三島由紀夫がひたすら逆張りしてる本。数ページごとのエッセイが何十個かまとまってるんですが、タイトルが「友人を裏切るべし」とか「公約を履行するなかれ」とかで鬼の逆張りです。でも中身を見てみると意外とタイトルそのままの内容ということでもなく、「この話だけは今でも覚えてる!」というのもなかったりします。正直中身はあんまり覚えてません。
じゃあなぜこの本を取り上げたくなったのかと言うと、このコンセプト自体を必要としていたタイミングがあったからなのです。義務教育課程をはじめとする道徳教育講座を今までまっとうに受けてきたわたくしは、この最近の退屈さの根源には「真面目過ぎる」ことがあったのだと気づきました。そうです、真面目過ぎてはつまらないのです。
学級代表や○○実行委員などをことごとくやってきたわたしは非常に真面目になっていました。でもふと不真面目とされる人を見たとき、その楽し気な振る舞いに興味をひかれたりします。そしてこの不真面目成分が必要なのだと思い始め、そんなときにこの本を見つけたのです。
当時は、三島由紀夫は教科書で見たことあるぐらいでしたが、この「不道徳教育講座」というタイトルの時点で買ってみようと思いました。そしてこのめちゃくちゃな考え方を読んでるうちに、こうやって考えてみてもいいのだという気持ちになってきます。不真面目的感覚を摂取するのに非常にいいのです。
不真面目について考えるためにわざわざ本を読む時点で真面目そのものなのですが、この際そんなことはどうでもいいではありませんか。どうせ最後は両方を統合していくことになります。三島由紀夫になり切っても仕方ありません。そもそもこの本の原稿自体も無理やり変な角度から見てやろうという遊びだったりもするでしょう。でもこの遊びが大事だったのです。
常識を受け入れるには何の考えも必要ありませんが、逆張りするには自分の哲学が必要です。いやむしろ、常識とされるものに浸り周りと同じように過ごす中で出てきた違和感を拾い上げ、育て、それらと向き合い、その両方に矛盾しないあり方を考えることが「不真面目/不道徳」だったのです。
ただ逆張りするだけなら常識を否定すれば簡単ですが、結局それではまたしばらくすれば、違和感がやってくるものです。それは無理してるからです。自分の体感や心地よさ抜きに、ただ機械的に常識の逆を向いているだけだからです。また退屈にもおもんなくもなります。
だからちょうどいい感じで生きたいわけですが、そんな感覚がこの本には詰まっていました。最初に「中身はあまり覚えていない」と書いたように、別に大したこと言ってない回も結構あります。でもそれを大したことないと言い始めること自体が、僕たちにとっては不道徳の始まりなのです。自分の感覚をベースにした判断だからです。
目次を見るだけでも、今まで当然と思っていたことに疑いを向けてもよかったのだと気づくかもしれません。そういう意味で本棚にただ並んでるだけで十分な本だったりします。
◀やりたいことが分からない読書録10『なぜ、「頑張ってる人」ほど、うまくいかないのか?』
現在、やりたいことや没頭できることがなく、でも何からやればいいかわからないという、人生と向き合い中な方向けに
●客観的な幸せや豊かさではなく、自分のコアや方向性を見定める
●ゼロヒャクのおもんなくそ真面目二項対立思考を手放す
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