コラム(?)

何かを掘り下げた豊かさはその本人の表現によって証明されたいという話

今、ベンヤミンの言語論を見ていて、それ単体だけを見たところでどれぐらい有効なのか、と気になり、個人的にはかなり興味深いのと信頼もできそうなので読んでるが、

これがほかの学者にどう読まれているのかも知っておく方がいいのは間違いなく、さらに言えばこのベンヤミン自体は誰に影響を受けてこういった哲学になっていったのか見ておく方がいいかと少し考えていた、

で、その中で、ベンヤミンの複製の話は芸術に通じていることを思い出し、また、こういう話を見ているのも結局は生活に持ってきたいからであって、そう考えたときに、後ろにそんな哲学を持っているからこそそこに何かが宿るとか、目の前に映る以上のものを感じさせるとか、そうなっていかないとおかしなことになる、

それで言えば、この言語の話を見ているからこそ、ギターや歌が違った印象になるとか、もっと直接的には、シンプルに上手に演奏したり歌えたり、またはそこに美しさが感じられたり、

つまり、そういう形で、小林秀雄がゴッホの音楽について語っていた話とも通ずるが、「この精神の自由を獲得したことを、例えば音楽の言語やその表現で証明しないといけない」ということになる。

というのは、もうめちゃくちゃよくある言い方で言えば、「学んだことが何も活かされてないやん」みたいな話。

探求と実践

ここで実は二つ分かれ道があり、学問というのはそれ自体が目的になるもので、意味があるとかないとかで評価するものではないということ、

でももう一方で、学者として研究していきたいわけではない僕たちにとっては、最後はそれは生活に結び付けておきたい、ということ。

この後者に関してはむしろ、生活に結び付けておきたいというよりも、よりよく生活していくために動いた結果として今、たまたま学術研究の成果に触れている、というだけ。

これも結果論であって、学問をすることを目的とはしていない、その意味では、この両者は分けて考えておきたい、

というかもう少し進んでみれば結局どこのバランスがいいかという話になるが、この二つの軸が直交しているということは分かっておきたい、

その中でこの二次元平面のどこにいるのが心地いのかというのは個人の判断になる、

あとは、僕で言えば、シンプルにこの世界がどうなっているのかを知りたいという、ただそれをやることが目的であるという前者的な動機と、一方で、それを踏まえてよりよく過ごしていきたいという後者的な動機が両方ある、

勉強と精神世界とグランデ人間

そしてこれは物事を探求するときの道(精神)と術(技術)に当てはめるなら、それ自体をただひたすら掘り下げていく中で輪郭を持ち始める哲学をバックボーンとして(道)、

そこから降りてくる形で実際的なアクションやその方針が見つかってくる(術)ということになる。

この両方がうまくバランスした状態がよくて、そういう哲学や科学に詳しいがその本人はそれ以外の実生活に満足できていないとか、

音楽の歴史や仕組み、思想に詳しいのに退屈な演奏しかできていないとか、そういうのは望ましくない。

精神の自由とその証明

ここで、さっきも出てきたように、でも別にそれをやることそれ自体が目的なので別にいいです、ということも確かにあるかもしれない、

それならそれでいいのだが、さっきも言ったように、「精神の自由を獲得する」というのは、つまり、「何かを掘り下げていく中で、発見や驚きがあり、思考の枠組みが外れ、それまで見えなかったものが見えるようになり、感じ取れなかったものを感じ取るセンサーが発達し、内側が豊かに変化していく」というのは、それは表現によって証明されないといけない、

その精神が反映された音楽が生み出されないといけないし、その精神が反映された生活を体現していかないといけない、それなしでは、その精神の自由を得たことは証明されない。

そしてこれは別に他者に向けて証明されないといけないというよりは、自分に向けてである、

自分が今日また進んでいきたい方向に快適な方向に進んでいることの証明として、道に根差した振る舞い、その意味で生活とか技術とか表現とか作品が存在する。

で、これは理屈っぽく書いたが、それとはまた別に、シンプルに自分の問題として、こういう営みを、例えば歌やギターの演奏に反映させていくのが面白いということになる、

ただ弾いている段階から、即興で歌ったときにどんな言葉が下りてくるのか、つまり「その時の気持ちや目にしたものをどう名づけるかによって精神的本質が現れ伝達され(ここがベンヤミンの言語論的な感覚)、それが、結果として人の心を動かす歌になる」とか、そういうレベルでつながっていくものだと思っておいた方がおもしろくなる。

▼小林秀雄のゴッホのくだりの詳細

JTA通信05 小林秀雄特集風