人生の軸を見立てる

「やりたいことが本当に自分がやりたいことかどうかはどう判断するのですか」【人生の軸Q&A⑥】

読者さんからいただいた質問とその返信の続き

前回はこちら

高校の間はキャリア形成のためにひたすら勉強するしかないのでしょうか?【人生の軸Q&A⑤】

質問2 やりたいことが本当に自分がやりたいことかどうかはどう判断するのですか

ありがとうございます。一介の高校生の質問に、ここまで身を入れて答えて下さって本当に嬉しいです。

本文拝見しました。確かに、「できない理由を探していた」かもしれません。一つのやり方に囚われて、それができなければその夢は叶わない……そんな風に考えていました。

自分なりに今日一日考えてみた所、今「ドイツ語」と「生物」の学習、部活でやってる「ギター」と、「ゲーム実況」「ゲーム作成」がやりたいのではないかと結論が出ました。しかし、それらが本当に自分のやりたい物なのか、それとも「これをやっておけば将来的に有利だ」という未来志向から生まれた、やりたい物なのか分かりません。本当にやりたい事なら、多分今まででも僕はそれらに手を出してたと思うんです。結構行動的ですので。

しかし、僕は今までそれらに手を出そうとせず、目先の快楽に飲み込まれていました。これらが、本当に自分のやりたい事であるのかが分かりません。

[質問]高本さんは、やりたいと思った事が、「本当に自分がやりたい事」であるかどうかはどうやって判断をするのでしょうか。

質問3 やりたいと思ったことでも途中でつまらなくなる経験はありますか

あと一点。僕は、「ホモサピ」という生物調理系ユーチューバーが大好きで、彼のように「生物を」「調理し」「サバイバル的に」「食べたい」のだろうと思いました。こんな不自然な分け方をしたのは、カッコで区切ったもののうち、どれが自分が魅力を感じて、やってみたい事なのだろうかと疑問に思ったからです。もし、僕が「サバイバル的に」の所にに興味を持ったのであれば、「生物を」に関して調べても面白くないと思うのです。

このように、やりたいと思ったことのどこに魅力を持ったのかをはっきりさせないと、せっかく「やりたい」と思った事でも、実践している途中で途中でつまらなくなってしまうと思うんです。高本さんはこういった経験はありますか?

まずはやってみる

やりたいかもしれないことがいっぱい出てきていい感じですね。で、それがほんとうにやりたいことなのかどうか、ってことですが、それについては一度やってみるしかないと思っています。やってみて、気持ちよくなかったら、今そんなにやりたいことではないかもって判断します。だから全部やってみてまだ続けたいかもって思うものだけを自然に続けていくのがいいかと思います。例えば僕は、確かこれも記事があった気がしますが、筋トレ、ギター、物理の勉強、機械学習、ジョギングをほぼ同時期にやってみたことがあるんですね。筋トレの器具を買って、ギターも買って、物理の教科書も数冊借りてきて、Pythonの本を買い、、、、みたい感じで。でもほぼ全滅して今はギターだけ残ってます。細かい原因は覚えてないんですが、シンプルにそんなにやりたいと思わなかったんだと思います。でもそれでいいと思ってます。全部やってみておもんなかったら今はそこまでやりたいわけではないってことです。

で、これは割と使いどころがあるんですが、こういう時って結構順番を逆に考えてしまいがちなんですね。人間も含めて生物は子孫を残していくために恐怖心が発達している必要がありました。目の前の現象から先を想像して危険を回避してきたって話は聞いたことがあるかもしれません。でも現代ではそれほど先のことを考えなくてもいいんですね。やりたいこと問題に関しては特にそうです。僕もこれをやったところで続かないかもしれないとか、本当にやりたいものか分からないのに手を出していいものかとか、いろいろ考えてることもありましたが、それが順番が逆で、本当にやりたいことかどうかはやってみて初めて分かるんですね。やる前はどれだけ考えても、「本当にやりたいことかもしれないこと」というところまでしか行かないんです。もちろんその確率を上げるために、将来どうなっていたいとか、これまでの人生の起伏を思い返して人生の軸という形で考える方法を記事にはしていましたが、それでもあくまでも可能性がある、というところが限界です。

「やりたい」の深掘り

で、これは二つ目の質問とも関係してくるんですが、そうやってやってみたときに、意外と面白くなかったということが出てきたりします。で、それは「やりたいわけではないかったと判断すればいい」という話を今したんですが、その前にもう一つ考えられることがあって、「そのやり方が自分には合ってなかった」可能性もあります。つまり、例えばドイツ語ならdualingoというアプリで多分勉強できるはずなので、一度やってみるといいと思うんですが、それを2,3日やってみたときになんかおもんないかもって思ったとします。その時は、ドイツ語の勉強がおもんないのではなくて、そのアプリで勉強するのがおもんない可能性があるってことです。

で、じゃあどういうやり方やったらええねんってなると思うんですが、そこで一つおすすめなのは、それを通して将来どうなってると嬉しいかって考えて見るんです。そこになぜドイツ語をやりたいと思ってるのか、またはどんな方法が自分に合ってるのかのヒントが隠れてることが多いです。例えば、ドイツ人の友達が欲しいのか、彼女が欲しいのか、ドイツ語の小説を読みたいのか、ドイツで楽しく観光できればいいのか、ドイツ映画を見たいのか(あるのか分かりませんがw)、ドイツ語という言語として研究したいのか。ドイツ語自体は言葉でしかなくて、あくまでもコミュニケーションのツールなので、それによってどうしたいというのがうっすらとでもあるんじゃないかと思うんですね。もちろん別になくてただやりたいというのもありです。

僕は大学で物理を学んでいたんですが、それはただただ「超ひも理論」というのを知りたかったからなんですね。別に研究者になるつもりもないし、それで世界の課題を解決してやろうとか、未解決問題を解き明かそうとか、そういうのは何もありませんでした。でもただ知りたいだけなので、教科書や論文を読んだり、授業で関係ありそうな話が出てくるだけで自然と前のめりになります。だからただやりたいだけ、と言うももちろんありです。だからそれも含めてどういう風になれたらいいなと今頭に浮かんでいるのか、ギターだったら、バンドを組みたいのか、作曲したいのか、色々あると思うんですね。そうなると、そのためにちょうどよさそうな方法が絞れてきたりします。

さっきの話に戻せば、ただドイツ人とコミュニケーションをとりたいだけだったら、10個ぐらい汎用的な文章を丸暗記して、SNSとか海外の掲示板でひたすらやり取りしてみるというのもありですよね。というか、その場合はもうそこですでにやりたいことをできてるのです。別に本を買ったり講座をとったりしなくても、ドイツ人とコミュニケーションをとるというやりたいことはできています。

だから、本当にやりたいか確かめるには、一度やってみること、そしておもんなかったらすぐにやめる、というのがまず一つ。もう一つは、面白いと思えるやり方に適当に方向転換しながら気持ちのいいやり方を探していく、実はそこに本当にやりたいポイントがあった、というパターン。または、それを通して何をしたかったのか一回考えてみる、それによってそのジャンルの中でも本当にやりたい箇所が特定できるパターン。この辺が僕の経験上、効果的なアプローチです。

柔軟に軌道修正する感覚

で、ここまででほぼ二つ目の回答も含んでるんですが、島谷さんの今の話で言うと、例えば、サバイバル系に興味があったとして、でも生物には興味がないかもしれない、だからその場合途中でおもんなくなってしまうかもしれない、ってことだと思うんですが、その場合は、生物に関係するところはバッサリ切っていいです。やってみつまらない部分は全部無視しておもろいと思えるところだけを無茶苦茶楽しんでいくのがいいです。

例えば、僕はギター好きなんですが、いわゆる基礎練習みたいなことを一回もやったことがないんですね。最初にやり方を調べてみると、何人かの人は毎日5分はドレミファソラシドの順番に指を動かしていくのがいいですよ~みたいなことを言ってました。でも僕はそれをやると退屈になってギター自体をやらなくなってしまうと思いました。だから一回もやったことがありません。あいみょんが好きなので、あいみょんの曲をひたすら弾くところから始めました。するとそこから5,6年経ち今はそういうのもやってもいいかなとちょっと思えてきています。

人が提示してるからではなくて、自分の内側から、もうちょっといい感じに弾くためにそういうのもやってもいいかもと思いかけてます。そうなったらやってもいいと思います。でも誰かが示した手順通りに進まないといけないとか、自分が今あげた、サバイバル、生物、調理、食べる、とかを最後まで全部満たしたまま行かないといけない、と思う必要は全くありません。それぞれやってみて、なんか違うなって思ったことはその時点でやめても何も問題ありません。今日一日気持ちよく過ごすためにやってるので、気持ちよくないことはやらなくてもいいと思ってます。

「未来のためだけではない」の意味

で、ちょっとまたずれるんですが、最初の質問のところで、未来志向になってるかもって言ってくれてたんですが、本当はそれ自体がいつでも悪い、というわけではないんですね。未来のため「だけ」に今日を過ごすことがよくないよねってことなんです。将来こんな感じになってたいとかこんな感じに過ごしたいから、じゃあ今日できることとしてこれをやろう、というのは全然おかしくなくて自然なことです。

むしろ人生の軸と言ってたのも、そうやって自分が進みたい方向性と、今やってることを統合する、つまり「人生と日常が一致した状態で今日を生きる」という発想でした。だから未来志向から生まれてるのは別にいいんですね。ただ、将来有利になるかもしれないからあんまりおもしろくないけどこれをやらないといけない、という考えたり、未来のために今日を我慢して過ごすのはよくないってことなんですね。

自分の気持ちいい範囲に調整する

で、また話を戻しましてw、僕の途中でつまらなくなってしまったことですが、さっきの超ひも理論の話と、ブログがあります。超ひも理論は途中で、めっちゃむずい数学をやらないといけないことが発覚して、でも僕は数学そんなに好きなじゃないので結構きつくなってきました。でも逆に素粒子と東洋思想とかの関連性に興味があることが分かってきたので、今はそういう方面から調べたり本読んだりするのが楽しいです。ブログもやりたいことに入ってきてたんですが、こんな風に文章書くといいですよ~みたいなやり方の通りにやってると窮屈でつまらなくなってきたので、もうそういうのは全部無視して、自分がやりたいやり方でしかやらないようにしました。でもそうするとやりたくないとか面白くないと思うことがないので、毎日できるんですね、すると、もっと上達したいと思って自分で勝手にいろいろ調べたり考えたりするので、結果的にはそっちの方が良かったりするのです。

だから「途中でつまらなくなるかもしれない」ということに関しては、その時はつまらなくなった部分は切り捨てて、おいしいところだけをやり続けるのがおすすめです。でも今の時点ではどこがまずくてどこがおいしいのか分からないと思うので、これまた一回やってみるしかないのです。そんな風にやりたい気がすることの中で実際にやってみて嫌な部分は避けながら進んでいると、他にそんなやり方をしてる人はいない、みたいな状態になったりするんですね。それが島谷さんのスタイルってことになるんです。

だから「ホモサピ」という人を僕はあまり知らないんですけど、その動画の内容はその人が一番気持ちいいやり方ってことなんですね。だからそれと全く同じことをしても同じように気持ちいいかはわかりません。というか、本当はその可能性は低めです。だからその分自分が楽しい感じにちょっとずつシフトしていくってイメージです。別に生き物が出てこなくても小屋を建てて生活するだけでもいいし、魚が出てこなくてもキノコを炒めて食べてもいいし、何でもいいんです。自分の気持ちいところを実際に動いていきながら見つけていくんですね。僕はそんな感じでやれるようになってきました。

またもや長くなりすぎてもはや収拾がつかないんですがw、こんな具合でどうでしょう。またなんかあればどうぞお気軽に。

【人生の軸】現実の行動が変わってくるニュアンス【Q&A④】

高校の間はキャリア形成のためにひたすら勉強するしかないのでしょうか?【人生の軸Q&;A⑤】

「人生の軸の見つけ方」の記事まとめ