あけおめです。
2026年もよろしくお願いします!元気にいきましょう。
と言いながら明らかに元気なさげな話題から始まるのですがw、まあそんなこともあるというわけでね。
少し前のことですが、友達の会社で研修があるということで手伝いを頼まれた。事前アンケートで入社の動機などを聞かれるが、彼は文章を考えたり言葉にしたりが苦手なタイプなので、一緒に考えていた。
僕はこういうの割と得意で、話を聞きながらその人らしい言葉選びとかを考えたりするのが好きなんですが、いや、というかこうやって自分の強み的なものは見つかっていくのだと思う。
流石にこのレベル一つですぐに判断するのは短絡的ですが、でもそれでもれっきとした自分の人生のデータであることには間違いない。こういう一つ一つを通過していき、あるタイミングで振り返ったとき、もしくは振り返らなくても、それら全体から浮かび上がってくるものがある。
「人は仕事することで自分のことが分かるようになる」というのもよく聞かれる話ですが、そうやって外から教えてもらうかたちで蓄積していくデータもある。これを自力で洗い出して重要な部分に気づいていくのがブレインダンプして統合するというものです。
会社の理念と社員の人生のベクトルを揃える儀式
そこでさらに思ったのは、会社で働くのも働いてもらうのも簡単ではないな、ということです。会社のアンケートでは入社動機についての項目があり、彼は「そんなん別にないしなあ」と言ってました。一部のどうしてもその会社に入りたかった人以外の多くはそうなるものでしょう。僕も就活してみたときに非常によく思いました。
こちらのどうでもいい気持ちとは裏腹に大量に動機やその周辺の質問が出てきます。そんなものはもちろんないのでめんどくさいのですが、でもこれは会社からすると当然で、元々の創業者には並々ならぬ思いがあるはずです。その思いに共感して集まる人が数名いたりもするでしょう。そういったところから始まるわけで、それは会社としての抽象的なベクトルを持ってることを意味します。いわゆる理念というやつです。
事業を始めた人やそれに集まる少数の中ではそれは共有されていて、だからその方向に力を合わせて動かしていくということになるはずです。でも会社が大きくなり、社員を増やすとなれば、どこかで理念にそれほど共感していない人まで入ってくることになります。面接や書類でもチェックするはずですが、僕たちはそれっぽいことを書いて上手く滑り込もうとしたりするわけです。
そういえば、大学の先輩はこの辺りを非常に器用にやっていて、なんかマトリックスみたいなのに子供のころからの時間軸と、個人とか集団でのエピソードみたいなのをうまく振り分けて大手企業に入ったりしてました。これもその名の通り自己分析の一つの形で、ここでのポイントは会社の方向性にうまく沿わせる必要があるということです。
とにかく、そうやって社員が増えるにつれて、会社の理念の存在感はなくなっていきます、そもそも人間それぞれにはその人固有の人生の方向性があるわけです。これを何と表現するかは置いておいても、とにかく好奇心の対象や気にしてしまうこと、やってても考えてても全く疲れないことなどがあります。そういったものをひっくるめて個人としての理想的な方向性、つまりベクトルを持っている。もちろんそれを自覚しているか、言語化しているか、したいのかどうかは別として。
個人と組織の方向を揃える難しさ
ここで問題になるのは、会社のベクトルとそこで働く個人のベクトルは基本的には揃っていないということです。創業者やそれに近い人々では揃います。会社をうまく運営していくことが自分の人生を進めることとほぼイコールになっているわけです。これを情報発信に関してやっていくのが、コンセプトづくりの話ですが、今回は置いてくとしまして、
で、こうなったときに、会社のベクトルと個人のベクトルがそろわない社員は、会社のために働きません。これは原理的に。なぜなら、その人にとっては会社のベクトルの方向に動くことは、個人としての理想や望みから離れていくことだからです。だから生産性が上がるわけもありません。頑張るほど気持ちいい心地いい爽やかな状態から離れていきます。
僕は大学で実験のレポートをせっせとまとめているときにそれを感じました。そのときはどういうメカニズムなのか分からないままでしたが、なんとか上手く調整できる方法を探っていくことができました。でも会社で働くとなるとこれはどうしようもありません。会社のベクトルが変わるわけはないので、自分のベクトルを会社の方に近づけることになります。
が、その個人に固有なベクトルは基本的には動きません。動くのは自分にどこか嘘をついている時です。時間の流れとともにアップデートされて解像度が上がったり多少の調整はあっても、会社のベクトルどうこうで左右されるものでは本来ありません。だから違和感を無視して、近づけることができたとすることになります。
というわけなので、希望を見出すには、「会社のベクトルと社員の人生のベクトルの接点を探る」ことです。もし両方の矢印が交差する点があれば、その点で会社の理念と個人の欲望は同時に満たされ得ます。例えば、営業として会社の商品を売る経験が、自分自身が大事にしているメンタルの強さ、勇敢さを鍛えることになる、といったことです。
ここまで直線であるベクトルとして考えてきましたが、実際には、もっとグネグネしていてもいいのかもしれない。一点で交わる以外に、しばらくの間重なりながら時間の経過があり、そこで二手に分かれていくこともあるかもしれない。
これなら一定期間はその社員にとって、会社のために頑張ることが自分の人生を気持ちよく過ごすことになるでしょう。そして会社としては程度の差はあれ、こうやって会社の理念との接点を見つけてほしいのです。だから研修をやるわけです。ということは逆に言えば、会社で気持ちよく働きたい場合はここを必死で探しに行けばいいわけです。
個人のベクトルとコミュニケーション
もっと言えばこれは会社に限りません、人間関係としてもお互いのベクトルが重なる、または交点を持つようなコミュニケーションほど面白いものです。もちろん日常会話とかお笑い芸人のトークとか funny 色が強いものはその限りではありませんが、interesting よりになるほど、こういった概念で考えることができます。
となると会話をより楽しもうと思えば、自分のベクトルについてよく分かっていればいいのです。実際には会話にすら限らず、この世界の中で自分が過ごしたり触れたりする部分的な空間から自分のベクトルで切り取ってきたものが、自分にとってのその対象の面白さなのです。
多くの場合、「自分のベクトル」のような概念を考えたりしません。だから会社で働くこと、働いてもらうことの難しさがよく分かります。両方にとっていい状態が構造的に実現されづらいのです。
そう考えたときに、個人が自分にとって心地いい過ごし方をすることはどれだけ楽かと言えます。自分一人で考えてみれば、自分自身のベクトルを把握し、その方向と日常を揃えていけばいいわけです。
僕たちは自分の人生のベクトル、その方向性に忠誠を誓い、そこから大きく逸脱しなければいい。といってもいつもピッタリそこと重なってるのも退屈なので、そこは気分次第で、外れてみてもいいはずです。むしろそうやって一つの基準をもち、最後はそこに戻ってこれる安心感の中で自由に羽を広げ足を延ばしていくのが今日が面白いってことなんだと思います。
