『経済人類学を学ぶ』という本に文化人類学の変遷の件がある。
イギリスでは最初社会人類学といわれていて、親族の構成が社会構造の基本として考えられていたけど、それは全体としてはあまり受け入れられることはなく、その流れでアメリカで認知心理学というのが生まれて~とか、
そもそも「文化とは何か」もそれほどしっかり考えられていたわけでもなくて~などの話。
で、これ自体がどうとかよりも、こういうのを見て思うのは、そもそも文化やら人間やら社会やらは相当深堀されているように見えて、そもそもこの200年程度しか人類はまともにこれらを考えてきていない。
だから多分これらにそこまでの重みづけというか受け止めをする必要がない、
もちろんこういったことを丁寧に緻密に議論して、一つ一つここまでは確からしいとか学者の間で同意を積み重ねていくのはとても重要なことではあるだろうが、
それはそれとして個人の生活としてはそれらをはるかに超えた範囲で自由にものを考えればいい、
こういった学説の中に自分たちの生活や思考をおさめる必要はなくて、2,300年ではまだまだまったく整理できてない中に、個人の直観が見つけ出す真理とかそいつにとってしっくりくる何かという物はこれは明らかにあって、
その個人にとってはその自分の感覚を大事にする方が彼らの話を真に受けるよりも何よりも重要である。
といっても別にこっちをないがしろにするということでもなく、自分たちの感覚を重視する中で道具としてこういった話を活用できる範囲使っていけばいいのであって、
この道具の枠内で物を考え生活するなどということはあってはならない。
しかもgeminiによると、イギリスの社会人類学が迅速構造を重視したのは、植民地統治の都合もあったらしい。
つまり、厳密には100年ちょっとの学問の歴史の中で、それが最初に立ち上がってきた西欧の特定の社会や年代のバイアスもバリバリにありながら社会や人間とは何かを考えてきたわけで、
ますますこれを個人の生や快の上に置く必要はない。
だから自分の感覚や直観に基づく気付きがそこに整理され言語化されているものとして部分的に学術的見解などは使えばいい。
自分の中でこういう感覚大事なんだよな~というそれを誰かが数十年前に学問として考えていたりするもので、
それはありがたく拝見してどのように言葉にされ概念化されているのか見てみればいいし、それがしっくりくるのならそれを自分の言葉に変換して採用すればいい、
そうやって自分の感覚の足場にするぐらいでちょうどいい。
▶往年の名選手の体の使い方が最先端の理論から外れてないことからも個人の感覚の重要性が分かりますよねと言う話
現在、やりたいことや没頭できることがなく、でも何からやればいいかわからないという、人生と向き合い中な方向けに
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