こんにちは高本です。
今回は「問題側をうまく言語化出来ればいい答えが見つかるかもしれない」という話です。
人のまねをするにしても、情報発信のアイデアを出すにしても、自己分析をするにしても、問いの方を考えることにヒントがあるかもしれない、という話です。
「富樫先生はありそうでないものを大喜利がうまい」
この前こんな動画を見まして。ハンターハンター好きの芸人がただただ語るだけという動画なんですが、マユリカの中谷がこんなことを言ってました。
「富樫先生はありそうでないもの大喜利がうまい」
例として言ってたのが『ベンズナイフ』。大量殺人鬼ベンニ―=ドロンが殺人するごとに作った、番号入りのナイフとして出てきます。
このナイフに刻まれた番号は、この人が殺した人数になっていて、実際にはもちろんないけど、かなりリアリティがありますよね。
中谷氏はそんな意味で「ありそうでないもの大喜利がうまい」って言ってました。
で、僕はこの「ありそうでないもの大喜利」っていうのが気になったんですよね。
確かにハンターハンターはぱっと見普通のアイテムだったり、その場だけのキャラにも、なかなかしっかりした背景が設定されてることが多くて。
でも確かにそうなんですけど、そんなことよりもこの「○○大喜利」って言う捉え方の話をしたくてw
その答えはどんな問いから出てきたのか?
こういうキャラとかアイテムの発想がどこから出たかって考えてみると結構つかみどころがないですよね。どうやって考えてるんやろう、みたいな。
でも中谷氏は芸人だからこれを「ありそうでないものを大喜利」って捉えるわけですよね。
そうなると一気に考えやすくなる。「ありそうでなくてキャッチ―なもの」という角度から攻めていけばいいと。
考える範囲が限定されて枠が設定される。
こうなるとある程度のクオリティを保ちつつある程度量産できそうな感じがしてくる。”ありそうで”って問いにいれることで、本当にわけのわからないアイデアにはならないわけですよね。
ちゃんと現実味のある、でも、ない。そういう発想。
例えば『幽遊白書』でも、涙が数億円の価値のある宝石になる女の人が、それを理由に悪徳宝石商に監禁されるっていう話が合って。それも同じですよね。
まあ実際に「ありそうでない」ってところから考えたわけじゃないと思いますけど、そうやって問題の方をうまく言語化すればほしい答えが出てきやすいですよね。
ドラえもんとかもそうですよね。
「どこでもドア」「タケコプター」「アンキパン」ってあって、じゃあ他のアイテムをどうやって考えればいいか。これをこっちの答えの方だけずっと見てても難しそうです。
でもこれが出てくる問いにはどんな要素が入ってるか考えてみると「日常的になじみがあるもの」とか「ダジャレ的なネーミング」とか出てきます。
あとは物語の最後は大体失敗するオチなので「完ぺきではなくて不完全さもある」とか。こうやって考えてみるとかなり絞りやすくなります。
結局は抽象化の作業
で、これは結局は抽象化ってことになりますよね。その答えの方を見て、そこに全部共通する要素を無理やり見つけてこじつけていく。
自己分析とか人生の軸を考えるときにも必要だったりします。
自分の人生の山と谷のイベントを洗い出して、それを限界まで抽象化してそこに共通する要素を見つけに行く。
だから、どんなことを回避して、どんな要素を大事にすればいいのかわかる。人生の調子の良しあしの兆候をつかめるようにもなる。
これもやってることは同じですよね。
自分の人生が上向きになっていくときの感じ、この雰囲気を言語化して一つのフレーズに落とし込むから「常にその状態でいられるためには?」、つまり
「人生の全盛期を更新し続けられるためには、どんな振る舞いをしていればいいのか」
という問いに対するいろんな答えを出していける。
「どう考えても人生のフローに入るために必要だろ。いったい何?」という大喜利を自分に仕掛けられる、そして答えを出してこれるということです。
答えを出すことができれば、人生の方向性に対する抽象的な悩みもほとんどなくなります。どっちに行けばグラフの傾きが負になっしまうかわかるってことだから。
まとめ
というわけで、今回は「問題側をうまく言語化出来ればいい答えが見つかるかもしれない」というテーマでお送りしました。
僕たちは答えの方ばっかりを見て、そっちを必死に探しに行ってしまうわけですが、
「じゃあその答えが出てくる問いは?」って考えてみると、意外とあっさり突破できたりするもんです。
人のいい部分を取り入れたい時でも、ブログのネタを考えるときでも、何か発想の部分で行き詰まりを感じたら、問題の方を言語化しにいくというアプローチをぜひ試してみてください。
今回は以上です。
ここまでお読みいただきありがとうございました!