コラム(?)

それを考えることで他の問題も解決されるような「中心的な問題」から取り掛かるのがいいという話

ちょっと前にスザンヌ・ランガ―という美学者の『芸術とは何か』という本を読んでたんですが、

序盤に「中心的な問題から考える」という話が出てきて、これがおもしろい。

中心的な問題を考える

どんな文脈で出てきたのか確認するためにその少し前の話題から整理してみると、

まず科学と哲学には「事実を探求するのか」「意味を探求するのか」という違いがある。

例えば、「ここから太陽までの距離は?」と問われると、科学としては「何キロです」という事実でいいが、

もし「空間とは何か」「ここから太陽までの距離とはどんな意味か」と聞かれると、実験や観測などの科学的方法からは答えを出せない。

一番簡単な方法は、それぞれの言葉を定義すること、でもこれは簡単ではない、僕たちはそんなにはっきりした概念を確立してるわけではない。

空間とか距離とかなんとなくで使ってるけど、別にはっきりとした定義を持ち合わせているわけではない、だから雑に定義しようとすると結局わけわからんことになる。

で、このいろんな概念の基本的な意味を確立していくことが哲学の仕事で、これがあるからこそ科学が成り立つ。

これが「近代科学の哲学」ということになるが、一方で芸術に関する哲学はそれほど発達しているわけではない。

だから、同じように「芸術とは何か」「表現とは」「形式とは」と考えようとするとこれまた難しく、そう簡単に筋の通ったものにはならない。

じゃあどうしたらいいのかと言うと、

「一つの筋の通った理論、つまり、ある問題全般にわたる、関連した観念の体系を構成する第一歩は、中心的問題の解決、つまり、基調となる概念の確立からはじまる」(p4)

というわけである。

それぞれの語句の単位でどれだけ丁寧に見たところでまとまった一つの体系にはならなくて、むしろ、

中心的な一つの問題を明らかにする中でそれぞれの言葉の意味がはっきりしてくる、ということ。

中心的な問題とは

じゃあ中心的な問題ってなんやねんとなるわけですが、これについては分かりやすく、

中心的な問題とは、それを解決することが、他の問題を提起し、また時には解決もし、つまり、その一個の問題を解決することで、連鎖的にその周囲のいくつもの概念が明らかになっていくような、そんな問題。

ここまでを前置きとしたうえで、だからこの中では「創作とは何か」が論点となる。

この一個を徹底的に見ていけば、他の「芸術とは」「表現とは」「感情や形式とは」についても分かってくるでしょう、という理屈。

この感覚は面白くて、何か物事を考えていく時にそれを解決することによって、あ、ちなみにここでの「解決」は、「自分なりの答えを見出す」という意味で、

何か実生活上の具体的な問題というよりは、どちらかと言えば抽象的な、今取り組んでいることや気になっているテーマを掘り下げていくような、

より深いところから現状を見直そうとするときのような、そういう意味での問いや問題とそれに対する答え、

で、この場合、じゃあどこから手を付けていくかという時に、

「それを明らかにする中で周辺のいくつかの問題が同時に解決されていく話題や問題から攻めていく」

という発想で、これがおもろい。

人生や生活を考える場合でも

細かい問題を考えていくよりは中心にある太い話を正面から見ていくほうが結局周辺も含めて全体として分かってくる、

この本では芸術や創作についてが論点だが、

例えば、人生の軸で言えば漠然とやりたいこととか好きなことを一個二個考えて、それをもとに進めていこうとするからややこしいわけで、

「プログラミングが好きだからスクールに行ってIT系の会社に行けばいいか」ってその一個で考えてしまいがちで、それがしっくりこないと次は、

「英語が好きだから英語の先生をやろう」とか「子供が好きだからボランティアしよう」とか。

この辺は全部相互に作用しあっているので、部分だけを取り出してそれを軸に据えようとしても、その他の概念との衝突が起こるのは当然で、

だから抽象度を上げて全部を統合して、一旦人生全体の話として中心的な問題を考えようとしたのが人生の軸の記事とかで、

それによって逆に各部分同士がどう対応しているのかが見えてきて、人生全体の中でそれぞれとどう付き合っていけばいいのかと考えることができる。

太陽のことを考えようとすれば地球や月についても考えることになるよね~、土星の輪を調べる前に物理法則から考えようね~というわけです。