人生の方向性

やっぱり人生の軸も日常も子供の時の感動をベースに考えていくのがよさそうという話

さっきネットニュースを見てたら、サイドバーに気になるのがありました。

見てみると、5年前の記事で、白百合で15年育って官僚になった女性の話でした。

高校時代にディベートに夢中になったらしいのですが、そのきっかけが小学生の時に見たアメリカの法廷映画。

だからその感動が胸に焼き付いていて、その方向に進んでいったんでしょう。

で、この子供の頃の感動とか、心を動かされた体験とか、なんかワクワクした感じとか、そういうのがやっぱり大事で、そこにエネルギーの源泉があるはずなんですね。

源泉そのものかはわからないが、でもその周辺には来てる。

その感動をたどって、人生の方向性も日常の過ごし方も考えていくのがいいですよね、という話です。

なりたい職業が見つかるほどの感動体験は偶然なのか

で、めっちゃいろいろ言いたいことあるんですが、まず、

じゃあ小学生の時点でそんな夢中になれるものに気づける出会いがあったのって奇跡というか、

「それってたまたま運がよかっただけで、みんながみんなそんな経験出来てるわけじゃないやん」

ってのがあると思うんですね。

でもそれについては、その映画を見てなかったとしても、また別のタイミングで似たような体験があると思うのです。

弁護士とかディベートに心動かされる子供であれば、今回は映画が直接的なきっかけになっただけで、そこでその映画を見てなくても、

テレビに出てる弁護士を見てあこがれの気持ちを抱くかもしれないし、YouTubeの広告とか tiktok で流れてきた動画が運命的な出会いになるかもしれない。

だから、そんな経験をした人がラッキーで、自分はしてないからやりたいことがないとかゴールが分からないとか考えるのは雑だと思うのがまず一つ。

いくつもあるはずの感動体験をないことにしてしまっている

で、次は「そうは言っても、でも現実として、そんな経験してないんですが??」

ってなることもあるかもしれないんですが、それについては、

実はそんな経験をしていたが気づいていない、忘れている、「自分には関係ないことだ」と思ってしまった、「これをやったところで」と思ってしまった、ってことなんだと思うんですね。

ちょっとしたきっかけで将来の方向性がいきなり決まる人はそれは確かにラッキーかもしれませんが、でも実際にはそうじゃない人も多いはずです。

誰もが、「子供の頃にこんなことがあったので、今この仕事をしてます」「昔読んだ小説の主人公にあこがれて大学で建築を学んでます」というわけではないですよね。

でもそれは本当に一切そんな経験がないのではなく、素通りしてきてしまっているか、思い返すときのピントがずれているだけなんですね。

じっくり考えてみると、いくつもでてきます。

ただ、そこで、「でもそれ以降の人生が大きく変わるぐらいのインパクトがあるわけではない」って切り捨ててしまったりするわけですね。

その後の数十年に影響を及ぼす体験だけに価値があるわけではない

でも「何か分かりやすく今後の人生に直結するぐらいのものじゃないと、そんな心躍る偶然の体験やイベントも意味ないのか」というと、

もちろんそんなわけもなくて、

そういう子供の頃に、誰かの影響とかでもなく、自分で興味を持った何か、というのはかなり根源的な欲求というか、ピュアな好奇心であるはずで、

と言っても全く誰の影響もうけてないことはないかもしれなくて、結局は自分の育った環境に依存する部分はゼロなわけはないが、

でもいまのSNSに溢れるゴリゴリのマーケティングメッセージを浴びまくる前に感動し興味を持ったことは、自分でも疑いなく信じれますよね。

で、そういうのは別にそれを一生やるとかじゃなくても、

ちょっと停滞感があるとか、退屈に感じてるとか、何かモチベが下がり気味とか、そんなときにちょっとやってみるだけで、その一日快適に過ごせたりするわけです。

この記事の人はそれで職業まで一直線で進みましたが、別にそこまでじゃなくても、

日常のリズムにちょっと取り入れるとか、一週間で一時間でもそんな時間があるとか、それだけでも十分満足できたりするわけです。

むしろ逆に仕事じゃなくて趣味とか遊びの時間として持っておけることに価値があるとも言えます。

まあ、このブログだと、そういうところから人生の軸を考えていくことができますって言い方をしてるわけなんですが、

人生の軸を見つけるのは自分の物語を再構築することだという話

結局そういう軸とか方向性が分かっても、実際に生きるのは今日という一日なので、その一日がつまらなかったらどうしようもないわけです。

日常を理想の人生のための手段として捉えない

進んでる方向が分からない、という苦しさもありますが、方向が分かったとて、そっちに一直線で向かうことを幸福とは思ってません。

それは日常をすべて手段と捉えてしまってるわけで、つまり、ゴールするまでの過程は全部我慢になってもいいと解釈してることになる。

「自分の理想に到達するための行動だから今は耐えるとき」

ってなっていては、

「合格するためにしんどいけど受験勉強する」「結婚するためにしんどいけど婚活する」「老後のためにしんどいけど残業する」のと同じですよね。

日常が人生のための手段になってます。

例えば、僕は子供の頃の感動体験としていくつか浮かぶんですが、宇宙とか恐竜とか絶滅動物とか音楽とか株とかキャッチボールとか。

中学生の時は絶対宇宙人おるやんと思って調べまくっていた流れで物理科に進学することになりました。

NHKで天才てれびくんの後にやっていたドキュメンタリーでサーベルタイガーっていう牙がめっちゃ長いやつかっこいいなと思ったり、

英語の授業で見た we are the world がすごすぎて家帰ってもう一回見て、その流れでマイケルジャクソンとかシンディローパーとかのライブ動画で感動してみたり、

『ビッグマネー!~浮世の沙汰は株しだい~』というトレーダーのドラマでモニターをいっぱい並べてるの見てやりたいなと思ったり、

小学生の頃のドッチボールがおもろすぎて、いまだに三か月に一回ぐらいもう一回やりたいなとか思ったりします。

で、こういう一つ一つが本当はエネルギーの源泉に近いところにあるわけです。全然気づいてませんでしたが。

昔の感動体験を日常の楽しみに活用する

僕は人生の軸みたいなことを考えようとブレインダンプしたときに、「昔好きだったことや興味を持っていたこと」を全部洗いだして、こういうのが思い出されました。

で、こうして出てきたのを一つずつやっていくわけです。

すると、めっちゃおもろいんですね。

結局自分にとって楽しいことというのはそう簡単に変わらないのです。

例えば、キャッチボールとドッチボールは一番好きな球技なので、もうそれ出来たらその一日は大満足なのです。

だから学生の時に研究室にグローブ持って行って、しばらく研究して疲れて来たら、同期とか後輩と空いてる運動場の端っこでキャッチボールすれば一瞬で回復するんですね。

今でもリフレッシュがてら一人で壁あてとかするだけでもベホイミぐらい効きます。

そういえばプログラミングも興味あったのでやってみたときもありました。

で、そういうのを、別に一生しないといけないと思うでもなくやってると、一生やりたいやつも出てきます。ギターとかはそうなんですが。

ただ、こういうのって、「いい一日を過ごしていこう」と思う時にはかなり強いんですが、

でも「もっと大枠の方向性」とかに関係するものを知りたかったりするじゃないですか、

で、それはさっきも書いたように「人生の軸の見つけ方」という形でまとめてるんですが、もうちょっと簡単にやることもできて。

感動体験を日常ではなく人生全体方面に活用する

今はキャッチボールとかプログラミングとか具体的な名前とセットで考えましたが、「そもそもじゃあそれの何がそんなに面白いのか」と考えることもできるわけです。

音楽とか楽器なら、特にどういう時間が心地いいのか、ということです。

別に家でYouTubeで音楽聞くこともできるわけで、それでもいいのか、それだとなんか違うのか、

ライブ映像を見てるだけでいいのか、実際に楽器をやりたいのか、歌いたいのか、曲を作りたいのか、曲と言ってもその中でどんな感じのものなのか、

いくらでも考えられます。

それを自分が好きなことや過去に心動かされたものすべてに対して考えていくわけです。

すると共通する部分が出てくるので、「それが実現されているようなライフスタイルが最高」ということになりますよね。

じゃあそんな生活をするにはどういう可能性が考えられるのか、って具体的に考えることができます。

もしかしたら、別にいきなり転職するとか会社を辞めるじゃなくて、

「休日に最近連絡してなかった○○とスタジオ入ってギターやるだけで十分いけそう」

とか

「とりあえず家で毎日曲作って勝手にアルバムにまとめてやろう」

ってなるかもしれません。

僕はそういう風に考えてブログを書く必要があったからブログを始めました。

個人的な問題意識までわかれば人生と日常を一致させられる

で、もっと言うと、そういうことを考えていくと、

「自分の深いところにある問題意識」とか「根源的なテーマ」とか「いつでもそんなことを考えている」とか「こういう意識にすぐになってしまう」というのも分かってきます。

例えばさっきので言えば、宇宙とか絶滅動物とか古代文明とか、今生きてる場所から遠く離れた時空が気になってたりします。

そこからもう少し進めると、この世界はどんな風に成り立っててどういう風に動いてるのか、みたいなことです。

で、そこから派生して、じゃあ人間ってどういう生き物なのか、その矢印が内側に向いてくると自分とは何なのか、どの方向に進んでいきたいのか、ということになってきます。

そういう流れで、やりたいことが分からないとか思ってたんですね、

というかそう解釈してるというだけなんですが。

つまり、この辺がいつでも考えてしまう僕の問題意識なのです。

この辺がエネルギーの源泉で、こういう話は勝手に考えてしまいます。勝手に考えるし勝手に気になります。

ってなると、次はそれがコンテンツになるわけです。

勝手に問題に感じて、誰に言われるでもなく勝手に解決したいことなので、間のプロセスや暫定的な結論でも出せたものはコンテンツになりやすいのです。

厳密にはここは若干飛躍があるんですが、でもそういう流れで自分の問題意識と、社会とか他者がつながれる可能性が出てきます。

出てくるというより、これも僕が気持ちよく生きていくためにそれが必要だと感じたからそうなるように考えたという感じです。

詳しくは↓のレポートとかを見てみてください。

 
で、そうやって考えていることをこうして記事という形で書いてるわけですね。

すると、人生の方向とかエネルギーの源泉と、日常が一致した状態で、今日一日を過ごせることになります。

僕はこうなっていなかったことが気持ち悪かったのです。

だからやりたいことが分からないとか何をしていいかわからないとか、

ちょっと楽しいことがあっても、それと自分の人生との対応関係が分かってなかったので、いまいち乗り切れてなかったわけです。

だから人生と日常を統合したいという欲求がテーマとしてあって、その中でやってきたことがこのブログになっています。

そんな感じで、人生の方向とかテーマとつながった今日として捉えられたりします。

まとめ

というわけで、最後にちょっとだけまとめてみると、子供の頃の感動体験はすごく価値があるので、それを思い出したい。

それはブレインダンプが効果的です。

▼ 具体的なやり方はこちらで。

人生の軸(自分軸)の見つけ方とそのために極めて重要な概念

で、そこにエネルギーの源泉に近いものがあるので、それをもとに人生の方向を考えることもできるし、今日一日を快適に過ごすミニアイテム的に使うこともできます。

で、抽象度をどんどん上げてそこに共通するものとか、極めて個人的な問題意識を抽出できれば、

それにまつわるあらゆる行動がコンテンツになり、他の誰かが価値を感じるものになる可能性が出てくる。

そこまで行くとそれは自己実現と他者貢献が一致した状態で、人生と日常が一致した状態になるかもしれない。

という話でした。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

質問などあればLINEしてください。

▼ 日常方面について

今日一日を謳歌する能力が異常に高い男、所ジョージの名言にあやかるやつ。

歌の一曲すら適当に聴くから日常がおもんなくなっていく。

▼ 人生方面について


一問一答で「人生の軸」は見つからない: 人生の方向を見定めて「やりたいことがわからない」から抜け出す方法