苫米地英人とGTRを作った元日産の水野和敏の対談を見ていて、「日本的エンジニアリング」がかなり気になった。
部分と全体が双方向に関わっている
というのは、どこから手を付けていけばいいかむずいが、まずこのGTRを作ったチームの組織づくりとして、
水野氏は「リーダーを中心として波状に広がっていくようなイメージ」を持っていた。
具体的には週に一回50人ぐらいのチーム全体でミーティングをして、そこで営業やエンジニアやらが全員集まったそれぞれがどんな仕事をしてるのか把握できるような仕事の進め方をしていた。
これは全体と部分の話で、本来日本人はそういう風に仕事をしてきたと続く。
水野氏は「昔はCADとかもなかったわけだからトップが図面書いたらそれを頭の中で組み立てて立体的にどうなってるとか分かった上でみんな仕事してたんじゃないか」って想像していて、
他にも部分と全体というのは双方向につながっているから、例えばその車の一部分を見ただけでも全体が分かるようなものになっているはずって話が出てくる。
これは「神は細部に宿る」みたいに、精神的な話のように思えて、つまり細かいところにも注意しなあかんでみたいな話のようで、でももっとしっかり考えていくと、
全体は部分がただ集まったものではなくて、そこに血が通っているというか、
部分があったときに、それを作る人が「全体を踏まえた上でその部分の制作に取り掛かっていれば」その部分は全体になじむ仕上がりになるわけで、
ただその部分だけを作りました、ということではなく、全体とかほかの部分とのつながりや接続を念頭に置いて作るため、当然その一部に着目するだけでもすごさを見出せてしまうということになる。
仕事の進め方としての「分業」と「一人で全部」の対比
ここの件が猛烈に面白かったんですが、この面白さをどう言葉にすればいいかということで、
まずはこの数年ずっとうっすら気になってる部分と全体、完成と未完成の話がまずあって(ちなみに量子力学の初期の頃に大仕事をしたハイゼンベルグという物理学者の本に、『部分と全体』というのがありますね)、
それは物事に取り組むときの抽象的な方向性的に注目していたが、その具体的な形としてエンジニアリングやモノづくりがある。
つまり、全体に対しての能力や知識がある上で部分を作ることが部分と全体の双方向性を生み出し、
部分と全体がもう繋がりまくっていて「生きた状態になっている」というのは、その部分にすら全体を意識した上での仕掛けが見られるということ。
そして仕事の進め方としての「分業」と「一人で全部」の対比、これは部分と全体のつながりを持った状態で進めていくには、本来は一人ですべてわかっている必要があり、
全体を意識したうえで各パーツに取り掛かるからこそ抽象度の高い、つまりエネルギーの乗ったプロダクトができあがる。
さらにそれが日本の仕事の文化に元来組み込まれているということ。
日本における仕事や職人の精神、手工業の歴史を振り返るときの一つの見方として面白い、
つまり、日本人は古来から仕事やモノづくりをどのように進めてきたのか、をこの観点から見ることで、部分と全体のつながりを意識して何かを行う感覚を解剖していけるだろうという面白さ、
さらにこの対比として西洋の分業やギルド制があり、ここから資本主義とか、経済の話にまで広げていくとっかかりとしても機能する。
個人から湧き出るエネルギーとその循環
ここにあるのは、GPTに適当にまとめてもらったところによると、「エネルギーのあるものづくりとは?」という問いで、
これについてはエネルギーを循環させていく、というのが一つ中心にあるテーマで、そこからの派生として、
じゃあ各人から生み出される何かがエネルギーを持っているとはどういうことなのか、について掘り下げていこうとしている、と言える。
人間が自分の中にあるエネルギーが無限に湧いてくるような部分を見つけ、もしくはそれが湧いてくるように泉を見つけるのか湧き水が出てくるように掘っていくって言うのか分からないが、
そういったことをしてそんな場所を見つけ、さらにそれをもっと出てくるように促し、さらにそれを形にして周囲に送り出していくそれによってエネルギーは循環していき、
それによってできる電場というか重力場というかそこに引き付けられる人もしくはその形を持ったエネルギーを受け取る人の集まりがその人間のコミュニティであり経済圏であって、
そしてそこでのエネルギーの流れをより早く大きくまたその輪自体を広げていくことそれが今日が面白いってことで人生をちゃんと遊ぶってことで、自分自身として生きるということで、
そうなったときに今提示された「エネルギーのあるモノづくりとは?」という問いは初めからこの形で言語化されていたわけではないが、ここに提示されてからの後付けとしては、
これらのエネルギー循環の中で、個人の中で湧き出てくるエネルギーをいかに形にするか、という文脈で重要な考え方や哲学になってくる。
ここがあるから、その人が生み出す何かが、しっかりとそいつのエネルギーや熱量を備えている、という状態が成立する。
また「日本的仕事観とは?」という問いもGPTによるまとめの中で出てきたが、これも今ある状況から考える、という哲学者の三木清が言うところの実証精神の基本方針(『直観を磨くもの』またはこちらを参照)に則っていて、
つまり、自分の今生きている環境や状況からスタートする、
日本に生まれて日本で生きている日本人は、日本古来からの感性や感覚を振り返りそれを現代に呼び起こすことに関して他の人種に比べて優位性があるのだから、そこから始めていけばいいと言える。