Oshoという人の本なんですが、正直この人のことは今でもよくわかってません。
ヨガとか禅とか仏教的な観点からよく話されてるイメージで、東洋系の思想家という感じなんでしょうか。wikiにはインドのスピリチュアル指導者と書いてます。
一時期youtubeにある昔の映像を見まくっていて、なんか怪しいと思いながらもでもちゃんと言葉を聞いてると本物なのかもしれないという、割とぐらぐらな感じだった記憶があります。
ただ、オーディエンスからの質問に答えたりする場面で、それは例えば、「幸福って何ですか」とか「どうすれば私は私でいられますか」とかなんですが、その答えを一応僕も予想はするわけですよね。予想というか自分なりの答えというか。
でもそこでの返答がことごとく全くない発想なのです。
それは僕が考えたことの逆ということではなく、それを含んでさらにもう一つ高次、つまり今見てるところより、もっと上の抽象度からの言葉という感じ。
禅問答の答えというか、物理学者が数式と整合が取れるように考え、それが後に実験で証明され、正しいものとして受け入れられるときのコンセプトやストーリー、悪く言えばこじつけ、でも今では当然のものとして受け入れられてるような、そんなもの。
「光速はいつでも一定でむしろ空間側が歪んでいる」とか「物質の最小単位である素粒子は実はひも状になっていた」とか「電子は点在するのではなく確率的だ」とか、
なんかどこにも引っ掛かりのない、その時の僕の価値観のどれとも矛盾しないが、でも自分からはどう考えても出てこないような答えが返って来ていた。
あいにく具体的なことはなんも思い出せないんですが、ただ、このシリーズをやるにあたって絶対に入れておきたい一人としてすぐ浮かびはした。だから相当印象深かったのかもしれない。
特にこの本は喜びとか幸せについてがメインだと思われますが、相当な頻度でハッとさせられます。
でもじゃあ全く自分の中になかったかと言うとそういうわけでもなく、やっぱりこの感じでいいねんな~って思える部分も大いにあります。
これはほかの本でも共通してることでもあるが、基本的には「自分の意識がどうなってるかに注意を向けなさい」というのが多い。
「思考は現実化する」と言ってしまうと急激に安っぽくなってくるんですが、「退屈と思ってるから退屈で、金がないとできないと思ってるからできない」ということが往々にあります。
でもこれは「何とかごまかして現実から目を背けて自分を納得させる」というのとも違ってるのです。
それはただの上っ面のポジティブシンキングです。ポジティブに思おうとすることが、逆に今がポジティブじゃないことの証明になってしまってます。
かといってここで説明できることでもありませんが、それは結局こういう話を浴びていく中でその感覚とかコツに気づいていくものなんだと思います。まあそれがいいことなのかは分かりませんけども。
こういうのは大体、後から振り返ってみれば、今までにも当たり前のようにそうしてきてた考え方だったりします。だから「新しく生まれ変わる」みたいなことでもないんですね、おそらく。
今のままでもういけてたことに気づくイメージです。
すでにあるというか、所ジョージは給料七万円の時からすでに所ジョージだった、みたいな話です。
あんまり行き過ぎるとスピっぽくなってきてしまうんですがw、でも正直ギリを攻めていかないとダメなんじゃないかと思ってます。
全員が「確かに」って受け入れてることはすでに常識なわけで、そこに面白いものはない。真理めいたものや次の常識は今の感覚では怪しいところにしかありません。
かといって似非科学とかにがっつり向かいだすとこれまた違ってるんですが、つまり、
ちゃんと判断できる力を日々高めていきながら、かつめっちゃ慎重に、でもちゃんと今の自分や社会の常識の外側、その境界付近までは向かっていかないとダメなんです。
何がダメか分かりませんけど、でもそこに喜びが、まさにJOYが落ちてるのです。
◀やりたいことが分からない読書録8『夢の叶え方を知っていますか?』森博嗣

