前回
▶「強い目的意識があって自分の軸から動いているように見える人と僕は何が違うのでしょう?」【人生の軸Q&A⑧】
質問:人生の軸と未来の理想図、どう考える?
ありがとうございます。参考にさせていただきますね。
本文を読み返していたら、再度疑問が湧いたので質問させてください。返信はいつでも大丈夫です。
「未来どうなっていたいか、どうなって欲しいか」に関してですが、これには現状の積み重ねでできるものではダメだとありました。ですが、これには現状やりたい事を含んでいても良いのでしょうか。
僕が見つけた軸は、三大欲求並みの、欲求の根幹に近い「やりたい事」に関する軸です。つまり、価値観でもあります。これを未来の理想図に組み込んでも良いのでしょうか。
そもそも、未来の理想図とはどのように考えたら良いのでしょうか。今までの僕の「人生の軸」の解釈では、軸とは自分が熱中できるやりたい事だと思っていました。ですが、高本さんの人生の軸は「未来どうなっていたいか」という、価値観ですよね。
高本さんはどういった基準で大学を選んだのでしょうか。失礼ながら、随分と遅い時間になってしまいましたので、お好きな時間に返信して頂いて構いません。
返信:人生の軸はあくまでも設定
ちょっとややこしかったかもしれないですね。その解釈でも別に間違っているわけではなく、島谷さんの言う人生の軸(=自分が熱中できるやりたいこと)をできていれば、それがすなわち理想図になっているはずですよね、というイメージです。だから具体的な一つの行為というよりは、もう少し幅広い行動指針とか選択基準、あるいは人生のキャッチコピーという感じでしょうか。
僕はブログだと「人生をちゃんと遊ぶ」というキャッチーな言い方をしていますが、個人的にしっくりくるのは「感覚と行動を一致させる」というものです。自分がやりたいとか興味を感じたものを、理屈で否定せずにそちらに向かっていく。そして、そこでの楽しい感じやエネルギーを還元しながら周りを巻き込み、さらに先に進んでいく。これが僕がそうありたいとワークの中で判明した状態で、それをブログなどでは「人生の軸」と説明しています。
その上で、例えば先ほどの畑の話で言えば、僕の場合、森を開拓してロッジ的なのを建てて、その近くには畑があり、野菜を収穫し、夕方ぐらいからみんなで集まってBBQしつつ、日が落ちたらキャンプファイヤーの火の周りを楽器を持って囲み歌い、夜中は酒を飲みながらボードゲームをして、次の日の昼前に解散する、という一日をなんとなく描いているんですね。
これは現状では達成できません。でもこの一日が実現されるには、畑で野菜を採れている未来の自分がまずいるはずです。でも今の自分はそうではありません。だから違和感があるわけです。だから畑をやりたいと思い、最近手伝いに行ってみたんです。つまり、畑をやりたいというのは現状のやりたいことですが、それは未来側から見てそうなっていないとおかしい「今」としてやりたい、という感じです。
だから先ほど「やるべきこと・やりたいこともどんどん見つかりました」と言われていたと思いますが、それが自然な状態で、つまり、島谷さんの軸から降りてきた行動としてそれらがあるわけですよね。だから何もおかしなことではないと思います。もしそれらをやる中で、最近やる気が出ないとか、前みたいにエネルギーが乗ってこないのが続く場合は、それはもうゴールが近いということだと解釈します。そのまま続けていれば達成できそうなので、パワーが出ないのです。そうなると、また少し先の達成の仕方が分からないような絵を浮かべてみます。すると、次はそこに到達するためにまずはこれをやりたい、というのが出てきたりします。そういう感覚なんですが、どうでしょうか。
こういうと身も蓋もないのですが、あくまでも「設定」なので、厳密に「こうしないといけない」とか「これを含んでいい」「良くない」とかではなくて、「自分でこういうものを大事に、こちらの方向にしばらく進んでみよう」と思えるようにしたいだけなんですね。だから昼過ぎのメッセージの感じを見て、すごくしっくり来ている人の文面だと感じたので、それで問題ないんじゃないかとは思いますが、いかがでしょう。
質問:現在志向と未来志向の軸
なるほど、行動指針ですね。自分なりに軸を見つけ、そのためにはどうしたら良いかを考えているという点では、僕もしっかりと行動指針を見つけられていますね。
ここで多少論じたいのですが、自分の人生の軸は確かに言語化できました。それを行動指針として「じゃあ将来どうなっていたいか」について考え、できた目的に現状を引き上げて努力していくと。となると、今やろうと思っていない事でも、軸を判断基準にした将来図を描けばやろうと意欲を持てる、という解釈でいいのでしょうか。
僕のイメージだと、将来図だとか目標は自分の軸に合わせて生きているうち、もしくはふとした時に明確になるものであって、軸を言語化した後に「じゃあこれだ!!」と思うものでは無く。それとも、高本さんの探した軸と僕の探し当てた軸の種類の差異が問題でしょうか。
僕の軸はどちらかと言うと自分が快感を得られるもの寄り、つまり趣味寄りの軸です。(現在志向) 対して高本さんの軸は、前述した通り人生のテーマ、人生の選択の選択基準です。(未来志向)
現在志向なら、それをやっているうちに短期的な将来図も湧いてくるでしょう。(例: ギター好きの少年が弾いているうちにプロを目指すようになる)
未来志向なら、自分の生き方全体を見通して考えているので、ある程度長期の将来図も描ける。(高本さんの言う通り、ちゃんと遊ぶだったら生き方そのものを予測できる)
この違いだと思うんです。なぜこんな疑問を持ったかと言うと、自分の軸は「略して創作」ですが、「じゃあ10年後どうなっていたいの?」と聞かれれば「うーん、今やりたい事なら分かるけどなぁ」と首を捻ってしまいます。自分が探し当てたのは「快楽の源」でした。「人生のテーマ」、価値観というものはまだ探し当てていません。頑張ってみます。
返信:人生と日常の統合、自己コントロール
となると、今やろうと思っていない事でも、軸を判断基準にした将来図を描けばやろうと意欲を持てる、という解釈でいいのでしょうか。
ここについてはその通りだと思います。ただ、本当にやりたいことだったら、です。つまり、別に何も興味ないけど、適当にサッカーを取り上げてそれでビジョンを想像すればサッカーをやりたくなる、ということではありません。ブログを書きたいはずなのに、なんかやる気が出ない、おかしいな。それはブログで何となくお金を稼ぎたいとしか思っていないからで、ブログの記事を通して他者とどうかかわり、それによってどんな世界が実現されていくのかという景色を見ていれば(めちゃくちゃ例えばですが)、現時点でのブログとのかかわり方は変わってきますよね、ぐらいのことです。
次に、現在志向と未来志向についてですが、確かにどちらが強いというのはあるのかもしれません。ただ、僕が元々人生の軸というものに求めていたのは「人生」と「日常」の統合です。やったことないけど興味を持ったことを適当にやってみた時もあり(ギターも機械学習もそうでした)、でもその一瞬楽しいだけで、結局この先どうすればいいのかという問題は解消されませんでした。そこで、それまでの充実度の傾きの変化や、今やりたいこと、好きなこと、興味あること、3、40年後の姿、こんな風に死ねたら悪くはなかったと思えるかもしれない、ということをすべて抽象化して一つにひっくるめたものが「ちゃんと遊ぶ」という感覚なんですね。
これは、自分が進みたい方向に進んでいくという未来への志向と、でもその瞬間ごとの楽しそうな雰囲気や興味に任せてどこにでも流れていく感じ、つまりこれが「今日一日を目的のための手段にしない」ということになりますが、この人生の方向と日常の態度の両方を大事にしていきたいわけなんですね。
「10年後どうかと考えるとうーんとなる」ということですが、それでいいんだと思います。僕はそこまで考えないとあまり気持ちよく過ごせなかったので、最初にその時点で考えられるところまで全部考えたかったのでしょう。でもそれで「人生のテーマはこれだ」と思ったとしても、そこから生きていく中で新たにやりたいと思うことも出てくれば、そのビジョンを修正することもいくらでもあります。だからどこまで行っても「仮」でしかないんですね。そして、その「仮」を現時点でどの程度持っておきたいのか、ということなのかもしれません。そういう意味では島谷さんは僕ほどは必要としていないのかもしれなくて、だから動きながら見つけていくので十分気持ちよく過ごしていけるのかもしれませんね。
質問:熱中と得意が導く理想図
そうですね。軸は定まりましたが、それはある程度の人生の進路選びの指針でしかなく、それを選べば絶対楽しいというものではありませんし。
「人生と日常の統合」の観点から、自分の軸に多少探りを入れていきます。とりあえず寝ます。高校生にも関わらず10時半に寝ているというのが自慢なので。
この回答に質問が。現状を拡大させていって、その先に理想を置く、という話でしたが、それに必要なのは熱中している物と得意な物ではないでしょうか。
先ほどChatGPTと論じてきて、ホリエモンをロールモデルとして解釈してきました。まず彼の変遷としてはざっと、「熱中→得意→役立つ→社会変革」の四段階に分けられます。ここで、短期的な快楽に吸い込まれてしまうのは「現状でも達成可能な目標を置いているからだ」という話でしたが、そうではなくて、「先に熱中している物があって、それを次第に社会変革・自己理想化にシフトさせていく」ことによって防げるのではないでしょうか。
自分には得意はいくつもありますが、これと言える熱中はありません。それによって、「現状の拡大」という解釈にハテナマークを浮かべたのだと思います。そりゃ、得意なものはあるけど、四六時中やっている事は分かんねぇなぁと。
「熱中」「得意」、この二つを現状と捉えて、そこから理想の部分に「現状では実現できない物を置く」ことによって現状が変わっていく、こういった解釈が適当だと思うのですが、どうでしょう。
例えば、熱中が無いと言いましたがあれは嘘です。よく考えたら僕は「お喋り・笑わせる」という熱中?と得意がありました。ここから考えられる理想図としては、
「配信者として活動する事で楽しむ」
↓
「コメディアンとして世界を愉快にする」
みたいな感じです。
返信:人生の軸と内発的動機付け
元々僕が考えた人生の軸というのは、それまでをグラフにした時に、どういうタイミングで気分が下がったり不調になるか、というデータを統合していったものでもあります。だから、何か一つ特定の名前の付いた行為を頑張りたいとか頑張れたらいいとかではないんですね。具体的には前にも言ったように、自分の感覚と行動が一致しているか、です。
何か興味を持ったり面白そうに感じた方向をちゃんと選べているか。だから、そういう意思決定の上で何かに取り組んでいる時間は、僕にとってはすべて人生に熱中できている状態なのです。僕のデータから分かる不調に陥りそうなきっかけを回避できるということです。もちろんわざわざ「人生の軸」という言葉を当てはめて無理やり言語にしていたり、今はこうして後からきれいに整えながら話しているので、毎秒そうなっているというわけではありませんが。
だから「お喋り・笑わせる」のが熱中とか得意かもしれないということですが、僕のアプローチとしては、そういうのを全部ひっくるめて「どんな人生の終わりに向かっていきたいか、またそこに向かって日々どんな時間を過ごしていきたいか」を内包したものとして人生の軸と呼んでいます。
だからもちろんそれはそれでいいのですが、僕だったら、おしゃべりや笑わせるのが好きだからといって、配信者やコメディアンになりたいかと思うと微妙だと考える気がします。それだと、島谷さんが言うところの他の熱中や得意を満たせないかもしれないからです。つまり、別に笑わせたいだけなら、普段のコミュニケーションでもいくらでもその機会はあるはずで、おしゃべりや人を笑わせることが好きならそれで十分かもしれませんよね。
ぱっと出てくる一つの熱中に一つの道を当てはめるのだと、すでに枠が完成しているところにはまりに行くことになります。『一問一答で人生の軸は見つからない』という電子書籍もそういう意図で書きました。英語が好きだから英語教師になる、みたいなことです。
でも人間はいろんな個性があるので、そのように昔からずっと誰かが整えてきたような枠には収まらないものだと思います。英語なら英語の何がどう好きなのか、人を笑わせるなら、どんな人とどうかかわることが気持ちいいのか。子供を笑わせるほうに着目すれば保育士の可能性もあると思います。教師になって、楽しい授業をすることも可能性としてなくはないです。
そうなると、なんでもいけてしまうのです。その中で、じゃあどういう方向の「お喋りや笑わせる」をやっていきたいのか、つまり、理想の状態というのは、特定の職業とかではなく、仮に、コメディアンとして世界を愉快にする方向で考えるのであれば、じゃあそこでの世界ってどういうものなのか、愉快ってどういう状態なのか、どんな世界になっていてほしいのか、どこで誰とどんな時間が迎えられたら理想が実現したことになるのか、この辺りを徹底的に考えるということです。
もちろんこれは再三言っているように僕はそう考えた、というだけなので、島谷さんなりに納得する落としどころが見つかれば、それで日々爽やかに過ごしていってもらえたらと思います。