そろそろブログを更新しようという頭と、ブログ記事を書こうという頭は異なる。
そろそろ記事を更新しようと思う時、その時は別に文章を書きたい気分ではない。だから更新しようと思ったからと言って書きたい気持ちにはなっていない。
でも更新したいとかしないといけないと思っているので、何か書く必要が出てくる、でもそのときには書きたいと思っていない、出来ればほぼ出来上がったものをちょっと編集して配信できるのが一番うれしいと思っている。
でも都合よくそんなものはない、だからメモの断片とか場合によってはゼロから何かしらネタを見つけてきて書いたりする、でもそれらのタイミングは別に書きたいわけではない、
文章を書くというのはかなり変なことをしているわけで、つまり、本来の頭の中の思考から考えると無理やり一つの流れに乗せて表現するわけでかなり負荷が大きい、こんなことはやりたいと思うタイミングでもない限り到底できるものではない、
つまり気持ちが乗っていないのに、そろそろブログを更新しようという気持ちだけで書けるものではない、これがモチベーションがなくなるとか湧かないという現象につながる。
読み物として成立するメモ
このとき、書きかけの記事があるとめっちゃ嬉しい。あとは見出しをつけるだけとかちょっと調整するだけ、もしくはそこまで行ってなくても1000文字ぐらいですでに読み物として成立してるような文としての流れが成立しているようなもの、これがあると非常に楽。
そして普段のメモをそうやって書くことが多かった。
つまり、適当に一行二行ささっと書くこともあれば、その時に浮かんできた頭の中を全部そのままなくならないうちに書き残しておきたい、みたいな気持ちで一気に大量に、と言っても1000文字ぐらいだがまとめて書いたりすることがよくあった。
で、これは後から気づくことになるが、こういうすでに読み物として十分なものがあるとあとはこれに別の断片的な、こっちは読み物でなくてもちょっと編集して付け加えるとか、逆に中身をもうちょっと膨らませていくとか、その程度で十分一つの記事になる。
一方で、断片的なメモしかない時には、流れや構成を考える必要があり、オチというか結論や落としどころをそのタイミングで考えたうえで、ある程度綺麗な流れに整えていく必要がある、
そろそろブログを更新しよう、程度の気持ちの時にこんだけの頭に負担のかかる動きをするのはほとんどの場合難しい。
そこで、「じゃあこの勢いでメモする奴を一杯増やせばいいではないか、そしてもっと言えば、それをそのまま公開できる形で書けばいいではないか」と思ったのです。
つまり、そうやって何かを見たりちょっと考えたり人と話したりして、頭の中でバーッと出てきたものがあった瞬間にそれを全部書くというのをかなりまめにするようにした。
でもそのメモはただそのあふれ出る何かを忘れないために、つまり後からまた編集して記事にするために書いていて、読み物としては成立してないものを山ほどあった、
例えば、文章の途中でもう一つ別の話題が浮かんできて、今書いてる文章の続きからそのまま書き始めてみたり、文章の流れがめちゃくちゃだとわかっているがとりあえず今考えてることを書くだけ書いてみたり、
で、こういうメモはあると非常に助かるのだが、結局編集する時間が一瞬でもあると非常に負荷がでかい、
ここでの編集というのは、その文章をつじつまが合うように調整したりすること、誤字脱字を治すのは別にいつでも問題なくできる。
メモと記事の境界をなくす
で、そうなったときに、じゃあそうやって雑に書いてるメモをそのまま公開可能なものとしてアドリブで書いていけばいいではないかとなるわけです。
つまり勢いに任せて適当に書きなぐっていたメモを、若干速度は落ちてもそれを打ち終わったときにはそのまま人が読めるように、
それはつまりブログ更新したい気分になった自分が読み返してみてがっつり編集の必要がない程度にはハチャメチャになっていない十分読めるものになっている文章の事。
この形で書くのが最高である、ということになり、今はほとんどの場合そういう形で書き始めている、
だからつまりメモという感覚がかなり押し込められ、ちょっと書けそうなものは全部1500~4000ぐらいの文章としてそのまま書いていく。
メモは後から組み合わせて文章にしようなどとは一切考えず、「また時間を空けて見返した時に頭を刺激し、その時書きたい何か、何らかの流れが生まれるかもしれない刺激剤でしかない」という捉え方に変更する。
そうするとちょっと考えごとが終わったときにはそこに一つ記事が誕生している。