最近「図地反転」という概念を知ったんですが、これおもろいです。ルビンの壺の説明などで出てきます。
ルビンの壺というのはご存じの通り、見る角度とか意識によって壺が見えたり向いあう二つの顔が見えたりする不思議な図です。
この時の説明原理としては、
一枚の画像の中に「図(図形)」と「地(背景)」の2つがあって、壺が見えてるときは壺が図として現れていて横顔は地として溶け込んでる
となります。
それが今度横顔に見えるときは、横顔の方が図として浮かんでいて壺の方は背景として沈んでいくと。
このブログでも何度か出てきてるスコトーマ(心理的盲点)と似た話です。
郵便物を出さないといけなくなって外を歩くとポストが目につくとか、妊娠した女性が街でベビーカーを押してる人をよく見るようになるとか。
これも以前は地として後ろに溶け込んでいたものが、その時の意識や注意によって図として浮かび上がってきてるわけです。
じゃあルビンの壺に戻ると、初見で壺が見える人が「この画像って実は横顔も見えるらしいで」と知ったらどうなるか。
「なるほど」と思ってもう一度見返してみても最初は壺しか見えないかもしれない。「え、全然壺しか見えへんけど」と。
でももうしばらく見てみる。
するとなんかのタイミングで、図地がまさに反転して、急に「うわ横顔やん」って見えるようになる。
じゃあこのとき、そこに理屈はあるのか。
多分なくて、ただ横顔が見えるらしいことを知り、じゃあ見てみようと思い、しばらく見ていただけ。
人によってはすぐに気付くかもしれないし、数分見てやっと気づくかもしれない。
全然見えなくて、飽きて他のことして一週間後たまたま戻ってきたときに見えるもしれない。
「この壺の輪郭のところを薄めでぼやかしてゆっくり上から下に辿っていくと横顔が見えてくる」
「黒色のところに焦点を当てて白色のところは視野の端っこにおいておく感じ」
と、横顔を見てもらえるように頑張って説明することはできるかもしれない。
でも別に見えるようになる直接の要因にはならない。見えると知ってみると決めたから見えるときがくるだけ。
ルビンの壺に限らず大抵のことはこんなもんだと思います。見ようとしたから見える。決めたから図として浮かび体験する。
間のプロセスは結構どうでもよくてまず決める、向いあう顔を見るんだと決める。するとそっちに気づく瞬間が来る。
今は壺しか見えないかもしれない、そして顔が見えると言われても訳が分かりません。当然です壺しか見えてないのだから。
でも壺を見てるときにも二人の顔はずっとそこにあって、そっちを見ると決めるとどこかのタイミングで突如壺は背景に溶け込み、向いあう顔が図として浮かび上がってくる。
そしてそれは地として初めからあったことを知る。
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