人生の軸を見立てる

社会的な成功・優越感と自分の軸・価値観について【人生の軸Q&A⑩】

前回

「三大欲求並みの欲求の根幹に近い「やりたい事」を未来の理想図に組み込んでも良いのでしょうか。」【人生の軸Q&A⑨】

質問:社会性と「人生の軸」の関連性

お久しぶりです。今日も今日とて自分のやりたい事を探して色々考えていた訳なのですが、その過程で良さそうな考えを思いついたので共有したいと思い記述します。

人生の軸の探し方で、高本さんは「共通性」「抽象化」を重要な点として挙げていましたよね。そして、その前にはまず自分の感情が動いた出来事・事柄をできるだけ書き出していく。この書き出していく過程において、自分の本当の軸を探し出す為に有効な方法を思いついたのです。

例えば、「あなたは将来どうなっていたい?」という質問に以下の三つの答えを書き出したとします。

  1. 高学歴になり、良い就職先に勤め、東京で高級住宅に住みたい
  2. 布団の中で小説を読む安心感が好きだから、安心感のある家と環境を作りたい
  3. 他者に尊敬され、褒められたい

こうやって書き出していくのは良いんですが、そこからさらに「社会的な欲から生まれたやりたい事か否か」の視点で考えると、

  1. 「社会的な成功のモデル」を求める欲、
  2. 「社会性がなく、快感のもとに他者を必要としない」欲
  3. 「承認欲求」です。

そして、人生の軸に近いのは分かりきっているでしょうが2です。何が言いたいかというと、人間は「社会的な生物」である為に、自分の特性ではない「社会的な欲」にも動機づけられてしまう。しかし、本当に自身が満足できるのは「社会性から離れた個々」の中で生まれた欲求を満たす事だけ。だから、一旦自分のやりたい事が「社会的な欲求」から生まれているかどうか確かめてみると良い、という話です。どうでしょう。

(蛇足)補足すると、僕のこの考えは社会的な欲求そのものを否定している訳ではなく、「人生の軸を探す手段として、この考え方を使えば良いよね」という提案です。人間は社会的な生き物ですので、確かアドラーも言っていたと思いますが最終的には社会からの承認を得る必要があるらしいんです。知らんけど。

そして何故この考え方に辿り着いたかを自己満で記すと、

「自由に生きる!」と銘打たれたSNSの投稿を見る

俺「でもこれって結局ガワが民主的な思想になって大衆受けがしやすく正しそうに見えるだけで、この投稿に惹かれていたらそれは本当に自由を欲してるんじゃなくて新しい社会の成功の姿を求めてるだけだよね……」

「あれ?じゃあ俺の中にもそう言った社会性から生まれた欲求があるんじゃね?」

今に至る

と言った感じです。

返信:「社会的な欲求」も統合の対象

お久しぶりです、お疲れ様です。社会的な欲求から生まれているか確かめると良いという話ですが、これはその通りです。

僕もあまり言及できていなかったかもしれませんが、自分がやりたいと思っていても、親やテレビや学校の先生などから植え付けられている価値観から出てきていることがあり、だからそういう他人の目を一切排除して自分の内側にあるやりたいことやそんなビジョン、ゴールを考えていく、というのが元々の発想ではあります。例えば、株をやりたいと思ったのは、昔ニュースで6面モニターでチャートを見ているトレーダーの映像が流れていたからだったりします。

で、社会的な欲求から生まれているか、というのはこれは僕はどちらでも良いと思っていて、とにかくそれを人生の軸とします、ということになったときにそれで今日から気持ちよく過ごせるのか、ということなんですね。別に高学歴になって良い就職先に勤め、東京の高級住宅の布団の中で小説を読んで安心感に浸ってもよくて。

でもそれは一日の一側面でしかないので、仕事して小説読んでいるだけだと、「なんか最近面白くないな」となってきたりするはずなんですねwもうちょっとこんな人とこんなことしていきたいとか、小説の感想を共有したいとか、自分でも書いてみたいとか。

で、そういうところから社会性につながってきます。だから漠然とした社会的成功とか欲求とかじゃなくて、その人の個人的な欲求やエネルギーの源泉に根差した形で社会に繋がっていくルートがあるわけです。というか、そういうことを考えていくわけですね。

もちろん、仕事して小説読んでというのをリアルに描いて、「いや大丈夫」ということであれば、そこに向かって今日勉強して、いい小説見つけたら買って読んでいけば、ちゃんとその方向に進めているということになります。それで嬉しいはずです。それが微妙かなってなる場合に、じゃあどういう一日の流れや生活であれば満足するのか考えるわけですね。

それが全部書き出すということで、その上でそれらを全回収できるように統合していきます。そして、過去のエネルギーの上がり下がりから将来の過ごし方の感じまで全てを一つのフレーズなり文章なりで表現できて、それを人生の軸と言っていました。だから社会的な成功とか個人的な欲求とか何でも良いんですが、とにかくそれらが全部繋がったようなイメージ、それが「統合する」ということです。

補足の話で言うと、「自由に生きる」という投稿に目をひかれたときに、島谷さんの人生において「自由」ってどんな状態なのか、って考えるのが人生の軸のワークに含まれているわけです。

マズローの欲求階層説で言えば、ちゃんと生活できるという段階があって、次は社会集団にうまく馴染めるという段階があって、その上に自己実現や自己超越があって、だから全部満たされているのが理想で、そういうのもひっくるめての人生の軸ということなのです。だから社会性から生まれる欲求があっても良く、それが自分の人生においてはどういう形で実現されていてほしいのかというのを考えようとしていたわけです。

読者からの質問:社会的な欲求と自分の価値観の葛藤

返信ありがとうございます。理解が深まりました。

これは悩みなのですが、「社会性」から生まれた欲求は大抵が満たされても楽しくないと思うんですよね。

僕の場合だと、高校生という事で大学進学の人生の岐路に立たされているわけで、それで「社会的に成功したい」「学歴で優位に立ちたい」「優越感を得たい」という他者の存在が前提の欲求、つまり社会的な欲求が生まれ、結果的に意欲的に勉強しているわけです。しかし、楽しくない。

著名大に進学する人間は、「研究がしたいから」「知見を深めたいから」「外国人と交流したいから」と自分の価値観で進学する人が客観的には多いです。勿論、「学歴優位」を取るために入る人間もいるでしょうが、その学歴の先には「この業界で仕事したい」という自分なりの価値観を据えています。

何が言いたいかというと、僕は社会的優位を取るための勉強しかしてない訳で、じゃあそれを取って何がしたいのと言われても?マークしか出ない。そんなので満たされるのか、他者に勝つための努力は果たして終わりはあるのか、という悩みです。

学歴があるとお金が入る、お金が入ったら何がしたい?→「特に何も」

こんな中途半端な動機で、今の自分のレベルより上の大学に行く努力ができるのか、という悩みでもあります。言語化が難しいのですが、社会性から生まれた価値観や動機は、それは自分の芯から願う価値観つまり人生の軸ではなく、それを叶えて手に入るのは充足ではなく優越感のみなんですよ。高本さんのいう「人生の軸」とはニュアンスが異なるんです。

ですが、無意識に社会的な常識や成功を自分の芯からの欲求と誤解してしまい、「自分の価値観?それとも社会的な価値観?」と分からなくなってしまう。それで今混乱しているわけです。

勿論、貴元さんの言う通り社会的な欲求があってもいいんです。しかし、それが自分の価値観であるかどうかと言うその一点でニュアンスが変わるんです。「社会的な成功」を心から望むのならいいんです。なぜ望むのか、それを手に入れて幸せか、ここまで自分で納得できるのならいいんです。

これは僕の学校の進路探究の授業で友達が出した「やりたい事」なんですが、「マンション最上階でワインを嗜みたい」ということを発表しました。もし、なぜそうしたいのかに「優越感が大切だから」と納得があればいいんですよ。それが自分の価値観だから。

ですが、大半は「社会的な成功」という外部の価値観を無理やり納得の材料に使って、それを自分の幸福だと誤解してしまっている。そして、その社会的な価値観と自分の価値観の分離ができない。

言いたい事は、「社会的な欲求もあってもいいけど、その欲求に自分の価値観で納得できているのか?」という疑問です。

返信:社会的な欲求の深掘り

「社会性から生まれた価値観や動機は、それは自分の芯から願う価値観つまり人生の軸ではなく、それを叶えて手に入るのは充足ではなく優越感のみなんですよ。」

これをご自分で理解されていて、今意欲的に勉強していることについて、「しかし、楽しくない。」と言われているわけですよね。

その上で、なぜ優越感しか手に入らないと分かっていて、学歴やお金を重要だと感じているのでしょう? そこをもう少し具体的に掘り下げてみてもいいかと思います。

そのためにブレインダンプというものがあったりするので、なぜ学歴が欲しいのか、なぜお金が欲しいのか、なぜ優越感が欲しいのか、それぞれについて自分のジャッジを挟まず一度書き出してみると良いのではないでしょうか。

島谷さんの言う社会的な欲求にも、誰かから重要だと刷り込まれているものと、本当にその中でも自分の価値観と結びついているものがあるはずです。

例えば学歴で言えば、今の島谷さんも高校生としてはある意味学歴があるわけですよね。同じ高校にいればみんな似たような学力ですが、小学校中学校の友達からすれば「頭いいな〜」となってるんだと思います。で、それで今どういう気持ちなのでしょう。「俺、学歴ええわ〜」って思えていたら、大成功ですよね。

お金についても、じゃあなぜ特に何もしたいわけでもないのにお金が欲しいと思っているのでしょう?もっと言えば具体的にどれくらいの収入が欲しいと思っているのでしょう?

僕は大学生の時に、このままそこそこの企業に就職するとしたらどうなるかシミュレーションしてみたことがあるんですね。その時は修士課程に進学するか分からなかったので、大卒と仮定してみましたが、大体手取り20万くらいでした。で、そこから会社に近いところに住みたいので家賃はこれくらいで、食費はとか、月3万ずつ積み立て投資するとして〜とか、考えていたら、自由に使えるお金が少なすぎてビビりました。普通に働いてたら全然あかんやんって思いました。で、このルートは無し!ってことで色々考えるようになりました。人生の軸とかのもっと前の話ですが。

僕は高校生の時に島谷さんほどちゃんと考えたことがなかったので、クリアにというか具体性をもって想像できる範囲がどれくらいか分からないんですが、社会的な欲求と自分の価値観からくる欲求を見極めるとなると、ある程度徹底して掘り下げていく必要はあるんだと思います。