コラム(?)

非専門家であるとはどういうことか

いくつかの記事で「非専門家」について書いているが、これは専門家にならないことのいいわけであってはならない、そういうことではない。

ここでの非専門家とは、「自分独自のジャンルにおける専門家」ということである。

この世界である分野の専門家として表現されるのはすでに市民権を得ている分野に限られる。医者や弁護士や学者や、パン屋やミュージシャンやプログラマーなどの広く認知された領域において、その軸で突き抜けた人が一流であり専門化であると言われる。

図でイメージしてみるならば、この世界のあらゆる領域に一つの軸が対応していて、無限次元の情報空間が広がっている。

x軸が医療という軸なら、医者や看護師や医療従事者など、この軸上でより大きな値を持つ人が専門化であると言える。つまり、(x、0,0,0,、、、、)と表現される。

一方で僕たちは特に何かの専門家でないのならば、例えば医療については擦り傷の時には消毒してバンドエイドを張っておく、大けがしたら救急車を呼ぶ、頭を打った人は極力動かさないようにすると言ったことを知ってる程度なので、医療の軸については、極めて低い値を取る。

他の領域についても同様で、パンや音楽や法律や生物の知識はほとんどないに等しく到底専門家とはみなされない。

非専門家であろうとすることはこのことを積極的に肯定するように思えるが、これは半分正しく半分ちがっている。

ここで注意したいことは僕たちはみな自分の道を突き進んでいるということである。

つまり、既に存在する軸には一ミリも乗っていないが、実はその在り方自体が一つの軸を作っている。

これは既存の軸に射影した時にはすべて中途半端な値を取るが、でもその各分野の中途半端な値がすべて合わさってできるベクトルは、これは一つの軸をなす。

ここで、医療やパンの話しかしてなかったために本当に中途半端な人間のように思いがちだが、僕たちには自分だけの好奇心の対象やエネルギーの源泉が備わっている。

これに従って突き進む中で身に着いた知識や技術や経験は、既存の軸に降ろしてみれば、つまりその領域の専門家から見れば半端でしかないが、その半端なものの総体として浮かび上がる軸においては僕たちは独走しているのだ。

この軸においては専門家でなければならない。

でもこれはすでにある各カテゴリーの軸に直交するように直線を降ろして来れば、それが差すメモリの一つ一つは大したことがない、完全に非専門家である。

この意味で僕たちは非専門化であろうとする、それはつまり、自分だけの軸において超一流の専門家であることを意味する。

非専門家は枝分かれに気づかないからこそ全体のまま受け取ることができるという話

非専門家が生み出す、日常から立ち上がってくる芸術に注目していきたい話

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