フィルタ―の更新と価値
過去に書いたものを多少統合してみようと思ったが、それは本当になされるべきか、目指されるべきか、も同時に考えておきたいところ。
まず、何か主張をすることがどの程度望ましいのか。
もともとのこのブログの流れで言えば「価値を提供する」が根幹にあって、それがすべての前提であった。
この価値は有用とか有益とかではなく、それも含んでいるが、面白さや単純に言えばそれに触れた人の心がその前と比べて少し動くとか、世界を見る目が変化するところに価値があると言える。
簡単なフレーズで言えばパラダイムシフト。
で、それを考えるには前提や文脈を共有していないといけない。
つまり、「あるゴールに向かう一つのルートにおいては、普通はAが正しいと考えがちだが実はBの方がいいと考えることができる」みたいな形式になる。
もうちょい言えば、
「今まで自分はAについてこんな見方をしていたが、そのコンテンツに触れたときに、ある方向を目指す上では、このAは実はBと見ることができる」
という、この変化分に価値というものがある。
知らないことを知ったからではなく、その人の世界認識やフィルターがゆらぎ、そこに疑いや別に見方ができたとき、
もっと言えばそこに更新される余地があったことに気づいた時に、価値が生じたと一つ言うことができる。
もちろんこの限りではないが、その一つとしては確かにある。
どんな言葉を使いどんな言葉を使わないのか、も世界観のあらわれ
で、そうなるとまずもっと根本的な言い方として、断定することがいいのか、というのがある。
当然有益・有用を軸に据えたとしたら、~かもしれない、~と思っている。~と考えている。という言い方は避けたいかもしれない。
でも本当に言い切れることはなくて、でもそうはいってもそんなことから言い出したら何も言えなくなっていくのもそうで、
つまりどの程度確からしいかという話をしていく必要がある。
というより、元の話に戻せばきれいに整えて一本の筋で主張すると、それは一見きれいだがそこからすり抜けてるところに本当はさらなる気づきがあるかもしれなくて、
余分に思えるものを勝手にそぎ落として提示したところで、それがいいとは限らない。
で、そんなことは別にいつでも言われているが、じゃあどうするのか、まとめなくていい、という考え方もできる。
つまり、パッケージ化して全部マニュアル化してその通りにこんな風に考えましょう、というのを受け取って喜んでいても仕方がなくて、
むしろそういうものしかないところにフラストレーションを感じる人がいるわけで、そういう人は勝手にどんどん情報を読み取っていくわけですよね。
一つの文章の塊があったときに、一つ一つの言葉遣いから、その人はどういうことを言おうとしてるのか、
例えば普通なら有益な話って言いそうなところを面白い話って言ってるのだとすれば、その人は有益って言葉を避けてるわけです。
というところからその人の思想や思考の志向性が立ち上がってきたりする。
そんな直接的な言葉じゃなくても、ちょっと間に入ってる関係なさそうな話とか、結論に向かうには回り道に感じる話にも、そこにその人間の頭の中を垣間見ることができたりする。
というのは、きれいに「こうなって、こうなって、こう。」という言い方じゃなくて、「こうなって、こうなって、いや、この場合もあるかもしれない、でもそれについてはこうで、だからこう。」
という言い方であれば、3個目と3個目の間の分かれ道や別の入り口の雰囲気が感じ取れるわけですよね。
じゃあ、その人はそのレベルで考えてるのか、とかこっちで勝手にその人の頭に入っていきます。
そうやってそこに提示された、その人の思考が外部化されたものを見て、それをそのまま受け取って楽しみながら歩き回りながら、
美術館みたいに、いろんな方にぐるぐる回りながら、全体としてこういう感覚かって分かってくることがあります。
フェルメールがどんな絵を描いたかは、説明されなくても美術館一周すればわかる
そういえば昔フェルメール展に行ったときに、全く知らなかったんですが、色々適当に作品見てると、
こんな感じの絵描いてる人なんや~って最後には何となくの漠然としたイメージができてるわけです。
それを、「フェルメールはこんな絵を描いた人です。彼の画法は何とかで~」って言われても、意味は分かるけど、自分の話にはなってこないんですね。
自分の生活に落とし込むのが難しいのです。
だから、伝える側の立場でまとめるのは自分目線でしかなくて、
つまり伝える側の主張を正確に伝えることにどの程度重きを置くべきかということになる。
もう一つの道としては、それをやる側の頭の中をなるべくそのままの状態で外に出してきて、そこを歩き回る面白さ、そこのエンタメ性に着目してもいいわけですよね。
こういう文脈でこういう風に考えてるのか、とか、
つまり、普通に書いたらそぎ落とされるような部分も含めて丸ごと見たときにしか感じない、その書き手の頭の中の広がり浮かんでる光景、そこを共有していく。
一緒に見て回り、おーこんな絵があるんかと、
「こっちの絵を見てそれから次にこっちの絵を見てみると移り変わりがめっちゃわかりやすいな~、生で見てみたらこの油絵の具の迫力すごいな~」みたいな気持ちになれる空間を提供している、
という考え方もありますよね。
だから綺麗に整えて、余分な言葉を減らして、端的に短く伝えるべきことが伝わればいい、という書き方は、もちろんそれもいいんですが、そこじゃない面白さがあってもいい。
それは別にまとめられないからもう諦めてそのままどうぞ、ということではなく、そういうものにしかない面白さがあるってことですよね。
そんな考え方があってもいいんじゃないでしょうか。
現在、やりたいことや没頭できることがなく、でも何からやればいいかわからないという、人生と向き合い中な方向けに
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