さっき「ポップ文字の書き方」という動画をボケーっと見ていた。
元ヴィレッジヴァンガード店員が、店で商品の説明をするときのポップ文字を実際に書きながらポイントを教えてくれるもので、
通常の文字から店でよく見かけるアートっぽい感じに変化していく様子が面白くて、今後自分で書くことはおそらくないがしばらく見ていた、
で、こういうのもまた何年後かすれば日本らしさの一つとして外国人の目を引いたりするようになっていくのでは?と思った。
例えば絵文字もそのまま「emoji」として知られているようで、向こうの人からすればemotionから来てると思ってたが日本で生まれたものと知ってびっくりした、ということもあるらしい。
この何年とかでアニメがより一層海外に受け入れられていったのは、海外のアニメーションからすれば異色に感じられるからで、
例えば、「kawaii文化」も日本的感覚で、cuteとはまた違って、人や動物以外にも物に対してもkawaiiは適用される。
閉じると開く
で、これ自体がどうというよりもそこで思ったのが、ひとまず日本に限ったとして、日本の良さが発揮されるのは、内に閉じて自分で好き勝手してる時なのではないかということ。
海外で話題とか流行りとかに影響されず、「狭い少数人のコミュニティで誰かに喜んでもらえるように、自分たちが楽しめるように、興味のままに好きにやっていたこと」などが、
10年20年経ったときにそれが一つの文化であり発明であることに外の人が気付く、そういう感覚。
江戸時代に鎖国していた時で言えば、海外で発展した最先端の科学技術や学問は育っていなかったかもしれないが、
独自の自然哲学を彫り進めていった三浦梅園や数学者の関孝和がいて、開国してからは、ヨーロッパの芸術家が日本のスタイルに影響を受けたということもあった。
西洋からは異質に見えた文化がそこにはあったのかもしれない。
こうなると鎖国と文化についてももう少し見ていきたいところだが今回はひとまず置いとくとして、だから今考えたかったことは、
このブログなどでもよく、「外に開いていく、今ある系の外側に出ていくこと」を取り上げるが、そしてそれはそれでもちろん重要だが、
一方で文化や技術や価値観が成熟するのはある地点、ある場所で閉じこもった時である。
食品が熟成や発酵するのは密閉するからで、外気に触れ、世界との相互作用が常にあるような環境では文化の起こりはない。
周囲との相互作用があれば、大きな全体の中の一部となってその全体の影響を受けて平均化される。
何かが起こってくる育ってくるときには外との接触は断絶されなければならない。
とここまで書いて発酵のことを調べてみると、「好気性」というのがあるらしい、空気を好む微生物によって発酵することである、
となると文化にも嫌気性と好気性があるのだろう。
周りとのコミュニケーションやフィードバックの下で育ってくるものもありはする。
それでもやはり個のレベルでは、その内側で湧き上がってくるつかみどころのないエネルギーの流れを形にしていく上で「鎖国」がポイントになってくる。
「書く」こともある意味では鎖国的。

