『自然農法わら一本の革命』という本を眺めてたら、「日本人は何を食うべきか」という見出しを見つけた。
著者は福岡正信で、まだあんまり知らないんですが自然農関係のすごい人らしい。
沖縄と鹿児島の間あたりでじゃがいもの収穫をしてたときに同じ寮だった人が教えてくれた。
▶沖縄と鹿児島の間にある沖永良部島でじゃがいもと戯れる日々。
この見出しのところしか見てないけど、そもそも日本人はどういう流れで今の食文化というか、普段食べるものを食べるようになったのだろうと思った。
畑を始めてみてからどの程度自分が食べるものを自分で作り出せるのか気になっていたのだが、
そのときにじゃあどういった作物を作ればそれで自分の食事と出来るのかが疑問で、
基本的には米が主食で、でも別にじゃがいもも炭水化物として代替はできる、みたいなことも含めて、「どういうものを食べられれば普段の食事として成立するのか」が気になっていた。
で、今この「日本人は何を食うべきか」という見出しを見たときに、「じゃあそもそもいつから日本人は今の日本人的な食事をするようになったのか」という疑問が浮かんだ。
適当なところで言えば、「三食食べるようになったのはエジソンか誰かがオーブンを発明してそれを普及させるために朝食という概念を生み出したから」
という都市伝説じみた話を聞いたことがあるけど、そんな風にどういう経緯で米が主食になりどの野菜を食べどの野菜はあまり食べないとなっていくのか気になってきた。
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僕たちは何を食べるべきか何を食べればいいのか決めないで、魚が獲れなくなれば深海魚、さらにあっちこっちから海老やらカニやら肉やらフルーツやら輸入してきたりしてるわけだが、この見出しの箇所を引用すると
「(前略)本当に、人間は何を食べなきゃいけないか。それにまた、何を食べれば十分なのか。また、それで、どれだけ喜びというか、食物からくる楽しさという物が最高になるのかと、そういうふうな、食の種類、味、人間の食からくる喜びという物は一体なんであるか、ということを徹底的に追及していくのが、脳性を預かる者の最初の仕事であるし、それが、最後の仕事でもあると思うんです。」(p130)
ということらしい。
当たり前に米が主食としてあって、それプラス魚とか肉とか野菜を食べて生活しているが、
「そもそも何を食べるべきなのか」という段階がその手前にはあった。
これまでの歴史の中で恐らくいろんな変遷があって、ひとまず今日の僕たちの食事の形が決まってるわけですが、
本来は何を食べればいいのか、という選択が一番最初にあり、じゃあその時の指針として、「食物から得られる、もしくは食事がもたらす喜びとはどういったものであるか」を考える段階があるのだと言える。
それがあるから「じゃあこれらの食物を食べていこう」と自然に決定されていく。
その中には栄養の問題ももちろんあるが、それもひっくるめて、「何を食にまつわる喜びとするのか」が中心になる。
そしてそれを考えることが農政に関わる人の仕事であるという指摘が面白い。その抽象度で考えることって多分あんまりされてない。
「本当は、技術者も、人間に役立つ作物は何であるかをはっきり認識し、その作物を作る場合に、どのようにすれば自然の力を最大限に発揮して、人間の労力を最小限にすることができるか、という研究をしなければならないんです」(p131)
「人は何を食べるべきか」という最終段階があって初めて「じゃあそのためにいかに自然の力を引き出していけばいいのか」と考えることができる。
というわけで、食事に関してもさかのぼって解体しつつ今日の一食のあり方にまでつないでくると面白い発見がありそうでございますね。
現在、やりたいことや没頭できることがなく、でも何からやればいいかわからないという、人生と向き合い中な方向けに
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