顔の左側に複数の星のタトゥーがある女性のサムネがYouTubeを見てると出てきた。
「人間性は置いといて、配置がセンスいいな」ってコメントがあった。
小さな星の十数個の単純な配置だが、それを空間にどう並べるかでもうセンスが現れる。
たしか、ダウンタウンの松本人志が『放送室』というラジオ番組で、「お笑いのセンスは白と黒の玉を一列に並べるとして、どう配置するかだけで分かる」と話していた。
センスは「ものを空間のどこに配置するのか」に現れる。
何かを作ること生み出すこともすべて、「その空間に何をどう配置するのか」ということなのかもしれない。
文章やその集まりとしての本でも「言葉をどう配置するか」ということであって、特に詩とか歌詞ではその色が強くなってくる。
映画も時間軸にどんなシーンを配置するのかという問題に言い換えられる。
何かを表現することは、「何を扱うのか」「それをどう配置するのか」「それが配置されるのはどんな空間なのか」の3つで考えられる。
例えば音楽でもどの高さの音を時間軸に沿ってどう配置するのか、という問題で、
ブログなら、どういう記事をどんな順番にどんな空間に並べるのか、記事の中身という種類と、それをどんな場所に並べるのか。
一次元的に上から下に並ぶだけなのか左から右なのか、二次元平面のどこにでも配置できるようにするのか。
それとどの記事をどこに配置するのかで、そのブログがどんなメディアか決まってくる。
これがセンスということ。センスというのは案外、簡単に評価できるのかもしれない。
裏を返せば、そういうちょっとしたことでその人の世界観や価値観は見えてしまうともいえる。
部屋はその人の趣味や価値観が大いに現れる場所であるが、それも三次元空間にどんなアイテムをどう配置するのかであって、そこに人間性を見ることができる。
ファッションであれば、その人間のフォルムという三次元空間にどんな色のどんなアイテムをどう配置するのかということになるのだと思う。

