こんにちは、高本です。
今回は前編・後編と2回に分けて、この地球に棲む一つの生命体として僕たちが生き生きと爽やかに過ごしていくために、極めて重要な“ゆらぎ”について話してみようと思います。
そして後半では、それをうまく取り込み体現した人生とはどういうものなのか、考えていきます。
僕は、「世界の真理に迫りたい」という欲求が割と強くあります。
それはなぜかと言うと、
その立場から世界を捉えることで、全く同じものと対峙しても、より多くの事に気づき心が揺れ動いて、次に挑戦すべきことや足を踏み入れるべき場所がどんどん見えてくるのではないか
と思っているからです。
そしてそれが、悔いのない人生を謳歌するということではないか、と思っているからです。
で、なぜ今回「ゆらぎ」を扱うかと言えば、普段の生活で見聞きする情報が“真理へと続く山”のふもとにあるとすると、「ゆらぎ」という概念は、二合目ぐらいにはありそうだと感じているからです。
これは調べれば調べるほどに面白くて、「これを人生に取り入れるには」「よりよい人生のために活かすには」と考えて、現状の一旦の結論が出たので、そこまでをまとめた形になります。
それでは。
自然を求める人間
人はふとした瞬間に自然に触れたくなるものです。
毎朝早く起きて夕方までみっちり授業を受け、そこから夜中までレポートと格闘する大学生。
同じく早朝から満員電車に揺られ、面倒な上司をいなして家に帰ると、もうご飯を食べて寝るだけの会社員。
こんな生活には全然満足していないのに、どっしり腰を据えて考える時間はないし、気力も残ってない。時間があった日には適当に情報を浴びるだけで、何も動けず終了。
そんな時、ふと自然に触れたくなると思うのです。
ちょっと近くの山まで車を走らせて、いつもとは違う味の澄んだ空気を吸ってみたり。重なり合う葉っぱの隙間から太陽に照らされてみたり、鳥のさえずりやカエルの鳴き声を聞いてみたり。
はたまた夜の海に友達と出かけては、ひたすら無言で、暗闇の中で静かに鳴り響く波を感じてみたり。
別に誰に言われるでもなく、なんか今自然を浴びたい、自然を感じたい。
そんな気持ちになるし、何ならそれが必要だと自分の中の何かが訴えてくる。一度はそんな感覚になったことがあるんじゃないかと思います。
実はここには、“調和のとれた不規則としてのゆらぎ”というものが大きく関係しています。
しかもこのある種特別なゆらぎは、窮屈で忙しない今の日本社会を、人生の主人公として軽やかに生き抜くために重要なことを示唆しているわけです。
ゆらぎは種の生存繁栄に必要不可欠なメカニズムである
本題に入る前に整理しておきたいことが割と山ほどあるので、少し手前の話から。
まずは、自然のリズムと生命のリズムについて。
地球や宇宙にはリズムがあるんですが、これは簡単に想像つきますよね。一定の周期で移り変わっていくもの。
地球の自転とか公転とか季節とか。朝が来て夜が来るとか。一日の気温の変化もそうですね。この一定のリズムは自然だけではなく生物にもあるわけです。
例えば体内時計。人間の場合は一周期が大体25時間で、サーカディアンリズムって言います。名前はどうでもいいんですが、これは地球が自転する周期の24時間に対応してるわけです。
今、生命誕生から何十億年と経っていて、その間地球は基本的にずっと同じリズムで動いてるはずです。
ということは、生物のリズムもその環境を基準に出来ていないとおかしいわけですね。
そうでなければ環境に適応できてないということで、つまり太陽とか地球のリズムに合わない生物は淘汰されてきたってことになります。
でもじゃあ生物は完璧にそのリズムで動いてるかというと、そんなことはなくて。
もし完璧に一致してないとダメなら、どこかで一瞬何かが狂った時に、全て崩壊してしまいます。全部がガチガチにかみ合った時計のように、ひとつ歯車が止まれば全活動が終了ということになってしまう。
だから余白の部分があるわけです。
別に何時に寝て何時に起きて何時にご飯食べるって決まってませんからね。適当にその時々の暮らしで若干ずれるわけで。
僕がペルーから帰ってきたときは、10時間フライト→10時間空港待機→10時間フライトみたいな鬼のスケジュールでしたけど、それでも日本でしばらく過ごせば元に戻るんですよね。
てことは、生物にはゆらぎが絶対必要。逆から考えて、「ゆらぎが本質」とも言えてしまうぐらい。
ゆらぎがあるからこの複雑な世界でうまく生きていけるし、複雑な生命同士でも何とかやり過ごせている。遊びや余白がないと脆いし、世界と調和できない。
つまり、ゆらぎはこの世界で生存繁栄するために必要不可欠なメカニズムだと言える。
まずはここが非常に大事なポイントですね。
で、続けると、ゆらぎといってもいろんな種類があるわけです。例えば振り子の運動を考えれば、最初にどの高さで手を放すか、行って戻ってくるまで何秒かかるか。
同じゆらぎでもいろんな種類があり得る。その中で、人間のゆらぎはすごく特徴的な物であって。それが1/fゆらぎというもの。
生命活動の中に潜む「調和のとれた不規則」
1/fゆらぎについて少しだけ。この性質がめっちゃ大事で、めっちゃ面白いんですよね。
ゆらぎというのは波として表現されるんですが、特に1/fゆらぎは、振幅と振動数が反比例の関係にある波が重なり合ったもの。
例えば通常、波は一見複雑でぐちゃぐちゃになって見えていても、いろんな周波数の正弦波(sinカーブの波)に分解できるわけです(これがフーリエ変換ですよね)。
逆に言うと、複数のシンプルな波の合成で、この世界の波は出来ている。
で、そのときに振動数が大きいものほど振幅が小さく(=主張弱め)、振動数が小さいものほど振幅が大きく(=主張強め)なっているような構成が、1/fゆらぎ。
つまり、対象の波を分解して出てくるそれぞれの波を見た時に、そんな性質が確認できれば1/fゆらぎということ。
例えば、ある波を3つに分解できて、周波数がそれぞれ、1ヘルツ、2ヘルツ、3ヘルツだったとしましょう。
このときの振幅が、この振動数に反比例するようになっていればいい。だからこの場合は、3つの波の振幅の比が、3対2対1になっていればいいと。そいうことですね。
で、人間の体で言えば、心臓のリズムも腸の動きも1/fゆらぎになってるんですね。
他にも、この1/fゆらぎは人が心地いいリズムって言われていて、例えば音楽もこのリズム。
音階そのものが振動数の違いですけど、ある曲が耳なじみのいい曲として成立する条件として、1/fのパターンが踏襲されてるわけですね。ベートーヴェンをはじめとしたクラシックの音楽は、このリズムのものが多かったり。
だから適当に鍵盤をはじいた時に、全然曲っぽくならないのは1/fから外れてるから、という話。
イメージが湧きにくいと思うので、他にはどんなゆらぎがあるのかも見ておきます。
わかりやすいのは振幅と振動数の関係が、1/f^0、1/f^2になっているようなもの。これをそれぞれ、ホワイトノイズ、ブラウンノイズって言います。
ホワイトノイズの場合は、振幅と振動数が1対1なので、すべての波が同じ強さで含まれているということ。つまりカオスですね。
雑音。耳障りな音楽とか、都会の景観とか。完全な不規則です。
逆にブラウンノイズの場合は、完全に規則的で予測可能。裏切りゼロ。時計の秒針とか。
ここまで見てきた1/fゆらぎはピンクノイズって言いまして、ちょうどこの中間なんですね。
という意味で、まさに「調和のとれた不規則」。意外性と予測性のちょうどいいバランス。
不規則なんですが、完全に散らかってるわけではなく、規則的で予想できる部分もあったり。
まとめると、
ホワイトノイズ(1/f^0):不規則的
ブラウンノイズ(1/f^2):規則的
ピンクノイズ(1/f):規則的と不規則的の適度なバランス
じゃあなぜ1/fゆらぎの音楽が心地いいのかって話ですね。
ここがすごいからくりで、実は自然界のリズムは1/fになってるのが多いんですね。
だから何?って感じかもしれませんけど、ちょっと一回考えてみてほしいのです。
これの何がすごいんですかね。自然界のリズムも1/fゆらぎになってるということから何が言えるのか。
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後編に続きます。
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