カール・ポランニーという経済学者が面白いことを言っている。
社会というものは、資本主義の外にあると。
僕たちは資本主義真っただ中に生きていてその世界で生活しているが、これは人類の歴史で言えば、
いやそこまで大げさに言わなくても、資本主義というシステムに移行していくのは1700年代の産業革命辺りなのだから、ざっくり300年程度。
今後もっと続いていくのかもしれないが、少なくとも今の時点ではたった300年しかないシステム、
でも生まれてからずっとその空間の中で生きてきてるので、僕たちにとっての世界や社会とはそういうものだ、と通常は認識する。
でも大昔からの人間の暮らしを考えると、資本主義の中で生きていることは特殊であって、
本当はその外側にも社会、つまり人が生きることのできる空間や、味わえる感情や、心交わすことのできる人間関係は存在する。
それをポランニーは
「社会は資本主義に埋め込まれているのではなく、資本主義が社会の中に埋め込まれているのだ」
と言った。
このシステムの外での暮らしも含めて人なのだから、資本主義の中で完結していてはバランスを崩す、その外側を覗いてみるような方向に向かうと面白い。
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例えば、人から振られた仕事はその一つである。
僕の友達の一人は今、ツアーの事業をやっている彼の友人たちとガイドの仕事をやっている。
これはもちろん仕事なので給料は発生するが、雇う人と雇われる人が貨幣を通じて関係しあうよりも、
まず初めに二人の間に関係があり、そこに外から貨幣が持ち込まれたと見ることができる。
貨幣によって関係が生じるのではなく、関係がある中に貨幣というエネルギーのやり取りも入ってきた状態、
例えば、前に宮古島に行ったときはゲストハウスに泊まったときに、そこの管理人のTさんに地元の飲み屋に連れて行ってもらったことがあった、
そこに確か社長と言ってた気がするが、知り合いの女性も来て一緒に飲み食いした。
その後、僕が宮古島を出るときに、入れ替わるようにしてその女性が台湾から連れてくる10人をそのゲストハウスで受け入れることになったらしい。
そしてTさんは宿泊+彼らを個人的に引き連れてツアーのようにすることで、その分のお金も受け取る、つまりこれも仕事なのだが、資本主義ニュアンス100ではない。
その外にある、前時代的な原初よりのコミュニケーションのように思う。
共同体的な感覚、と言っても共同体内での物々交換というよりは、共同体で生産できないものを賄う時の2つの共同体でのやり取りに近い。
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例えばまた別の友達は、大学時代から仲のいい先輩が車に詳しく、車検や見積もりなどに融通が利く。
僕は車のことはあまり分からないので細かい内容は知らないが、その友達は周りに車を買い替えたいとか修理したい人がいればその先輩に紹介する、
すると先輩からすればそれは仕事になるし、友達側からすればその分車検やオイル交換など自分の車にまつわるいくつかのことや手続きをやってもらえる、
これも資本主義が埋め込まれた社会の中にある、資本主義の外部ではないかと思う。
そういえば、彼は自分が通っていた整骨院を知り合いに紹介していたら、院長から一万円分のアマゾンギフト貰えたらしく、ラッキーと言っていた。
昔柔道を習っていた時は、そこの友達のお父さんが町中華を地元でやっていたので、忘年会や何か打ち上げがあればそこに集まったりしていた。
だからなんやねんという話ではあるが、もっと人間がずっとそこで暮らしていた社会の方に目を向けてもいいのかもしれない、
集合的には「社会⊃資本主義」なのだから、全体側を味わおうとすることで小さい領域側の外に立つことができ、そうやって視点が変われば見える景色も当然変わってくる。
そっちにはみ出してようやく調和のとれる部分がある。
▶平均化された概念の平均じゃないところに滑り込んでいく感覚が面白い話
現在、やりたいことや没頭できることがなく、でも何からやればいいかわからないという、人生と向き合い中な方向けに
●客観的な幸せや豊かさではなく、自分のコアや方向性を見定める
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