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科学と変な向き合い方をしないためにその源流を含んだ哲学史を見ていくのが大事ですよね、という考え方が面白い

科学技術は近代科学の産物であり、その近代科学は、近代哲学によって設定され、それらは古代ギリシアの哲学や科学を基盤とすることなしには形成不可能であった。

『別冊 哲学の歴史』、中央公論新社、P43

これおもしろい。

「科学や宗教や哲学をどう捉えるのか」という一番初めの向き合い方が分からないことはよくあって、

つまり、哲学に触れてみようと思ったときに、いきなりアリストテレスの本を読もうとしても扱いきれない。

そもそも哲学とはどういうものか、ということから徐々に鳴らしていく必要があり、

それは科学や宗教に対しても当然同じでそこも同時に考えていく感覚がないと、

「科学がすべてだ」とか「科学は信用できない」とか「科学では本当に重要な部分は捉えられない」とか、変な捉え方をすることになりかねない。

でも科学も元は自然に対しての好奇心からスタートしていて、つまりそれが哲学ってことを考えると、

「科学で捉えられない部分が大事」と言ったときの”それ”が巡り巡って現代の科学や科学技術となっていることがわかる。

もちろんこれは改めて言われるでもなく当たり前の話ですが、でも実際に誰のどんな思想をもとに科学や数学が始まっていて、

さらにそれらと、そういう時の「科学に含まれない哲学や思想」がどう絡み合っているのか丁寧に見ていく。

当たり前みたいにパソコンやスマホを使っていて、それと紐づいた科学やその技術も最初からあるように思ってしまいますが、

パソコンも0,1で電気信号を制御するのがベースにあって、その発想や哲学に影響を与えた哲学も当然あり、

それをたどっていくと結局は古代ギリシアまで絡んでくるわけですよね。

だから一度過去まで戻りながら哲学や科学の全体像をつかみ、それぞれがどこでどのように分岐していったのか、個々の思想家に深入りする前にその流れを捉えることで、

科学とは何か、哲学とは何か、そしてそれぞれとどう向き合っていけばいいのか、そこで初めて考えることができる。

そこから全部見ていくからこそ、似非科学やオカルト、陰謀論、引き寄せなどとの向き合い方も変わってくるはずです。

変わってくるというのは、何が正しいのか、という判断と、またそれとは別にどこまでを自分の中に取り組むのか、フィクションとして楽しむものとそうでないも判別できるということです。

さらに、量子力学のようなそれまでの科学の常識を覆す発見やその延長としての現代の素粒子物理、またそれと対応する仏教をはじめとした東洋思想についても冷静に見ていくことができるはずですよね。

そうしてやっと、そこまでを前提としてさらに先の真理に近づいていけるんじゃないでしょうか。