こんにちは、高本です。
最近日記が気になってます。
日記と言っても書くほうではなくて、日記文学と言われるもの、または誰かの書いた日記。
というのは、「人が書いた文章は何でも本として成立する」感じがしていて、割と何でもありなのではって思ったからなんですね。
つまり、結構誰でもあっさり本作れるんじゃないかと。
で、そうなると、「お金というエネルギーを含んだ循環」まで起こしていきやすくなるのではってことです。
そんなわけで日記文学に興味を持ったんですが、もう少し丁寧に考えてみましょう。
毎日6000文字書くと結構あっさり本ができそう
僕はこの数年小説をほぼ読んでないんですね。
中学生の時は図書室にあった『リアル鬼ごっこ』で有名な山田悠介の小説と、沖縄戦争のひめゆりの話の本を全部読んだ記憶があって、
高校の時は、『生存者ゼロ』という本がめっちゃ面白くてこの人の本を途中ぐらいまで新作が出るたびに読んでたのですが、
大学生になりビジネス書と自己啓発本ブームが自分の中で来てからは、ほとんど読まなくなったんですね。
そのブームが終わってからはもうちょっと格式高そうな本に移行していったりするのですが、でも小説ではなくて、宗教とか遊びの話とか人文系とかの本ばっかりになっておりました。
で、そんな僕がなぜこのタイミングで日記が気になりだしているのかというと、最近毎日6000文字書くようにしていまして。
とにかく瞬間瞬間で書きたいことを、一応人が見るものとして書いていき、それを本にしようという計画をしてるのです。
というか、このスタイルであれば月1ぐらいのペースで本が書けそうな気もしてまして。
で、この前は「人生の軸の見つけ方」ということで、この数年考えてやってきたことを、「人生の方向性」「やりたいことがない」みたいな文脈で方法論としてまとめた形なんですね。
▶電子書籍『一問一答で「人生の軸」は見つからない』をリリースしました
じゃあ次はどうしようと思いまして、
というかそれも1つテーマを決めて毎日3000文字ずつぐらい書けば、10日ぐらいで大体の材料はそろいます。
で、最初の本は最初ということもあって、かなり自分なりのクオリティにこだわっていました。
それも読む人から見てプラスになってるのか怪しい部分まで変にこだわってしまってたかもしれません。
でも最初なのでそれはよしとしました。
ただ、毎回そんな感じでやってると、安定して流れていかないわけですね。
▶「現状維持は衰退」と言われるのは自然の摂理に反しているから
死ぬほど気合い入れて一年がかりで大作を書き上げても仕方がないのです。
別に芥川賞を目指したいのではありませんし、そもそも作家志望ですらありません。
ただただ循環させてゆきたい。
ただのノートの切れ端が本になってたりする
というわけで、とにかく決まった量で進めて、どんどん新しいものを書いていくというスタイルをやってみようということなのです。
ってなったときに、それはそれでいいとして、メインで書いていくものとは別に、その日にちょっと感じたことや残しておきたいことを書いていたりもします。
というか、そういうところからこれまでのブログ記事は出来ていました。
その中には、もちろん人が見るつもりで書いてはいますが、それでも「これ誰が見るねん」という激しく断片的なものや、
一応読み物として成立はしてるが「これはどういうジャンルやねん」という雑多なものがあふれかえってます。
で、こういうものもなるべく外に出していくほうが健全なのですが、とはいえどうしようもないと思っておりました。
なんですが、そこでカフカを思い出したんですね。
色々見てみると、カフカはとにかく毎日ひたすらいろんなことを書きまくってたみたいなのです。
日記から小説から、ちょっとした弱音的なのも含めて。
でも毎日と言っても書きたくなくなったらやめて、また書きたくなったら書いてという感じで。
しかも今評価されている小説の多くが遺稿らしいのです。
だから恐らく本人としては公開するまでもないものも含めていろいろ書いてたんだと思うんですね。
で、今度はそういうノートの切れ端にあるような文章ばっかりを集めた、カフカの断片集という本もあると知りました。
それはカフカがすでに小説家として有名になったから成立してる部分もありますが、でもとはいえ、そんな断片ですら本になっているわけです。
さらに言うと、「日記の癖に普通におもろいやん」ということで本になったのが日記文学と言われるもので、例えば『土佐日記』とかですね。
ってなると、日記ですら本という形になってるのです。面白いかどうかは一旦置いておいて。
つまり誰かが書いたものは、人からの評価は別として一応どんなものでも本にはなり得るということなんですね。
マゼランの航海記録も岩倉使節団の報告書も本になるのだから
ということを最近思って、じゃあその日記文学と呼ばれるものをいったん読んでみようと思い立ったのです。
で、他で言うと紀行文というジャンルもあったりしますよね。
これは旅の中で感じたことなどをまとめたようなものですが、ちょうど南米に行ったときに毎日書いてたメモがあるので、それをもとに何か一冊書いてみたいと思ってもいたんですね。
なので、紀行文も古典としてはどんなものがあるのか一回見てみようと思いました。
例えば、マゼランの航海の記録とか、岩倉使節団の派遣先で見た景色みたいなものは全部本になってますよね。
現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記 (角川ソフィア文庫)
あと、今手元にあるのだと、ノーベル賞受賞した朝永さんという物理学者がいるんですが、彼は量子力学ができていく時代にちょうど大学院生ぐらいで、
そこから量子力学の発展と共にどうやって過ごしてきたか、またどんな形で貢献してきたか、というのが『量子力学と私』という本になってるんですね。
この中では量子力学に対しての考え方と、当時の日記のパートもあります。
結局どんな文章でも本になるんですね、というかできるわけです。
僕は普通の小説とか、ビジネス書とか、専門書みたいな形式しか触れてきてませんでしたが、本っていろんな形式があります。
だから評価はもうそれは読んだ人がどう思うかであって、こっちでどうこう考えられる限界があって、でも書いていればとにかく本は生まれていきます。
で、その形式は割と何でもありって最近気づいたんですね。
だからひとまずその日記文学や紀行文、例えば松尾芭蕉の『奥の細道』は紀行文というジャンルですよね多分。
もっと言えば「紀行文であり詩集でもある」というニュアンスです。
で、エッセイは書き手のパーソナルな部分に触れながら書いていくもので、これは芸能人とかもよく書いていて馴染みあるんですが、随筆というのもあって。
こっちは個人の内面というより、世界と接する中で感じたことを表現するのが強めって感じだと思うんですね。
これは日本の古典としては『方丈記』とかが有名ですよね。
ってなると普段感じたことを毎日ちまちま書き溜めていれば、それをある方向性を付けて一冊にまとめるというのは成立するわけです。
まとめ
そういえばちょっと前に読んだ『自分で考えるための勉強法』という電子書籍でも、1000文字ぐらいの小さい塊をずっと書いていけば本になるって話が出てました。
ちょっと話ずれますが、これおもしろかったです。著者は世界史の本を出版したことがあるみたいなんですが、
それも世界史の人物を500字ぐらいのエッセイで紹介する、というのをやってたら、出版社から声がかかってそれが本になったらしいです。というのを思い出しました。
で、ダウンタウンの松本人志が昔、「全部の種類のお笑いをやったろうと思ってた」って話があるんですが、いろんな種類の本を作ってみても面白そうだなと最近思ったのです。
ということで、まずはその日記文学や紀行文の古典的なのを一回見てみようという流れで、最近それらが非常に気になっているのでした。
とりあえず土佐日記と、とにかく随筆が圧巻だというオーウェルの『あなたと原爆』を読んでみようという感じでございまして、今回は以上です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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