「物を称えると唯物主義とか言われるが、それはむしろ唯心主義の行きすぎやろ」と、民芸運動の提唱者である柳宗悦は言う。
心は物の裏付けがあるもので、物も心の裏付けがあってのもので、それを二つに分けるのはおかしいと。
唯物主義は物に心を見出さない、それはむしろ物を見る目が衰えている。そこで、「心の具象として物を見る」という発想が出てくる。
「物に心が現れぬようなら、弱い心、片よった心の所為に過ぎぬ。」というわけである。
こうなると小林秀雄がゴッホの音楽について語った、「精神の自由は音楽によって表現されねばならない」にもつながってくる。
つまり、物は心の反映であって、そこに何かが感じられないのは、心の部分が貧弱であるということ。
これは当然文章についてもそうで、それが何の変哲もないただの文章である間は心側、その書き手の内側、ミクロコスモスが雑魚だということ。
だから精神の豊かさは外側に反映されるべきで、それはべきというよりも勝手にそうなってしまうもので、そうなっていないことには真に豊かではないと言えてしまう。
ただ、ここで時間軸を考慮すれば、この二つのタイムラインがそろっていることは珍しい。
「ある心」と「その具象としての物、心の持ち主が生み出す物」があるとして、これらの発展・展開の時間の流れはそろっているわけではない。
物が心の具現化であることを考えればわかるように、心が先行する。
地震の初期微動と主要動みたいに、最初に揺れ始めるのが心で、それに追随するように後ろから大きな波として形になるのが物である、とするのが自然な見方である。
メンタリティというのかマインドセットというのか分からないが、内側がふわふわしていては行動も発言も生活も満足いくものにはならない。
現在、やりたいことや没頭できることがなく、でも何からやればいいかわからないという、人生と向き合い中な方向けに
●客観的な幸せや豊かさではなく、自分のコアや方向性を見定める
●ゼロヒャクのおもんなくそ真面目二項対立思考を手放す
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