こんにちは、高本です。
今日は「悩みは創作意欲であると考えると面白い」という話です。
さっき、ちょっとこれからどうしようかって考えてたんですね。
本を作るとか何となくやりたいことはあるのですが、そもそもなんでそれをやりたいのかってことなんです。
というのを、「あれ?」と思ってもう一回考えてみてたんですね。
でも数分考えたぐらいで答えは出てこないわけで、「あれ、どうしようか」と思ったわけです。
でもそこで、「この悩みというのは、そもそも自分が先陣切って考えてあげてるねん」という考え方があるわけですw
悩んでる過程そのものが原稿である
つまり、他の人が忙しくて考えられないことを、僕がたまたま気になってるからみんなの代わりに考えてあげているのだと、そういう発想です。
そして、その過程をそのまま原稿としておけばいいのです。
つまり、「悩みは人の代わりに自分がやってあげていること」で、「その考えの過程がそのまま原稿になる」わけですから、「悩みは創作意欲」なのです。
そう思うと、いましばらく頭がぐるぐるしていたわけですが、それすらも創作に変換されます。
つまり、悩んでるように見せかけて僕は本を作っていたのです。記事を書いていたのです。
結局悩むということは立ち止まるということで、進まないということで、手を動かしていないということで、それはつまり循環が起きていないのです。
排出ゼロの状態です。
非常に不健康です。便秘野郎です。
▶人生の正解を求めてドツボにはまり身動き取れない人が知っておきたい自然の摂理
だから、その今考えていること答えが出ないように感じて動けていないこと、それすらももう一つ外側からひっくるめて原稿とするのです。創作とするのです。
そうすると、この悩みというのは、動きを止める障壁ではなく、困難ではなく、ただの循環のさせ方の一つのパターンだったというわけです。
「悩みが解決されたときのその光」というエネルギーの循環ではなく、「暗闇を進んでいる今」が持つエネルギーの循環ということです。
つまり、壁のせいで前に進めないように感じていたはずが、それはただ、「まっすぐじゃなくて左に曲がって進んでくださいね」という知らせである、というだけだったのです。
今閉じ込められている場所の外に出るという方法
そしてこれを書いていて今思い付いたのは、天竺鼠の川原氏はこういう発想をよくしていると感じることがあります。
というのは、川原氏は、「みんなが面白いことを考えている、そのもう一つ外側、それ自体で遊ぶ」という感覚が見受けられるんですね。
たとえば、昔見たコントで、老夫婦二人で喋ってるところから始まるんですが、
途中で川原氏が外にはけて、相方の瀬下氏が孫を呼ぶと、最初はおじいさんだった川原氏がそのままの格好で孫として出てきます。
その後はペットのワンちゃんを呼ぶとまたそのままの格好の川原氏が出てきます。
これって、衣装やかつらやメイクで、複数の人物を登場させて、そこで面白いことをするという、通常のコントの外側で遊んでますよね。
だって、本来は役がわかりやすいように演じ分けて、そのキャラに面白いことをさせようって考えるところを、それをやらないというふざけ方なわけです。
あとまた思い出したのは、大喜利やるときに、回答を紙じゃなくて、机に書いてそれを見せるっていうのをやってたりもしましたが、
これも通常は、「その紙の中にどんな面白いことを書こうって考える」はずが、そもそもの「紙は回答を伝える道具である、というそこにいる全員の共通認識や約束の外側」からアプローチしてるわけですよね。
みんながそこは動かざるものとして信じているものを動かす、そこを今遊んでる世界に入れ込む、そんな感覚というか、つまり固定点をずらすという感じですかね。
そうすると、これって僕が思う所ジョージの遊び心の感覚と近いんですね。
つまり、本来はただの日常の道具として素通りしているものに、他の使い道を見出して、それをおもちゃとする、今面白いことをするために使う、というずらし方です。
そうすると、これまたブリコラージュに近づいてきます。本来そう使うと思っていないものを、今の目の前の文脈に乗せる感覚です。
悩み空間の描像をそのまま記述するだけ
で、何の話か分からなくなってきたので冒頭に戻ると、つまり、自分はこうしたい、こうあるべきだ、これから何をしよう、と迷ったり悩んだりする状況があったときに、
それと正面からぶつかるのではなくて、その悩みや迷い自体が創作意欲であり、創作の種である、と外側に立つ、ということです。
その悩み空間の外に立ち、その悩み空間、今自分がそこに閉じ込められていると思っている悩み空間を、言語という道具で描写してみるわけです。
空間としてどんな場所に今いると思っているのか、どこまでがその領域なのか、それはつまりどんなことが問題と思っているのかを考える、ということでもありますが、
そうやって自分が存在していると感じているその悩み空間を言葉として書き出してみるんです。
そうすると、それって創作なわけです。
見方を変えれば、「今日がうまくいってない人のエッセイ」ってことです。
悩みは創作なのです。あとは表現するだけ排出するだけです。
それは言葉でも、絵でもいいかもしれません。
自分はこんなことに悩んでいてどうしようか何しようかどうすればいいだろうか、という「その内部で感じていること見えている世界を描写すれば」それは一つの作品でしょう。
少し前に、「歌は作り手が見てる世界の描像だからそこに入り込もうとすると楽しい」ってニュアンスの記事を書いたんですが、それとも似てますね。
まとめ
だから悩むというのは創作のきっかけです。
創作、という流れが発生してるってことなんです。
別に深刻な問題でなくても、ちょっと今気にしていることやどうやって取り組んでいこうと考えていることは、それって今頭で考えてるわけですから、それは流れなのです。
いつの間にか小さな渦が発生していて、それに基づいてあれこれ思考しているうちにそれはいろんな方向に枝を伸ばし分岐が生まれ、四方八方へと流れていきます。
そしてそこでまた次の渦ができ広がり、ぐるぐる回っているわけです。
その流れをそのまま言葉として排出すればいいってことです。
「その問題を考えている今の自分」という塊を、外側から見て表現すれば、それは創作ってことです。
そんな風に考えると面白いのではって話でございます。
確か『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 』という本に、「アートとは物の見方である」みたいな話が出てきてた気がします。
直接出てきたのか僕がそう感じただけなのか忘れましたが、興味あらばそちらも読んでみてください。
ということで、今日は「『悩み=創作意欲』であると考えると面白い」という話でした。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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