないかと思っておったのです。
概念を自分の世界観内言語に翻訳する
そしてこっからまだ続くんですが、次は翻訳論について。ガイドはいわば二つの世界が矢印で行ったり来たりするような状態です。僕と甲子園とかある町と案内される人とか。
翻訳も構造としては近い。翻訳の方に寄せて考えてみても、「ある概念を自分の世界内の言語に翻訳する」のは割と大事だったりします。
普段使ってる言葉やその定義は、生まれてから今に至るまでに外からのいろんな情報で形作られてます。
その定義や用法が今の僕たちそれぞれの内側的なもの、感性とか感覚とかエネルギーの源泉とか、これらとうまく響き合ってるかはわからないものです。
というかうまく響き合ってないときに、その領域にまつわる取り組みや探求に滞りが生じます。
▶外部の影響で内側に新たな感覚が生まれるのではなく、それと共鳴したことで元から持っていたことに気づくというイメージ
例えば、「人生の軸」というモデルでそれまでの人生の流れや物語を再構成、再定義しようとしたのも、
その時点までの人生観(こう進んできてこう続いていくであろうという人生の流れ)みたいなものが、そのときの内側と調和していないためにやりたいことが分からないといったことになっていたのでした。
他で言えば、このブログでは「エネルギーを循環させていく」というパラダイムについて書いてきたりもした。
これは血液も地球も回り続けていて、平家物語にも盛者必衰とか出てくるように、それ単独で固定され続けるものはないのだから、
そして物理学的にはあらゆるものは全部エネルギーなのだからそれらは循環しているのが自然な状態なのではないか、という話です。
これも僕の中で気持ち悪くないように宇宙の捉え方を再定義していると解釈できます。
つまり、たぶん機械論的な世界観で物事を考えていこうとすると僕はしんどくなるのです。
ってことはそれが絶対的に正しいと思いこんだまま暮らしにまつわるあらゆる活動をしていこうとすると不具合が生じるに決まっています。
例えば情報発信にしても副業として捉えるのとエネルギー循環装置的に捉えるのでは表現されるものも違ってくるだろうし、
でも別に何が正しいとかでもなく各々が気持ち悪くない捉え方の下でやればいい。
この気持ち悪くない形を探るのは、概念の再定義の形を探すってことです。
つまりそこで翻訳なのです。
と言っても翻訳そのものについて考える必要もないと言えばないんですけども、
せっかくなら「翻訳とは何なのか」から進めていくと、そういった概念の翻訳作業そのものも上手くなるでしょうね、ってことです。
それは気持ち悪いものを気持ちいいものに変化させるのが上手になるってことです。
気持ちいいものが増えるんだから、自分が見る世界はもっと面白くなるってことです。
というわけでガイドや翻訳については気にしていきたいですわね。
現在、やりたいことや没頭できることがなく、でも何からやればいいかわからないという、人生と向き合い中な方向けに
●客観的な幸せや豊かさではなく、自分のコアや方向性を見定める
●ゼロヒャクのおもんなくそ真面目二項対立思考を手放す
●内から湧き上がる好奇心や心躍る感を汲み取る感覚を取り戻す
●自分を起点に盛大な循環を巻き起こす手段として情報発信を捉える
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