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小籔千豊のロングトークから考える、当たり前にできることをやる以外に道はないという話

こんにちは、高本です。

今日は「小籔千豊のロングトークから考える、当たり前にできることをやる以外に道はない」という話です。

「短い話のほうがむずい」

少し前に小藪一豊のこの動画を見てたんですけど、面白かったことがありまして。

もちろん内容は funny なんですが、interesting 的に「やっぱそうやんな」と。

小藪氏のすべらない話聞いたことありますか、もちろんありますよね。で、めっちゃ長いですよねw

特別おかしなことが起きてるわけじゃないのに、それをあそこまで面白く話せるのすごい、ということを芸人にもよく言われるらしいんですね。

でもそれは別に特別なのではなく、「それしかできひん」って言ってました。元々ファミレスでずっと何時間も喋ってたところから来ていて、短く話すほうができないと。

だから無理してなくて、自分にとっては当たり前のやり方で喋ってるらしいのです。

たしかにざっくりハイタッチのチャンネルとか見てても、ただの通常回なのにオープニングで小藪氏がやたら一人でしゃべってる時があります。

見ていて結構違和感あったんですが、そういうことだったのかと。

つまり、本当に自分にとって当たり前のことを淡々とやっていく以外に、もうどうしようもない。

他の人が小藪氏にとっての当たり前にチャレンジするのは、カロリー使いすぎます。

日常の振る舞いで生まれたものを公の場に移しただけ


それと関連して、もう一つ気になってたことがありまして。

というのは、どうやってこんな話を組み立てるんだろうと。日常の何でもない話を面白い形で切り取る、そのアンテナはどこから来るのかと。

昔書いたこの記事でもそんな話をしてたりとか。

でもそれも、からくりが分かった気がするんですねw

後半の 22:50~23:00 あたりで小堀氏をくさすシーンがあるんですけど、これあのシーンとめっちゃ似てるわけですよ。

だんじり野郎のときの「俺はあなたと面白い話のディスカッションする気ないから」っていうくだり。

つまり、ただ仲間内で最近の出来事をずーっと喋っていく中で盛り上がった部分を、そのまま持ってきただけだったんですね。

今はもう別にファミレスではないでしょうけど、それこそ飲みの席でも会議室でもその場にいる人に笑ってもらおうと喋る中で、反応が良かった部分を持ってきてるってことです。

だから最近あったことを振り返って、なんとか面白いことを見出してエピソードに昇華させるんじゃなくて、

普段から身の回りの出来事を面白おかしく話していく中で、いつの間にか出来上がっていただけ。

芸人のトークはブログ記事と同じ

で、そうなると意味は分かります。

芸人のエピソードトークは、僕たちで言えばブログ記事などのコンテンツに当たります。

僕は普段何か見たり聞いたりする中で、発信のネタになりそうなものはちまちまメモしております。

で、ふとメモを見返したときに、「今めっちゃこれを喋りたい」って思ったものを、そこから広げる形で記事にしてたりします。それこそ今回のもそうですね。

だから芸人のYouTubeを見て、人生・情報発信・遊びみたいなものを絡めて発信したりすることになります。

これって構造としては、小藪氏が日常の一幕からロングトークするのと結構近いと思うんですね。

身内での会話の拡張をすべらない話に持ってくるというのは、ただの日常的な振る舞いから生まれたものを、公の場に移してきてるということ。

つまり、一切無理してないってことです。

それが個性であって、その人だけが持つ特殊能力です。

これは小藪氏にとっての当たり前の在り方ですが、誰にでもそれぞれ自分だけの「当たり前」が存在します。

自分では当たり前すぎてなかなか気づくのが難しいですが、でもその当たり前を存分に活かすからこそ、他の人との違いが浮き上がってきます。

だからもうこれを使い倒していくしかないとw

だって誰かが自分のやり方で生み出したことがあったとして、それを僕が同じやり方しても無理ですからね。

僕とその人では、そのやり方に必要なエネルギーが全く違います。

自分にとって楽しいやり方以外は総じて間違いである


じゃあ今当たり前じゃないことは一生やるべきじゃないのかっていうと、これも違っていて。

あくまでもここで言ってるのはやり方の話なんですね。何かやるにしても、アプローチは死ぬほどあります。

例えばジャルジャルは同じ芸人ですが、ひたすらコントを上げまくってます。何年も毎日新しいコントをやり続けてると。

でもそれも無理してないと思うんですね。というか、無理してたら続いてません。

だから本人にとっては、そのアプローチが正解ということになります。

無理してる時点で自分に合ったやり方ではないと。一番気持ちいやり方でやればいいんです。楽しくないやり方は全部間違いです。

 

例えば、僕はギターやり始めて何年か経つんですけど、指のトレーニング的なのをしたことがないんですね。

最初始めたときに、「毎日5分間ドレミファソラシドをずっと順番に弾いていくと、劇的に成長速度が変わる」というのをいくつか見ました。

でもこれをやると、多分途中でしんどくなって、ギター時代やる気がなくなるなと思いました。

というわけで、もう好きな曲で簡単にできるのだけやってたわけです。あいみょんとかあいみょんとか。

そうすると、成長速度は多分劇的に遅いんですけど、続けてるだけで毎日0.1%ぐらいは成長してるんですね。じゃあもうそれでええやんとなるわけですw

5年も経てば、そこそこ弾けるようになってます。

 

あと僕は子供の時、黒板に字を書くのがなんか好きだったんですね。

勉強も座って紙に書くより、黒板を使う方が楽しい。ちょっといつもと違う新鮮さがあったりして。

だから大学院時代も研究室では座って論文読んでインプットして、ある程度蓄積してきたらホワイトボードがある部屋に移動して、そこで書き出しながら整理したりしてました。

これに関しても、もっと効率的な勉強のやり方はいくらでもあると思います。科学的に正しいやり方もいくらでもあると思います。

でも客観とかどうでもいいんですね。

自分が楽しくて続けられるやり方以外は全部間違えてるわけです。

だって、やめたら意味ないのだから。

歩みが止まったら効率もくそもないのです。

まとめ

だから、やめないやり方だけが正しいんです。

で、当たり前にできるやり方が、まさにそのやめないやり方というわけです。

情報発信についての話もたまにしてますが、これも自分が当たり前にできるやり方を見つけていけばよくて。

ブログの書き方とかコピーライティングとか、もちろん勉強したほうがいいことはいくらでもありますが、これもやめたら意味ないのです。

そんなものは後から余裕のある時に整理すれば何とでもなります。

というわけでぜひ、今自分が当たり前に出来てることを考えてみてください。

ここまでお読みいただきありがとうございました。