人生を突破するニュアンス

人生の正解を求めに行くとドツボにはまるワケ

 

僕もそうなんですけど、いまいち行動できない時って、その答えとかヒントになるようなものを探しに行ってしまいがちですよね。

でも、正解を求めに行こうとする発想こそがドツボにはまる要因みたいです。

この世界の仕組み的にw

どういうことかって言うと、

この世界は常に変化してて、移ろい変わってて、循環してて、それこそが自然で、どこかある定まった一点を指しに行こうとすることは、その時点でもう間違ってるぽいですw

というか不自然。自然の道理とか摂理とかシステムに反してる。

そもそも地球自体が動いてるわけで、回ってるわけで、空気も水もずっと循環してるわけで、

だからそもそも固定された安定のものっていうのが、めちゃくちゃ人為的というか人間的な概念ていうことですよね。おそらくw

説得力を持たせるために権威ありそうなところから引っ張ってくると、

例えば平家物語のあの有名なやつでも、諸行無常の響きありって言ってて、この世の現象は絶えず変化するものだっていう意味だし、

中国の哲学者の老子も、自然界のいろんな対極にある概念同士は相互に作用しながら周期的に変化するって言ってる。

物理の世界でも、素粒子っていう物質を構成する最小単位って見立てられる粒子があるんですけど、そいつら同士で常にくっついたり分かれたりして違う粒子に化けたりしてて、結局どれが根本的な粒子かわからんやん

みたいなこともあるわけです。

だから多分、この曖昧さというか確定していない気持ち悪さを受けれられないのは人間だけで、本来自然はそんな風に出来てないって考えるのが一番いいんじゃないかと。

で、この辺の話は20年間無敗の雀鬼・桜井章一の本とかにもたまに出てきたりする話で、0から100まであって100を目指すのは「力み」みたいなニュアンスで語られてたりするので、読んでみたら面白いと思いますw

「知識があるから動けない」とか「感覚とか自然が大事」みたいなことも出てきたりするので、そのあたりの話に興味がある人はぜひ一回読んでみるのもいいかと。

で、で、さらに言うと、この世界のシステムが変化するようにできてるんであれば、僕らもどんどん変化していかなあかんわけで、結局同じところでぐずぐずして行動できない状態っていうのはめっちゃ不健康ってことですよね。

正直僕はめっちゃ頭で考えてまう派なんで、中途半端な思考を受けれて行動に移るのってほんまに気持ち悪いんですけど、こっちの、“変化するほうが自然”っていうパラダイムはまだ受け入れやすいんで、

そうすると、「腑に落ちる答えが見つかってないから行動できてないって思ってたのが、むしろそれを求めに行く姿勢自体が自然の道理に反してて、よくわからんまま進んでいくのが正解なんや」って何かめっちゃ簡単に行動できそうな気がしません?w

ていうか気がするも何も

「こっちのほうが普通やんけw」

て思ったら、

見つかるはずのない答えを探し求めて迷走してる自分何しとんねんw

てなってくるじゃないすか。

そうなったらもう動くしかないですよね。

そんなわけでなかなか動き出せない自分をなんとか励ましてる今日この頃です。

今回はこんな感じでございます。

もしこの世界の原理がどうたらっていう話に興味ある人は、タオ自然学っていう本は面白いですよ。東洋思想と現代物理の考え方がめっちゃ近いみたいな話なんですけど、上で紹介したの老子以外に仏教とかインドの宗教とも量子力学やら素粒子やらの考え方がつながってるみたいな話です。

ここまでお読みいただきありがとうございました。