昔の日記とかノートに書いてることにメロディーをつけてみたら面白いような気がして見返してみると、やっぱり歌いたい言葉が見つかる。
いつもなら素通りすることでも歌詞と思って見てみると、何か新しいアイデアが出てこないかと思って見ると違う印象になる。
ただの文章としては全然何の引っ掛かりもなくても、メロディーが付くことを想像しながら、それにふさわしい気がする言葉を見つけるつもりになっただけで、入ってきかたが全然違う。
ノートという塊の新しい遊び方を発見したので気持ちいい。
初めて「歌いたい感じ」が出てきた
最近は歌とか音楽の関心が若干強くなっていて、今まではとりあえずコードをひいてちょっと歌って満足していたが、これも創作的に捉えてみたときに、自分で曲を作ってみるという面白さを味わってみたい感じがしている。
といっても、歌を作るってやったことないし想像もしたことないので、どうやっていいのか分からなかったのだが、別に言葉とメロディーがあれば歌になると思い、
とはいってもその言葉が難しくて、普段適当に流して聞いてる歌の感じでやってみようとすれば、気持ちの悪い着飾った言葉ばかりになるので、どうしたものか、と思っていたが、
というか、書くことについては書きたい感じ、言いたい感じ、なんか今頭にある感じを見つける能力はかなり高くなっていて、そこはスムーズに出来るようになってきているが、
音楽については、歌いたい感じがよくわかっていなくて、だから創作としての音楽で遊べる気がしていなかった。
ただ、言葉はjpopのよくある感じをイメージして何か言おうとするから、僕の感じとマッチしていなくて気持ち悪くなるのであって、自分の本当の言葉ってどこにあるのかと考えてみれば、それは昔の日記やノートなのだ。
そこには、のちにブログ記事にしようとか、本を読んでの感想などもあるが、
別に誰に見せるつもりも一切なく、何となくその時考えていることや思っていることを書いてるだけのページもあり、そこにあるものは確実に嘘偽りのない本当の言葉である。
別に着飾ることもなく、無駄に取り繕ってるわけでもない当時の心境など。
これにメロディーをつけてみればいいのではと思った。
というか、そういう言葉を歌詞としてみていったときに、初めて歌いたい感じ、というのが分かったかもしれない。
歌いたい感じにもいろんな種類があると思うが、というのは、別に「人それぞれ違いますよね」ということでもなく、
自分の中でも、いろんな種類の「歌いたい」があって、今まさにあふれ出る形の歌いたいもあれば、人の言葉を見て歌いたいもあるだろうし、
その中で、今僕が感じ取ることができたのが、過去に自分が書いた文章を歌いたい、という歌いたいなのだ。
というわけで、しばらくこの感じで適当にメロディーをつけて遊んでみようと思う。本当はやってから書けばいい話ではあるが、でも今さっきそう思ったのだから仕方がない。
歌いたい気持ちと、その歌いたい気持ちについて書きたい気持ちの2つが同時に来て、僕はやっぱり今のところ書くほうが好きなので、書きたい気持ちの方を優先した。
理想は書くことと同じぐらい、滑らかに歌いたい→歌ってみた、歌い終わった、まで行きたいのだが、それはまだ一度もやったことないのだから、これから訓練していけばいい。
で、ここで歌いたいというフィルターを獲得したのは非常に大きなことな気がする。
だって、今までは書きたい気持ちしかもっていなかったから、何か本でもテレビでも会話でもいいけど、
その中で自分の内側で何かが立ち上がってきたとき、それを書くという形でしか表現できなくて、だからその出力方法が増えるのであればそれは喜ばしいと。
「歌いたいフィルター」にしか引っかからない言葉があるという発見
ただ、そっちもあるけど、それよりも、歌いたいフィルターにしか引っかからない言葉というのがあることに、さっき気づいた。
それは最初に書いたように、ノートを見返していて、別に自分の気持ちを書いてるだけのとこは、読む分には確かに面白い。
当時そんなことを考えていたのかと今の状況と比べても面白いし、というか、そういう面白さのためだけにノートを書いてたりする。
別に、情報を書き残してあとから利用しようとかはおまけのおまけであって、ただひたすら感情を記録する媒体だと思っている。
たぶん多くの人がSNSに書いているようなことをノートに書いておきたいのだと思う。
でそれもどうでもよくて、そんな言葉というのは、ノートを見返した時にはいつもスルーしていた。
読んで面白いけど、それで満足して十分。たいていはなにかそれをもとに書きたいことが見つからないかと思って読み返す。
ただ、今回歌いたい感じを探すという前提で読んでみたときに、そうやっていつもならスルーしていた言葉に引っ掛かりが生まれた。
サラサラすぎて手触りがよすぎて摩擦係数が小さすぎて、つるっつるだったはずの言葉たちが、でこぼこしだして、
そのまま流れようとすると指がこすれて血が出そうな、そんなざらつきのある何かに変化した。
つまり、歌いたい感じ、というセンサーも機能し始めたことによって、僕はおそらく「書きたい感じ」と「歌いたい感じ」の2本柱で世界を見ていける気がしている。
「書きたい感じ」しか知らない僕には気づけなかった言葉や自然や感情に気づけるようになるのかもしれない。
本当はもっと「○○したい感じ」、がいっぱいある方が面白いのだとは思うが、取りあえず僕はまだ2つ目である。
「○○したい感じ」を増やせば世界への引っ掛かりが増える
感覚を磨く、というのはこういう言い方もできるのかもしれない。
「感度を高める」とは、「○○したい感じ」をいっぱい持つということだ。
つまり2種類あるのだ。
「○○したい気持ちに気づけること」と「その○○したい感じの種類を増やすこと」
この2つが感度を高めるということである。
「書きたい気持ちフィルタ―」を持ってると、そこに引っ掛ける形で、外部の情報をかすめ取ることができて、
もしくは外に限らず、内面の微細な変化に気づけるかもしれなくて、
でも書きたいだけではなく、歌いたいもあって、もっと他にも作りたいとか、建てたいとか、描きたいとか、縫いたいとか、料理したい、話したいとか、そういうのがあって、
それがいっぱいあるほど、いろんな角度から目の前の対象を見ることができて、だからそれを味わえる度合いが増えて、同じ時間を過ごしていても拾える情報量が桁違いになっていく。
つまりそれは普通に生きてるだけで無限にインプットできるわけなので、いつでもそれを踏まえて掃き出したい流れが生まれていく、これによってエネルギーの湿地が潤っていく。
▶経験や情報の落としどころが見つかれば人生から退屈がなくなるという話