コラム(?)

図太いと思い込んでるだけの繊細さんパターンもあるのでは、という話

昔、友だちの誕生日の時にみんなでお金集めて一つのまとまったものを買おうということで、そのあと少しお金が余ったのでどうするか、という話になり、自分は、部屋に飾り付けとかしてその準備の様子を動画取って送ったら喜んでくれそうと思ったのだが、もう一人はそれは微妙やなみたいなことになった。

で、思えば、自分は誕生日の時に一回、友だちの部屋に行くとその前に何人かが先に集合していて、で、部屋に入るとクラッカーパーンみたいになったのだが、その直前の様子を撮影した動画を送ってもらってそれが嬉しかったのを思い出した、

つまり、その一日は誕生日の主役ということで祝ってもらったのだが、それが一番覚えていて、自分のために費やしてくれた時間というかエネルギーの部分を重視するというか、そこをが際立って入ってくる気がしていて、

宮古島でもそこで仲良くなった人とご飯を食べて解散後に長文でありがとうございました、みたいなのが送られてきたのだが、それに対して一緒に行ってた友達は割とすぐ返答したのに対して、自分はかなり時間を書けて返信した。

それも多分同じで、その文章にそんだけ時間かけて丁寧に考えてくれた、というのを感じ取りやすいのだと思う、だから、同じぐらいの熱量のメッセージを返さないと悪いな、ということで考え込みがち。目の前の一つの事象からそのだいぶ後ろの方までその背景を考えてしまうというか入ってきてしまう気がする。

それでまた思い出したのは、最終的にネットワークビジネスの勧誘だった会で、誕生日の時に何をもらったら嬉しいか、というお題で選択肢がいくつかあって選ぶというミニゲーム的なのがあり、たぶんそれは今思えば、同じ選択肢を選んだ人の中では勝手に共感が生まれるから、それを狙ってやってそうな気はする、同じですね~みたいなことめっちゃ言われた、

まあそれはいいが、そこで30代ぐらいの女性がほとんどだったのだが、クオカード的なのとか、カタログギフトを選んでる人が割といて、自分が欲しいのを選べるのが嬉しい、ということだったのだが、僕は、余裕で手紙だった。

その中身がどうとかよりも、手書きで時間をかけて文章を考えてわざわざ書いたものをくれた、というところに心が動く感じがしていて、だから逆に手紙を書くと喜んでくれることが結構多くて、手紙以外でもアンケートとかめっちゃちゃんと書きたくなるんですね、

何年か前に教習所卒業するときに、どの講師がどうだった、みたいなアンケートがあって、それも別にもう多分一生会わないんですが、めっちゃ真剣に、喜んでくれるやろな~とか思いながら書いた、まあこれもエネルギー循環ですよね、

で、そういう部分に、安直な言い方をすれば価値を読み取ろうとする癖があるんですね、逆に言えば、勝手に情報が入ってきてしまう、とも言えるんですが、

南米とかでも、一日歩いて移動するといちいち考えが勝手に立ち上がってきてしまうので、夜とかはもう一人だけぐったりしてまして、一緒に行ってた2人は宿の住人とワイワイしてたんですが、僕は速攻離脱して一人で一日の出来事とかメモを整理する時間がないと死んでしまうのです。

というわけで、かなり図太いと思っていたんですが、繊細さんな気がしてきた。

繊細が故に外に出て人と話す前にそこでの話題についてはすでに一通り考え終わっていて、だからそのやり取りで動じることがあまりなくそれを図太いと言われたり思ったりしてるような気がしてきた。

この辺について弱さとか刺激に対する感受性の強さとか創作のエネルギーという話もしたことある気がするけど、自分の繊細さんポイントが分かると物事を深めていくとかそれを表現していく上ではかなり役立つとも思う。

そこにこだわらざるを得ない弱さが創作や探求のエネルギーになるという話