吉本隆明という詩人の講演の書き起こしが無料で公開されてるんですが、その一つに「芸術言語論――沈黙から芸術まで」という回がありまして、ここで出てくるある話題が面白いので共有します。
「芸術言語、芸術文学の価値はどこにあるのか」という問いへの一つの見方を提示しています。
これが、自分らしさを知るとか体現するとか表現することと密接に関わってるんですね。
▶なぜ「属人性」や「その人らしさ」について考えておきたいのか
要は、「なぜ自己を知り、表現したいのか」に対する答えとして考えられるのです。吉本隆明自身はそういうつもりで話してるわけではないですけども。
文学芸術の価値は自己表現と自己表現の偶然の出会いでしかない
「つまり、偶然のように、ある読者は、あることを考え、偶然ある本を読み、そしたら、そこに書かれていることは、自分と同じようなことを考えてる人がいるんだなと読者の人に思わせたとか、自分はこう思ったけども、同じようなことを考えたけども、ここまでしか考えられなかったのに、この人は、もっと奥を考えているなということが分かったとか、そういう偶然と偶然の、それも、偶然と偶然と、しかも自己表現と自己表現が、たまたま出会った時しか、文学芸術の感銘っていうのは、ないわけなんですよ。それ以外の力っていうのは、ないわけですよ」
文学作品、文学芸術が受け手に感銘を起こすのは、作り手の問題意識や考えていることと、受け手のそれらがうまく響き合ったとき、重なり合ったときぐらいしかないのだと言ってます。
で、これは文学芸術に限らず、情報発信的な行為はだいたいこの感覚で説明できます。
つまり、「自分のために書かれている!」とか「自分が考えていたような問題を先に考えていて、さらに何歩か進んでいる人がここにいた!」って思うからその人に興味を持つわけですね。
だから伝統的な情報発信の文脈では「自分の言葉で書く」「自分の話をする」「コンセプトを考える」とかが言われてきたのでした。
情報発信におけるコンセプトというのは、自分の人生を振り返り、そこにあるテーマや重要な問題、問いを抽出して、それらが強調され、ちゃんと人に伝わる形である程度意識的に書いていきましょう、というものです。
これは書き手にとっても発信していく方向性を自覚する働きがあります。
で、当然それは受け手からすれば「どういう文脈や思い、流れから生まれてきたテキストなのか」がはっきりすることになります。
だからその受け手の自己表現とぶつかるというか共鳴が起こってくる。
そこで初めて、この人のほかの記事や発信も見てみようとか、それを飛び越えてその人自体に興味を持ち始めたりもします。
で、文学芸術は「そこにある自己表現がたまたま読者の自己表現と遭遇する、あるいは重なる瞬間にその作品が力を持ったことになる」わけですが、個人の発信に関しては、これをある意味自覚的に行いもします。
つまり価値の起こり方や構造としては似たところがあって、非専門的に個人の生活の中で取り組まれる情報発信にもここでの視点はそのまま持ってくることができます。
というかここの共通性を認識できないことにはそれは情報発信としてもピントを外すことになります。
自己表現の出会いが活発に起こってくるための
で、こうなると、なぜこれまで「その時々で作って残していく」「今しか作れないものを作っておく」と言った感覚について何度か考えてきたのかもわかります。
▶先に用意された空間を埋めるよりも瞬間の膨張としての満ちた広がりを感じたいですよねという話
これは個人に閉じたものとしては記録とか思い出みたいな意味もあるかもしれませんし、その形で自分らしさが現れてくる、といったことがあったりもします。
が、”他者との関係性の中で”という意味においては、「受け手の自己表出との衝突を引き起こすため」「その時のインパクトをより強めるため」と表現できます。
あんまりこれが先行しすぎて作為的になるのも違ってるんですけども、とはいえ、自己表出あるいは自己表現のこれらの機能や性質が、個人が自分らしさを体現して生きていく上では非常に重要になっいるのです。
自己表出と自己表出が出会うというのは、もう一度整理すると、
まず誰かが自分の抱えている問題意識だったり、考えていることがあり、それが何らかの形で(ここでは本とか文章とか記事コンテンツなどとして)表現されます。
そしてそれをまた別の誰かが受けとるとき、その受け手が「この人は自分と似たようなことを考えている、自分よりもっと先まで進んでいる、こんな風に考えるのか」などと感じることがあります。
この瞬間が二つの自己表出の出会いです。
で、「そこにしか文学芸術の感銘、あるいは芸術言語の価値はないんですよ」というのが元の吉本隆明の主張でした。
つまりここにはどうしても偶然性が絡んできます。大げさに言えば奇跡的なわけです。
で、この奇跡を無事に迎えるために、そこに自己がある程度ちゃんと表出されていてほしいわけです。
なぜならそれこそが出会いの拠り所だからです。
だから自己に自覚的で、かつちょうどいい感じに表現できることが大事になってくるんです。
ちなみになぜこの手の出会いについて考えるのかというと、それはお気づきの通り一人で好き勝手やってるだけではおもんないからです。
僕たちはそれで満足できる芸術家や数学者の類ではないはずだからです。
そんなわけで自己表出が出会うと嬉しいのであり、それには自己をその自己ごとにちょうどいい形で表現できることが求められるのです。
現在、やりたいことや没頭できることがなく、でも何からやればいいかわからないという、人生と向き合い中な方向けに
●客観的な幸せや豊かさではなく、自分のコアや方向性を見定める
●ゼロヒャクのおもんなくそ真面目二項対立思考を手放す
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