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なぜブログの日付も重要なメッセージと言えるのか

5年前ぐらいによく見ていたブログの人が別のブログを作っていて、そこで今はそんな感じで活動しているのか、と分かって面白かったんですが、

真っ先に目に着いたのは、記事の日付が非表示になっていたということ。

で、ここで2つ面白いことがあって、「その表示になっている意図を考えることの面白さ」と「そこに一番最初に目が行ったことの意味を考える面白さ」の2つ。

日付もその記事の内容の一部

まずは日付が非表示であることの何が気になったのかと言うと、僕はブログの記事において日付というはかなり重要なものと考えていて、

それは「そのページや空間が生きたものであることを表現する記号」だと思っているから。

例えば更新が3年前で終わっていたりすれば、情報とか何か役立つようなコンテンツである場合その信頼性が少し下がる、

普遍的なものに対する考察などであればそれほど関係ないが、内容とは別に、「今はその書き手はその続きとして活動はしていない」という情報も加えて評価する。

つまり、それも一つの内容としてみている。

だから、例えば人間心理など普遍的なものに対する考察であれば、今は活動していないことを加味してもそれほど影響はないが、

どう生きていくかとかブログに対する取り組み方などを扱っている場合は、

「その内容を本人が実践していったときに、現時点での結末として、少なくともブログ活動は終了した」

となっているので、それを踏まえて何をどこまで受け入れるかを判断することになる。

更新がストップしてるからダメと言うより、その場合もあるが、更新が止まってることも記事の内容に含めて全体として評価しよう考える。

だから、ブログにおいて時間の情報を僕はかなり重視していて、つまり、このブログだと最初に書いた日付と最終的に更新した日付の二つを乗せているが、

それは例えば、2023年にある記事を最初に書いたとして、最終更新が2025年であれば、その記事では、「そこに書かれている内容に加えて、その内容について今でも大きく否定しているわけではない」、というメッセージになるとして捉えている。

というか、そこまで伝わってしまうものだと考えている。

だから良くも悪くも日付というのはかなり重要な情報だと思っていて、そう考えたときに、この前見つけたそのブログで日付が非表示になっていたということは、その書き手は意図的に表示していないということになる。

その人は以前のブログでは表示していた。

だから今は表示しないことが大事と考えたということで、これを考えてみれば、逆に日付を表示しないことで、普遍的であることを示す働きがある。

「いつ書いたとか関係なく中身だけ見といてくれたらいいですよ」、というメッセージを発している。

例えば、ある記事が更新されて、次は3か月後にまた一つ更新されて、そこから5か月たっています、という場合、ぱっと見ではあんまり活動してないなって伝わるが、そこを隠したいという心理が働いていて、

「だからそんな時間の流れに乗せて評価してくれるな」または「それに関係ない内容ですよ」と言いたいのだとこちらは受け取る。

という意味で、日付が表示されてないことがまず気になった。

なぜ内容よりも日付に目が行くのか

ただ、それに加えてさらに、昔見ていた人が新たにブログをやっているのを見つけたにもかかわらず、内容よりも真っ先にそこに目が行ったのがおもしろい。

今書いてきたように自分がどれぐらい日付の情報を重要視しているかを表している。

記事の内容とかそこに書かれる言葉というよりも、そのサイトとか記事全体として何を伝えようとしているか、逆に何が表現されてしまっているかを読み取ろうという気持ちが強いとい。

強いというかそう見てしまうぐらいかもしれない。

もっと前であれば内容だけで見ていたかもしれないが、紙は細部に宿るというように、文章レベルであれば一つの言葉遣いとかチョイスで、その人の奥にあるメッセージが漏れてしまうわけで、

それは意図するしないに限らず、だから意図してそういう意思を表現しようとしてやることもあれば、意図しないうちにそういう表現になってしまい、

本来伝わるはずの言葉にちがったニュアンスが含まれ、本来届いたはずの人に受け入れられないことが起こってしまっているかもしれない、

特に対面で顔を見て話するわけでもない、ネット上の誰かもよく分からない人による謎の文章であれば、それぐらい全ての要素に注意を払う必要があり、

そう考えたときに真っ先に日付のあるなしに反応してしまう、ということが起こったということになる。

これはミュージシャンが一音一音に細心の注意を払っていることにも近いのかもしれないが、それで言えば、僕は例えばEmというコードとEm7というコードが、一音ずつ引くんじゃなくて、普通に曲の中で出てきたりすると全然違いが分からないんですが、

それは僕がギターをやる環境は、その違いに敏感にならざるを得ないものではないということを意味していて、

だからそれが神は細部に宿るの記事にも書いていたように、それはあなたに取って神がそこに宿るかのように気にしてしまうぐらい重要なことなんですか、と問われている。

だから自分の目の向け方に、何を無意識に重要だと感じているのかが現れるし、そして現状の振る舞いというのはそれらの問題にどんな答えを出しているのかを反映していることになる。

現状はこれまで抱えてきた疑問や問題に対する自分の回答の現れである、という話

その行動や活動は生きたものであるのかを重要視しているから日付に目が向いて、だからここでは日付を表示していて、そんな細かいところまで総動員してちょっとでも全体としての動いてる感を反映させようという意図がある。