『物質と記憶』などを書いたことで知られるベルクソンは、「感情は反応を遅らせるものである」と考えていたようで、これ面白い。
通常、機械や植物は刺激の入力があって即反応になるが、人間はそこに感情や感覚が挟まる。それは刺激を受けていったんその内側で揉まれるプロセスが生まれる働きがあるのだろうと。
つまり、反応までを遅らせる。それによって刺激と反応の一対一の対応をずらし歪ませられる。
で、間を作って、そこで経験と照らしあわされる。過去にこんなことあったんちゃいますかと。そうやって思考が生まれる。その上で行動をする。
となった時にそこに「時間」が生まれる。
そうなると、
「そうやって考えたり悩んだりしながら時間を生きることが、生きている実感というものなのでしょう」
とかの形でいい感じにまとめられるのかもしれないんですが、
僕としてはそんなことはどうでもよくて、これの負の側面に着目したいのです。
というのは、感情が反応を遅らせ、思考の余地を残すのだとすると、そのプロセスこそがやっぱり必要以上に人を悩ませて、刺激即反応の”まっすぐ感”を損なう可能性が出てくる。
感覚や感情で反応にストップをかけて思考するとき、その思考はどう頑張ってもこれまでの記憶や経験をベースにしているので、その意味ではどう反応しても大抵は過去ありき。
「過去こうだったから今回こうする」「過去こうだったから今回こうしない」どっちでもいいけど、どちらにしても過去からの判断で反応しているわけで、もっとピュアに刺激に促される反応そのままを表現していってもいい。
こうなるとこの前の直結の話とも近いけど、ここで大事な部分は、「反応を遅らせる機能としての感情によって、刺激を受け止めるプロセスが必然的に持ち込まれてしまう」ということ。
そしてそのプロセスにおいてどうしても過去や記憶が判断基準の重みづけとして強いものになってくるということ。
常に過去側からのバイアスがかかりまくってるんですね、ぼくたちわたしたち。
という話でした。
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