無限に書けるとちょっと前から思っているがそうはいっても毎日本当に今日も書けるのかと思いはするもので、だから書きたい感じをうまく見つけるのはかなりの緊張感がある、
この書き方をし始めて、つまり、頭の中の流れをキャッチしてそれをそのまま書いていくというやり方をし始めて以来いくらでも書けるという確信は出来たが、でもちょっとした思い付きをメモすることは少なくなった、
極力メモを減らしてその分そのメモを一つの記事として書くようにしてきた、なのでちょっとしたメモだと書くのをやめることも増えたが、これはこれであまりよくなくてそうやって適当に書いてみたところから思いの外しっかりした内容になってしまったということもよくある、
200記事記念
そして今日はなぜこの話を始めたのかと言うとさっき記事を更新しようと思ってふと投稿記事数を見たら200記事だったので記念にこれについて書いておこうという気持ちになった、そしてでももはやゴールでも通過点でもなくただの日常の一日でしかないのでわざわざ書くほどでもないかと思った、でも今書いている。
昔ブログを始めるときはまずは100記事書けみたいなのをよく見た。一番最初に始めたときは10間毎日自己啓発本からかき集めてきたつまらない文章を書いていた、
つまらないというかそもそも自分で考えてもいないので誰が見るねんというもの、そして書いてて面白くないので10日でやめた、
そういえばその時のドメインがまだ残っていた気がするのでちょっと掘り起こしてみよう。いくつかの記事はまだ残っていたので、どんだけおもんないこと書いてたかここで共有してみましょう。
これも僕が始めたころによく思っていたことで、いわゆるブロガー的な人が最初にどんなこと書いてたのか一番古い記事まで遡ってもたいてい非公開になってたりして、もしくは慣れてきたタイミングで最初のブログを捨てて新しく作り替えたブログだったりして、そいつが下手くそな文章を書いてた時の話が全く見えてこない。
しかも偉そうにこうやって書くんですよ、みたいなことを言ってて、そんなんはええから最初期に書いたのを見せてくれとよく思ってたのですが、それをやるやつです。
2019年11月11日「何か新しいことを始めるときはとりあえず20時間やってみよう」
そんなわけでまずは「何か新しいことを始めるときはとりあえず20時間やってみよう」という記事。
この話自体はこのブログでも何度か言及していて普通に役立つというか優秀というか試す価値大ありなんですが、この時点ではなんでお前がその話してるねんという文脈が一切ないのですごくペラいです。
何かを新しく始めるときって不安ですよね。
「今さら始めて大丈夫なのかな」とか「物になるまでにどれくらいの時間が必要なのかな」とか「やってみてあんまりおもしろくなかったらどうしよ」とか「どれくらいやれば初心者卒業できるのかな」とか。
今回は、そんなときはとりあえず20時間やればいいよということについて書いていきます。
プロのレベルに達するには一万時間必要
「何か新しいチャレンジを始めて、一定のレベルに達するまでに一万時間が必要である」というのはよく言われることです。
でも気軽にちょっとなんか始めてみようって思ってこんなこと言われたらやる気なくなりますよね。
実はこの「一定のレベル」というのが重要なところで、ここでの一定のレベルというのは「プロレベル」のことです。
つまりざっくり言うと、「一万時間やればプロになれるよ」という意味なんです。
だから別にプロを目指すわけではない僕たちは、こんなにも時間をかけないといけないのかと身構える必要はないわけです。
まず目指すのは「そこそこ」レベル
僕たちがまず目指すべきは「そこそこ」のレベルです。
とりあえず面白そうだからやってみて、ちょっとなんかできるようになったらいいなってそんな気持ちで始めます。
もちろんそこでドはまりして、もっと上のレベルを目指していく人も出てくるかもしれません。
でも僕たちは、まずはそこそこレベルになれたら十分なわけです。
例えば楽器だったら一曲弾けるようになって友達の前で披露できたりとか、料理だったらこれだけは誰が食べてもおいしいみたいなものを作れるようになったり、まずはそれくらいでも初心者からすれば満足ですよね。
そこそこ「レベル」は20時間で十分
で、それくらいのスキルを身に着けるのに必要な時間はいったいどれくらいかというと、
20時間です。
この根拠ですが、これは何かを始めるときの「かけた時間」と「成長率」の関係からわかってきます。
「かけた時間」と「成長率」の関係がカギ
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これはその関係を表したグラフなのですが、見ての通り途中から成長具合が緩やかになっています。
始めは少しの時間で大きく成長できるが、ある一定の時間で習得できるスキルのもっと先まで習得しようとするとかなり時間をかけないといけないという意味です。
それでそのある一定の時間が20時間ということです。
つまり、成長率が大きい最初の20時間で得られるスキルをさくっと習得して、そのあと時間をかけてさらに頑張るかは20時間やってみてから決めようという作戦なわけです。
本来はこの20時間を超えたところに大きな壁が現れたりするんでしょう。
そこでいろいろもがいてさらに成長できたりするんでしょう。
でも我々にはそんなことは関係ないですからね一。
一番時間効率よく習得できるスキルだけとりあえずほしいだけですからね。
最初は20時間だけ頑張ろう
何をやるにしてもとりあえず20時間だけは頑張ってみるんです。
そうすればとりあえず初心者は卒業して、何かしらのことはできるようになっているはずです。
そのタイミングでもうちょっとやってみるかを考えようということです。
20時間もやれば、この先やろうとしていることがどれくらいのことかも想像できるようになります。
だからやるやらないの判断は20時間頑張って取り組んでからということです。
最近20時間やったこと
僕もこれを知ってからなんかやってみたいことが見つかったときは最低20時間はやるようにしました。
20時間やったらどれくらいのレベルまで行けたかちょこっと紹介します。
ギター
あいみょんの「マリーゴールド」を弾けるようになります。
全くの初心者でコードを覚えるところから始めましたが、20時間やれば一曲ぐらいは弾けるようになります。
僕は今も続けてやっていますが、ここまででも一応ギターできるって言えるレベルまでは来ているわけですね。
プログラミング(HTML,CSS,javascript)
これらはWebサイトを作る基本的なやつなのですが、20時間やるとその基本は一通り理解できるようになります。
調べながらやれば簡単なサイトは作れるぐらいのレベルです。
これに関しては20時間やってみてあんまり好きじゃなかったのでそこでやめました。
やめましたがここまでやるだけでも得たものはいっぱいあったので、こんな感じでとりあえず20時間やっていけばいいと思います。
まとめ
まとめとしては、「やってみたいって思ったらとりあえず20時間はやる」ということですね。
この20時間の考え方、取り入れていきましょう。
後半でとってつけたように自分の話を盛り込んでますが、全体としてなんでそれが重要でなんでそれをやってみようとしたのかという個人またはブログレベルでの方向性がなくて、そこと紐づいてないので仕上がりとしては非常にびみょい。
2019年11月2日
次は「ブログ初心者の僕が10記事書くために大事にした4つのこと」という昔よく見た系の記事です。今だったらnoteとかにこういうの多そう。
なんかこういう感じのみんなやってるからやってみたいというだけで書いた記憶があります。
昨日でようやく10記事に到達して、一番恐れていた10記事すら届かないという最悪の事態は回避できました。
そこで今回は僕が10記事書くまでに大切にした考え方をまとめました。
僕は続けることだけをまず最初の目標にしていたので、その観点からの記事となっております。
自分のためだけに書く
最初は自分のために書いてください。
「読者のために」とか「有益な情報を」とか初心者が考えても無理なんで、こんなんどうでもいいです。
よく一人で考えてることとか、最近思うこととかなんでもいいので今頭の中にある何かを自分の言葉で表現すればいいです。
なんなら「記事書こうとしてるけど何も思いつかない」みたいなことをだらだら書くだけでも別にいい思います。
とりあえず1記事書けたら勝ちです。続けることだけが正義です。
僕の最初の記事は、本を読んで知ったことを忘れたくないというだけのやつ。
「世界一シンプルな財務諸表(決算書)の読み方」2つ目の記事はワードプレスのテーマを買って感動したというだけのやつ。
「ブログ初心者がWordPressテーマ「JIN」を購入してみた。」最初は自己中でいいと思います。
完璧を目指さない
一つ目のとほぼ同じですけど、これも大事です。
初心者ができることは限られているので、ブログ記事の最底辺まで持っていけたら最高ということです。
記事がしょぼくても誰にもなんも言われないので、公開したという事実だけ自分の中に残ればいいです。
僕が今もやっているのは、一通り記事書いてもっとよくできそうって思ったらその瞬間やめるっていうやつです。
上を目指すときりがないので。
せっかく今のところちょっといい感じにできてるのに、もっとよくできるか考えた瞬間その頭の中のやつとの比較が始まっちゃうのでそうなったら作業やめて記事公開します。
僕もまだ10記事しか書いてないのでわからないですけど、ずっとやってたらたぶん勝手にうまくなるので自分から上達しようとしなくていいです。
記事書くことを最優先にする
これは毎日更新したい人だけでいいと思いますけど、記事書くことを最優先事項にしないといけないです。
コンテンツがあふれ放題のこのご時世に、始めた直後のブログよりやりたいことなんかいくらでもあるのでこれは自分で意識しておかないと続かないと思います。
僕は帰ってきたらとりあえず1記事書くっていうルールにしてます。
パソコンの前で記事のネタを考えない
パソコンの前で何を書くか考えるストレスはしんどすぎるので、普通に生活してる間に決めておくのがいいです。
僕はちょっと書けそうって思ったことは片っ端からスマホにメモするようにしました。
見返すことはほぼないですけど、どうしても書くことがない時はそこから拾ってこれるように保険として使ってます。
まとめ
まとめとしては、最初は続けることだけが大事なので記事の出来栄えとかはどうでもいいです。
1か月後にでも書きなおせばいいです。
これまた誰でもいえそうなことばかり書いております。
2019年10月25日「大学生はバイトするべきじゃないですよね」
あとは2019年10月25日公開の「大学生はバイトするべきじゃないですよね」というタイトルの記事。
最初の二つは「読者に役立つものを」というのを必死で意識してるのがもろばれですがこちらは一応自分で考えたことを書いてるので今振り返ってみるとこれが一番読めるというか面白い。
僕は今大学2年生でこれは入学当初から思ってたことですが、大学生はバイトするべきじゃないですよね。
だっておかしくないですか、時給1000円とか。
20歳そこらの人の1時間が1000円程度で買われていいわけないと思うんですけど。どうなんでしょうか。
しかも行き帰りの移動の時間とか、行く前に多少準備する時間とか考えたら実質の時給はもっと安いわけですし。
確かにバイトしないと遊ぶお金とか足りないんでしょうけど、今1000円で働くよりやったほうがいいことっていくらでもありそうで。。。
そもそも高いお金払って大学に通ってるのに、その通ってる本人は安い時給で週3回4回も働くって、その構造自体に違和感ありまくりなんですよね。
だから親に授業料払ってもらってるんだったら大学生の間は遊び代まで一緒に払ってもらうか、遊び代の分は奨学金借りるかでよくないですか。
まあ一回もバイトせずに社会人になるのはどうなのかっていうのもありますけどね。
経験のほうを重視するっていう考え方もありそうですか、今の間しかできないバイトとか。
僕の友達でキャバクラ的なところでボーイ的なことをしてる人がいますけど、そういうのは羨ましいなって思いますね。
だって普通に大学生してたら経験しない世界だと思うので。
まずこの「世界」とか言って大きく捉えちゃってる時点で、僕がその辺のことを知らないってことですもんね。
多分知ってみたら意外とこんなもんかってなるんでしょうけどね。だいたいそういうもんですよね。
でもこの「意外とこんなもんか」をいっぱい持ってる人が結局豊かな人ってことなんでしょうね。
だからそういうタイプのバイトはいいですよね。実際その友達はバイト楽しいって言ってて、お金のことはあんまり気にしてない感じですし。
あとは10個ぐらいバイトしましたみたいな人もいいなって思いますね。
いろんなバイトをして、いろんな職種体験があるとその分いろんな視点で物事を見られそうなので。
これも過大評価なんですかね。わかりません。
でもこうやって考えてみると、結局お金以外でそのバイトから何が得られるかっていうのが大事なんでしょうね。
だからただ働いてるだけ、みたいなのはちょっとどうにかしてみたほうがいいってことですか。
僕がそれなわけですけど。
株価が跳ね上がるその一日のために長期保有する
というわけで6年前に書いた記事を振り返ってみました。見ての通り残念なクオリティではありますが、続けてるとどういう書き方が自分にしっくりくるのか、どういうこと考えて書いたらいいのか、技術的にも哲学的にもちゃんと考えてると深まってくるもので、
こういう類の話で一番イメージしやすいのは、株でドルコスト平均法ってありますが、あれは株価の上がり下がりは予想できないから一定の感覚でずっと買い続けてればいい感じになるでしょうって発想ですよね、
で、これの重要なポイントは、ある株をいくら長く持ち続けていても大きく値上がりする数日にその株を持ってないと利益の何十パーセントはないってことないということ、
長く持っていればずっと連続的に値上がりするのではなくて、2,30年の中で一気にジャンプるする何日かのタイミングでちゃんとその株を持っておかないと意味ないのです。
ブログとか情報発信でも続けることだけが大事でずっとやってれば急に感覚をつかむとか書き方や考え方の部分で疑問に思ってたことが解決する瞬間があって、それはたまたま読んだ本とかたまたま見た記事に書いててハッとすることもあったりして、だから続けられるやり方だけが正解で、続けていればずっとそれについて考えることにはなるので一気に跳ねるタイミングまで待てるということになる。
「だらだら続ける」におけるだらだらの意味
と言ってもだらだら続けても意味なくて、でもこのだらだらにはかなりいろんな意味があるので見方によってはだらだら続けるからいいとも言えるがこのだらだらについてもう少し考えてみると、なんかわからんけど続いているぐらいがちょうどいい温度感で、
でもなんかわからんけどとは言ったものの実際は何かわからんわけではなくて続けている理由はめっちゃしっかりあってでもそれは大枠の外側の話で、
「今日何かを書いた」は結果論的に「今日も書いてしまった」ぐらいのものでそこには必死で書かねばならないというものはなくてでもそれは今日書くときには消えてるだけで奥の方には野太く存在していて、
そもそもはそこをしっかり考えていたからこそあとは今日の気分で今日書きたいことを描けばいいという状態になっているだけでつまりこれも1/fゆらぎの話と同じで外側の秩序をしっかり作った後だからあとは内側では自由でカオスでランダムでいいというか、
むしろだからこそちょうどいいリズムになって心地よく感じられるというもので(もちろん受け手読み手にとっても)、
じゃあ外側の秩序って何かと言うとそれが人生の方向性とかブログのコンセプトとか、文章についての哲学のようなもので、これらもまたフラクタルになっているので、
人生の軸とか方向という枠の中にブログとか情報発信というものがあり、その情報発信という骨格の中にその秩序の中に文章を書くという秩序だった行為があり、
そしてその文章を書くとはどういうことか何のためにどこに向けてどんな意識でどのようなリズムで文体でどんな内容でどんなテーマで書くのかという、その外側の秩序を個人として確立させていくからこそ今日適当に書きたくなったそれがその外側に連続的に並び広がり続けている秩序の門と矛盾せずむしろその適当具合が外側の適当じゃなさ具合とマッチしてなんやかんやでよくなるというもので、
それをひっくるめて今日書くことについてだらだら続けていると言ってるのであって、外枠の秩序について考えることそしてこれを積み上げていくことはこれは毎日だらだらではなくちゃんと考えていくもので一生続けていくものでそしてここを考え続けるからこそどこか一日でストップ高になるような値上がりのタイミングを拾えるというもので、
つまり一瞬の悟りというか長年のそれに対する疑問が解決されるとか自分にとっての答えが見つかるとかがやってくるもので、だからだらだらとか適当にとは言うがそこにはこういう意味合いがあって、でも結局はだらだら楽しくやれるやり方が一番いいのである。
いつも見ていただきありがとうございます。