コラム(?)

自分が感じている面白さの共有という価値創造がある話

こちらで配信したPDF
文学・芸術観と創造

より。

今、横光利⼀を調べてみて、『機械』という作品が衝撃作的なもののようで読んでみようと思ったが、吉本隆明の評価を⾒たうえで⾒てしまうとそのバイアスがかかってその⾓度の⾯⽩さしか感じられないような気がした、と⾔っても逆にそれ単品で読んでも⾯⽩いと感じるような気があまりしない。

そこで思ったのが、例えばカフカについては保坂和志の⾒⽅というか⾯⽩がり⽅にかなり影響を受けていて、そうなるとこの⼈の⼩説に対する視点で僕もそういう作品を⾒る傾向が多分あり、そうなると僕が⾃分で⾯⽩いと感じているようで実はその前に影響を受けた⼈と同じ所で同じように感じているだけではないのか、という気がした。

これは例えば相席⾷堂では千⿃がロケのVTRを途中で⽌めてコメントしたり爆笑したりしているが、あれは、千⿃がそこで⽌めて笑うからこちらがそれが⾯⽩いのかと分かって⾯⽩くなってくるという効果が多分にあり、逆にあれをロケVTRだけを⾒て同じように笑えるかと⾔うと多分かなり難しい。

でもまた逆に⾔えば千⿃はその映像だけを⾒て⾃分のポイントで笑っているのであって、そこだけで⾒れば⼈の影響とかではなく⾃分が⾯⽩いと思った箇所で笑い、そのポイントを視聴者と共有しているということになる。若⼿時代には先輩たちの感性に影響を受けたのかもしれないが、相席⾷堂という番組だけに限ってみれば⾃分が⾯⽩いと思ったものを周りに⽰しているとも⾒れて、これは⾃分にとっての⾯⽩さを共有しているということになる。

他の⼈が感じていない部分に価値を感じ、それを伝えている。⾃分⼀⼈が気づいたものを教えることで、周りも同じものに価値を感じられるようになる。ということは、その共有された側は、共有する側なしにはスルーしていたところに価値を感じている。価値が存在しなかったところに価値が⽣まれている。

つまり、これは⼀種の創造であり、というか、「⾃分だけが感じている価値を周りと共有するという価値創造の形」があるということ。価値を⽣み出すというと難しいように思えて、でもそれは周りが価値として認めているものを作る必要があると感じているからで、そうなると、みながその価値を作ろうとしているのだから同じ⼟俵での争いとなる。

⼀⽅で、新しく価値を⾒出すということもあり得て、これはまだみんなが価値と認めていないからその意味での難しさはあるものの、⾃分が価値を感じている対象について、それの何に価値があるのかを説いていくことでその⼈が同じように価値を⾒出した時、それはそこに価値を⽣み出したのと同じである。

ただこれの難しいのは、技術的なことではなく精神的な部分として、まだ誰もそこに価値を⾒出していないのだから、厳密にはゼロということはないだろうがでも極めて少数の⼈しか気づいていない、というかそのセンサーを持ってるのが少数で、それは⾯⽩いでも美しい役に⽴つでも何でもいいが、とにかく少数派であることは間違いなく、

そうすると、この⾯⽩さを多分わかってくれないと思って、しかも⼀⼈で楽しむだけで満⾜して、外に出していくことがほとんどないのが常なのだが、そこで遠慮したり引き気味になるのではなくて、開き直って「この⾯⽩さを気づいている少数派であるが、だからこそこれが⾯⽩いということを周りに伝えることができる」という発想の転換ができさえすれば、それは「その⼈にしか⽣み出せない価値の創造」ということになる。

なぜならそこに⾯⽩さを⾒出しているのはその⼈だけであり、その⼈にしか伝えられない⾓度だから。そして保坂和志の話に戻れば彼は⾃分が感じる⼩説の⾯⽩さをより深め、そしてそれを共有しているのだとみることができる。それは基本的には初めは賛同者はいなかったはずで、今ではそんな⾒⽅に共感している⼈がたくさんいるだろうが、そんな少数の中で⾃分の価値観を押し出していくという状態だったのだから簡単なことではないはずで、それは後になってその⾒⽅で同じように⾯⽩さを感じている⼈とは⼤きく異なる。

これは千⿃が笑っているところを⾒て笑っているのとも同じことであるが、もっと⾔えば、お笑い芸⼈というのはそういう⾃分なりの⾯⽩がり⽅を周りに押し出していくことで成⽴していくもので、でも原液のままでは伝わらないから周囲の反応を⾒つつ調整していくことで、みんなにとっても⾯⽩いものになっていく。

そう考えたときに、結局は⾃分なりの⾯⽩がり⽅を⼤事にしていくということになる。⾃分が外部に対して⾯⽩いと思ったそのポイントは特殊なものである可能性が⾼い、これは誰かがやっているのを⾒て同じようにやってみたりとかではなく、特に誰とか関係なく勝⼿に⼀⼈でやっているようなものこそ、⾃分だけが感じている⾯⽩さがある可能性が⾼い、いや⾼いというよりはそれがあるのは確定していて、でもそんなことを考える必要が普段はないから気づいていないだけで、だからこそそこを注意深く観察して掘り下げ周りと分かち合っていくと、その周りにとっては⾯⽩いというエネルギーを与えてくれる⼈になるのであって、この形でのエネルギーの循環も⼗分にある。

つまり、価値の創造や付加価値に関して、新しいものを作るだけでなく、すでに⾃分が⾯⽩いと感じている少数派のその「おもしろポイント」を周りに伝え、「彼らがこれまで気づかずスルーしていたこの世界の⾯⽩さ」の発⾒に貢献するという振る舞い⽅がある。

好きなことは周りを置いていくぐらいに喋ったほうがいいのであるという話

楽しみ方を分かち合うという価値もあるという話

人に価値を感じてもらうために必要な変化とは。