▶社会的な成功・優越感と自分の軸・価値観について【人生の軸Q&A⑩】
質問:人生の当事者意識の欠如
もやもやの正体が分かりました。というより、これが今まで自分が悩んできた要因かもしれません。それは、「人生の当事者意識」です。
今まで自分は、自分で選んで生きてきたと思っていました。しかし、中学の時に高校の進路を決めようとした時、偏差値の一番高い高校ならいいなとぼんやりとしか思えず、結果その高校に受験すらせず今の高校に甘んじています。全く自分で選択もせず、社会的な価値基準で物事を定めて、そして努力すらしていない。
自分で選んだ結果がどのように自分の日常に影響するかが分かっていないのか、全く自分の人生を自分事として捉えられていません。これから行く大学すらも、就職先や自分の人生すらも何となくでこれからも決めてしまう気がします。それだけは避けたいです。
今やろうと思っているのは、
- やりたい事を深掘りしたら目標ができるのではないかを検証
- 「どうせ他人が代わりにやってくれる」という他責思考が原因かもしれないから、全て自己責任の選択を積み重ねる
- 同上の理由から、一度自分一人で旅に出る、または自立して全ての自分の責任であるという認識を養う
です。しかし、人生経験が甘く、どうやったら良いのかまだ思索の前途にあります。
高本さんに、「人生の当事者意識」に関して何か意見を頂きたいです。
返信:100%自分の責任を負う
人生の当事者意識について、ということですが、これはめちゃくちゃ大事です。「100%自分が責任を負う」という意識は、絶対という言い方はあまりしたくありませんが、僕としては絶対だと思っています。
いつそんなことを思ったのかと言うと、これもどこかで話したことあるかもしれませんが、僕は一浪して私立大学に行くことになったんですが、受験する大学を考えるときに両親に学費のことも含めて受験校の相談をしてみると、「どこでも受けていいよ、奨学金は借りなあかんかもしれんけど」と言われました。
じゃあ最悪行きたいところ受からなくて私立になってもまあいいかと受験して、結局落ちたんですけど、奨学金は半分ぐらい借りたらいいかなって思ってたんですが、全額奨学金でってことになったんですね。で、いや、それは聞いてないってなりまして、私立なので、4年で多分7、800万ぐらいになるんですね、入学した瞬間から大借金です。で、「それやったら先にもうちょっと言っといてや」と思いました。それなら別にもう一つ二つ落とせば受かりそうな国公立もあったと。
一週間ぐらいもやもやしてたんですが、そこで気づいたんですね。「あ、そうか、こっから先はもうすべて、全部自分の責任で生きていかなあかんねや」って。高校は特待生で入学できたので、その辺のお金のことは全部親に任せてたんですが、そのまま行ってしまったのがミスっていました。大丈夫やでって言われようが、具体的な金額の話までするとか、いくらでもやりようはあったわけです。そもそもその奨学金も確か高校の成績的には返済しなくていいやつももらえたはずなんですね。でもその辺も全部適当にしていたのが、結果的に今の状況を生み出していました。
ということで、あ、なるほどと。こっからはもう一切人に委ねるのをやめようと思いました。親でも友達でも頼ることや協力してもらうことはあるかもしれませんが、その最後の責任は完全に自分が受け持つ必要があるのです。一ミリでも甘えたら駄目なんです。駄目というよりは、「いやそれやったらこうしてたわ」ってなりたくないだけなんですけど。いちいち人に対して不満に思ったところで、その人が何かしてくれるわけではありません。してくれることがあってもそれはマジでラッキーでしかなくて、そんなものはないと思っておくのが普通です。全部何がどんな結果になろうともすべて100%完全に自分の責任です、ということにその時気づいたんですね。
でも逆に言うとですね、最後の責任を自分が引き受けさえすれば何をしてもいいんです。もちろん倫理的な範囲はありますが、何でも好きにしてよくて、全部うまくいかなければ最後は死ぬだけです。そういえば何か月か前に『食えなんだら食うな』というタイトルの本を見つけて、中身は読んでないんですが、たぶんそういう話です。もうそういうことです。食えないなら食いません、死にます。でもその代わり好きにさせてもらいますってことです。と言っても実際は生活保護とかがあるので多分死ぬことはありません。ということで人に伺い立てることをやめれば何でも自由にしていいのです。さすがに未成年の内は制限はありますが。
もっと言うと法律も破ったら駄目なのではなく、違反したらその責任を負いましょうねってことだと思うのです。当然人の自由を奪う振る舞いは駄目ですが、信号無視を絶対にしてはいけないのではなく、信号無視するならたまたま警察に見つかって罰金になっても知りませんよってことです。
この辺の話は僕の中では大前提だったんですが、確かにブログなどではあまり書いてなかったかもしれません。主人公感というのはそういうことも含んでいます。人生の主人公として生きていくというのは、目の前の結果の全責任を自分が受け持つということです。だから現状について不平不満を言ってる人はよく分かりません。不満があるならどうにかしようと動けばいいだけです。すぐによくなるかは分かりませんが、文句言ってても意味ないことだけは確かです。
親ガチャとかも意味分かりません。人によって環境が違うのはそんなことは当たり前で、その上でその人生の中でどう生きたいのか、というだけだと思ってます。別に文句だけ言ってて過ごしたい人はそれでいいと思いますが、僕はそれは面白くないのでそうするつもりはありません。一ミリたりとも人に委ねなければめちゃくちゃ面白いです。何をしてもいいんです。現状はすべて自分の選択によって生まれています。
で、僕の場合は大学入学直後のその経験一発で完全にそういう発想になったんですが、これは理屈だけ分かってても多分仕方なかったりすると思っていて、それこそ人生の軸とかを考えて「これや!」ってなった時ぐらいのある種悟りみたいなものなのかもしれません。だから「どうすれば」ってなると、ちょっと分からない部分もあります。旅とかは確かに選択肢や可能性としてはあると思いますが、実際どうなのかは分かりません。
でも「どうせ他人が、、」という発想だと、今後多分面白くなくなる時が来るとは思います。どこかで、「うわ、自分でやればよかった、考えればよかった」ってイベントが来ると思います。それは五年後なのか十年後なのかは分かりませんが、他責の時点でその期待値が正であることは間違いないので、毎日ただ生きているだけでも十分に試行回数を稼げてしまいます。どこかで現象化します。運が良ければ死ぬまで引き当てない可能性もないことはないですが、でも、僕はそういう生き方は面白くないと思ってます。僕が思う気持ちのいい生き方ではありません。
だからどうするかは自由なんですが、あ、今思い出したのは、高校は行きたかったところに3点ぐらい足りなくて落ちて私立だったんですが、そこは自分の区域で3番目ぐらいの学力だったんですね。で、2番目のところだと半額免除ぐらいで、3番目だと多分全額免除になるというのを当時通ってた塾の塾長に言われて、僕はあまり考えてなかったので、というかすぐ答えを出さないといけないと思って、じゃあそっちでって3番目のところに通うことになりました。
で、通学が一時間ぐらいで結構しんどかったんですが、2番目の方だと自転車で20分ぐらいで、こっちでもよかったかもなーとか思ったりもしてました。そういうのも全部、自分の選択に人を介入させたからです。自分で決めれば、後悔することもありません。というか、僕の場合はそういうのもひっくるめて感覚と行動を一致させていくということなんですね。
誰が言ってるとかどうでもよくて、自分の心が反応してるかです。で、そっちに飛び込んでいく時に、最後は自分で責任取るから、ってなるのが自責ってことなんだと思います。大学院まで行ったのに就職せずにコロンビアに行くとかも普通に考えたら意味分かりません。同期は多分そこそこ良いところで働いてると思います。でもいいんです。こっちのほうがおもしろそうな気がしたので。
あとは自責で言うと、目の前の結果から何を学び取ろうって考えるわけです。今がなんか違うってなったら、じゃあこの結果は自分のどの行動または思考が生み出したのかって考えます、ひたすらたどっていくと、「ああ、あの時こう考えたからか」って出てきます。どんだけ誰かのせいになりそうなことでも1個ぐらいは自分が何とか出来た部分はあります。
そうやって考えていくと、逆にあの時のあれはこういう意味があったのかと思えてきます。あれのおかげで今のこれがあるのかと、そうすると全部に感謝も出来ます。全部が自分の責任だからこそ、あの人はこんだけやってくれてたのに自分が気付かなかったから、とか、もっとできたことあったなとか。
これは別に偉ぶろうとするわけではなく、そっちの方が気持ちいいですよねってことなんですね。僕はどうやったら毎日いい感じに過ごせるのか、そしてそれが周りの人も含めて宇宙全体にまで広がっていくのかってことに興味があります。だから人に文句を言ってる面白くない時間は必要ないのです。そんな感じです。
返信
ありがとうございます。読ませて頂きました。
まだ、僕は親や他人に甘えています。反抗してばかりであるのに、自立は一切しておらず。自分の責任を受け取る人数が自分一人ではなく、家族や先生、友達といった3、4、5…人となってしまって、結果「自分一人が受け取る責任の量は少ないしいっか」となってしまう訳です。
まだ、「自分しかいない」と危機感を抱ける様になる方法は分かりませんが、でもその方法を考えなければいけないのも自分自身です。高一の段階で気づけただけ良かったのかもしれません。頑張ります。