学問・勉強・研究

何かを学び取り組むことは総じて言語学習的であるかもしれない話

新しいことを学ぶ時には言葉の意味から

最近ギター熱というか音楽熱が高めで、今までも毎日触ってはいたけどもうちょっとしっかりやろうという気分で、

じゃあそうなった時に何をするのかと言うと、最近の発見はすべて言語のように捉えていく。

今までは好きな曲とか前にやったことある曲を適当に弾いたりで満足していて、で、そこからもうちょっと進んでいこうとして、ちょろっと調べたりいろんな人のやり方を見たりしても、結局単語がよくわからなくてまた今度でええかってなってたわけです。

例えば、ペンタトニックスケールが~とかサブドミナントが~とか、音楽をずっとやってる人からすれば常識かもしれないが遊びで適当にやり始めた身からすればそんなん知らんと。

ここで二つ分かれ道というか考え方があって、別にそんなもの知らなくても適当に楽しい感じでやっとけばいい、というのと、理屈をちゃんとわかりに行くほうがいいというの。

どっちから行っても結局は合流してくるというか、両方大事なのは当たり前として、でも僕はどっちかと言えば理屈ルートを進みがちなのです。

で、そういうときによくわからん難しい言葉がいっぱい出て来たら疲れておもんなくなってやめていたのですが、

例えば、本を読むときで考えると、途中で分からない言葉とかあまり知らない概念が出てきたら片っ端から調べるわけですね。

それは辞書的な意味というよりは、例えば何でもいいですけど最近読んだので言えば『限界芸術論』とかだったら「美的経験」「ランガ―」「柳田国男」「民族芸術」など。

限界芸術論の「限界芸術論の理念」で言及されている思想家、哲学者

概念とか人物名に関してちょっと気になったりあまり知らなかったりしたら取りあえず調べてみて、またその先で気になった言葉が出てきたらそこから進めていくとまた面白そうな本が出てきたりして、そうやってずっと続いていく。

「英単語→文法→英作文」のように

音楽に関してはそういうやり方を特にしてなかったので、同じようにしていけばいいのでは思い、

つまり、これは一つの言語空間で会って、英語なら文法を学ぶのも文章を作るのも単語を知らないとどうしようもないわけで、語句の意味は当然のものとしてちゃんと知ってるから文法を学ぶ段階に入ることができる。

別に数千語知る必要はないが、中学一年生なら「this, is, pen」の意味は知ってないと勉強しようがない。

そしてちょうどこの動画を見たら、

「どうやって即興で演奏してるんですか」という質問に

「その答えとして、ゲイリー・バートンの例えを引用しよう。君は今英語で質問したね、君の頭の中では、意識せずに正しい文法が組み立てられているわけだ、即興も全く同じなんだ、これは言語であり、文法があるんだ」

と返答していた。

これを見てもやっぱり何か物事を学ぶとか習得していく過程というのはその体系という言語を扱えるようになるということで、言語学習のように考えることができる。

物理なら運動方程式とか波動方程式を立てるのは英語で言えばフレーズや文章を作ることをしているわけで、

そのときには「質量」とか「加速度」とか「波動関数」という言葉の意味やそれが持ってる情報量というかその文字の上に霊みたいにぼわーッと広がってる概念全体みたいなものを分かってる必要があって、

英語だったら「on」っていう時にただ「~の上に」って覚えててもいいけどでもなんとなく「物が乗っかってる感」をイメージできていたほうが英語を扱うという意味ではいいし、

で、そうやって考えていくと音楽とかこの動画で言えば即興という言語を操るには文法もそうですが、というかこの人は一番手前のところはもう前提として喋ってるけど、実際には「この人が話す語彙についてちゃんと知っている」という段階があり、

例えばこの後

「ビバップを理解せずにフリージャズやフュージョン、ニューエイジなどを演奏している人々を見ると退屈になってしまいます」

という話をするのだが、まず僕は「ビバップ」「フリージャズ」「フュージョン」「ニューエイジ」という言葉を一切知らない。

だからこのあとやることになるはずなのはこれらの言葉の意味を調べること。

「ビバップ」という単語からの広がり

で、実はビバップについてはちょっと調べてみて、そうすると、これはジャズの起源とか歴史的背景とがっつり結びついている。

となるとジャズの歴史ごと見ていくといいことになり、それは当然音楽の歴史とか流れもその範疇に入ってくる。

初期の音楽からの派生としてジャズという分野になっていくのだから音楽丸ごと考えていくほうがビバップというものを感覚として分かるようになるに決まっている。

そうやって言葉の意味を知って初めてその運用という文法の段階に移り、それが最後は即興演奏としてその言語を自由に扱えたということになる。

つまり、何か新しいことをやるときには、ただ漠然と眺めるとか調べるとかやってみるとかではなくて、もちろん本当の最初にはそういうところから入ってそれが面白いと感じたからこそ、ということは間違いなくあるけど、それ以降そっちをもっと探索していくにあたっては、言語学習として捉えるのがよかったりする。

あと全く関係ないけどこれがめっちゃいい

音楽を楽しむとはこういうことだという動画を見つけた