コラム(?)

真面目過ぎる人の努力に対する勘違いと「余裕」とは何か、という話。

こんにちは高本です。

今回は「真面目過ぎる人の努力に対する勘違いと「余裕」とは何か」という話です。

「努力と才能はどっちが大事か」という議論や「努力できるのも才能」みたいな主張ってよくありますよね。

で、その時の努力はつらくて耐えるもので、さらにそれを評価するのが「真面目さ」ってことになってます。

そして真面目過ぎる人は余裕を持つことを忘れがちです。

でもその努力って何なのかって話です。余裕って何なのかって話です。

そんなことを考えていきます。

それでは早速!

真面目過ぎるがゆえに疲弊してしまう人は何を勘違いしてるのか

遊びには物理的な遊びと精神的な遊びがあることを最近知りました。

そう分けると考えやすいということです。

僕は遊び心をもって何かに取り組むことに大きな意味があると感じてるんですが、これが遊びの精神ということでした。

そしてその遊びの精神は「余裕」という言葉で表現できるわけです。

そしてこの余裕はどこから来るのかというと、距離にあるわけですね。

それに取り組んでいながらでも100%そこにくっついてるわけではなくて、少し距離をって俯瞰できている状態。

これを余裕があるというわけですね。

そうするとここから真面目とか不真面目というのも考えることができます。

「俺はいま努力をしている!」と思った時点で負け

僕は真面目というのはよくないと思っていて、というか真面目過ぎるのは、という言い方が正しいんですが、これはよくないと思ってます。

これは人に言われたことで埋め尽くされている状態です。

人に言われたことや社会の常識、外部からの期待。これらでその人が埋め尽くされている状態です。

だから自分が「あれをしたい、これをしたい」「これが好きだ」というので動くことがほとんどありません。

常に「あれしないと、これしないと」ってなるわけです。

そして「なんでこんなことしなあかんねん」と言いながら、心をすり減らしながら生きていくことになるわけです。

そこで何かおかしいと気づけばまだいいほうですが、大抵はそれが普通だと思ってそのまま行こうとします。

こういう人は辛くてしんどい思いして、我慢の果てに何か欲しいものが得られると思ってます。

辛い思いをしながら耐えながらすることを努力だと思ってます。

そして努力も才能だとか言い出します。

そして「自分はその才能がないから、努力できなくても仕方がない」とか言い出します。

努力の考え方が間違ってます。努力は他人が評価するものです。

自分が好きで仕方がなくて、寝る間も食べる間も惜しんでやってしまうことを「あの人すごい努力してるね~」っていうものです。

自分で努力と思ってる時点で努力じゃないです。

それは間違えた努力です。やればやるほどしんどくなります。

でもそれが正解だと思ってるので無理やり頑張ります。

真面目以外の向き合いかたを知らない

人に言われたことでもそうです。

宿題でもレポートでも与えられたことしかやってないくせに、それが正しいことだと思ってます。

そしてそれを見た人は「あの人は真面目だね~」といいます。

ちがいます。

それ以外の行動の仕方が分からないのです。

自分から湧き出たことをもとに動くということを知らないのです。

いや、知らないのではなくて忘れてしまってるのです。

子供の時は出来ていたはずです。勝手に歌い踊り作り遊んでいたはずです。

それが学校で生活するようになるとやるべきことを伝えられます。それをやるほどいい子だと評価されるようになります。

そしてこれが真面目であるということです。

これを抜けるは意図的に不真面目になる必要があります。

最終的にはこの両方を統合するわけですが、まずは逆方向に振り切る必要があります。

その対象と距離をとる段階が必要です。

つまり遊びの精神を持つこと余裕を持つことです。

距離をとって余裕を持つには?

やるべきことされてることから距離をとって、「これはやらないといけないことになってるが、仮にやらなければどうなるのか」と考えるだけです。

大学のレポートであれば1つやらなければその授業の評価が悪くなるだけです。

全部やらなければ単位が出なくなるだけです。

単位が出なければ成績が悪くなるだけです。

必要単位数に届かなければ卒業できなくなるだけです。

こんなもののために教授に与えられたことで動かされて、時間と心を無駄に消費する人生でいいのかという話です。

実際はこれは前提が間違っていて、大学はそれを学びに行く場所です。

だから適当に大学に来てしまったことがまず問題なのですが、まあそれは仕方ありません。

学びたいことがあってきた場合でもそうなることはあります。全ての授業が学びたかった内容ではないので。

結局、今日を繰り返した時にどんな未来が見えるのかということです。

目の前のものを絶対化するとすり減るだけだということです。

僕はめちゃくちゃ真面目な生徒でした。宿題を忘れたことがなければ授業中も手を挙げて発言しまくりでした。

という話をしようと思ったのですが、長くなりそうなのでまたどこかでします。

似たような話はこの記事でしてます。

不真面目な人が得をするのは考えることをサボっていないから。思考停止はやめよう。

とにかく目の前のそれから距離をとって遊び半分でやると、余裕が生まれて”真面目過ぎ”を脱却する第一歩になるということです。

まとめ

今回は「真面目過ぎる人の努力に対する勘違いと「余裕」とは何か」というテーマでお送りしました。

努力は人が評価するもので、自分で努力してると思うとしんどくなることが確定するということでした。

でもそれを人は真面目だと評価します。だからそれを正しいと思ってそのまま行ってしまいます。

その時は取り組んでることとビタビタにくっついて距離が取れてないわけです。これが余裕がないということでした。

なので、自分で「今、頑張ってる」と思ったときは、すぐさま距離をとると余裕を持てるということですね。

というわけで今回は以上です。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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