少し前に書いた文章を読み返してみたのですが、意外とそれが面白くて。
最近薄々思ってたんですが、やっぱりこうなるのが一番だと思う。
というのは、なんというか、僕が書いたものはいつでも誰にとっても素晴らしく面白いものだから、と言いたいわけではなく、
というか別にそんなことを思ってるわけでもなく、
でもとはいえせっかく書いたものは読んでもらいたいし楽しんでもらいたいとは思ってるけども、そういう話ではなく、
やっぱり「自分が書いたものを面白いと思えるようでないとダメなんじゃないか」ということです。
あなたの文章は一番最初にそれを読むあなた自身を満足させられているか
これは大前提と言えばそうなんですが、もう少し考えてみたほうがいいところで、そもそも書くのは、自分が幸福を感じたいからやるわけです。
書くことに限らず、日常のあらゆる行為はそのためにあると思っていて、幸福というと大げさですが、「快適に過ごしたいためにそれをやる」という感覚。
だから書くことに関して言えば、まず書いてるその瞬間が楽しくない気持ちよくないというのは、書くこととの向き合い方が正しい角度ではないのだと思う。
つまり、書くことそのものがその人生において必要ないか、やり方がずれている。
だから「書いてるその時間が心地いい」ということが、書くことに限っては前提であるべき。
もちろん本当は書くことに限らず、スポーツでも楽器でもその他の創作でもそうだと思ってますが。
で、そうなると、書くことで言えば、目の前にどんどん並んでいくその言葉や文章を一番最初に読むのが自分なのだから、
「書いていて気持ちいい」というのは、「それを書きながら読んでいるその時間が心地いい」ということである。
つまり、今書いているその文章を、それと同時に読んでいるわけで、その読んでいる自分が満足できないときに「書いていて面白くない」、ということが起こる。
逆に書きながら読んでいて面白いのなら、それは自分が読みたい文章ということで、
後から時間を置いたとしても、技術的な問題は別として、「自分自身の中にある面白さの核心」のようなものに迫る何かがそこにあるはず。
だから後から読んで面白いと思えるときは、その書くというスタイルが僕にとってそうあるべきスタイルから外れていないと思える。
いや、逆ですね、気持ちよく書けている間は、たいてい後から時間を空けて読んでも面白いものになっている。
自分が読みたいものを書け、というのはそういうことなのだ。
自分を満足させるものは他の誰かを満足させられる可能性が十分にある
真っ先にそれを読むのはいつでも自分なのだから、その書いてる最中の自分すら満足させられないものを書いていては、一切自分のためになっていない。
一切自分のためになっていない書くという行為は、それはただの奉仕であって、
通常の奉仕というのは、それをやることで多少なりとも本人の心も満たされることがあるから成立しているもので、全く心地よさのない奉仕はもはや奴隷労働です。
それは昔の慣習として、本人に関係のないところでそうあることが決められていたもので、いくらでも自由にふるまえる僕たちが進んでそうなる必要はない。
必要ないというか、そうあってはならない。
自分が自主的に、進んで、前のめりに、面白くてやるから続くもので、
自分という最初の一人を満足させられるのなら、同じところに興味関心の範囲を持つほかの誰かを満足させられるものである可能性は十分にある。
そうやって自分のためにすることがいつしか人のためになり、よくある言い方をすれば自己実現と他者貢献が重なり、夏目漱石風に言えば道楽と職業が重なる形を目指したいところ。
というか、内容やテーマによってその規模は本当に変わってくるが、それでも他の誰も興味を持たないことはないはずです。
それは直接関係を持てる範囲にはいないかもしれないし、ネットにしたって遭遇する機会はごく僅かもないかもしれない。
つまり普通にしていれば接点を持つことはないのかもしれない。
でもそれは手段の問題であって、内容として本当に誰にも興味を持たれないということではない。
自分が書いていて(=読んでいて)面白いものさえかけているのであれば、それは勝手にどこかの誰かを面白いと思わせてしまうものになっているはずなのだ。
そして、さっきも出てきたかもしれないが、そういうやり方をしていればやめることはないのだから、ひたすら書き続けられます。
つまりその時々の自分が読みたい、面白いと思うものが次から次へと生まれていきます。
別にそれを誰かに見せる必要はないし、自分で満足して終わりでもいい。
でももしそれを全人類が読むとしたら、本当に誰も興味を持たないなんてことはないはずなんですね。
こちらが望むかどうかに関係なく、勝手に面白いと思われてしまうようなものだと思います。
それを、「もっと多くの人に面白いと思われたい」とか、「仕事として成立するようにしたい」と思えば、扱うテーマや伝え方、広め方を考える必要が出てきますが、
それは目的に合わせて手段を調整するという話であって、僕は、
「書いていて楽しい時には読んで面白いものが出来上がり、それを同じように面白いと思う人が一人もいないということはあり得ない」
ということだけ知っておけばいいのだと思ってます。
自分を満足させるものを書いている限り、評価する人数と深さはその内容とは別の関数で決まると知っていればいいのだと思ってます。