amazon の購入履歴を見ると2019年の11月になってるので、大学2年生の時に読んだ。今でこそ「遊び」とか「遊ぶ」というのは僕の中でキーワードになってるんですが、当時はまだなんとなく退屈だなあとか思っていた。そんなときにこの本を読んで今圧倒的に足りてなかったのが遊びだと気づいた。
遊びと言っても大人数でワイワイしたりというより、どっちかと言えば面白い遊びを作るとか見つけるとか考えるとか、「日常の中に自分が面白がれる物や時間を増やしていく感覚。で、そういう精神を遊び心というのだと思ってます。
といっても、長らく遊ぶということをしていないと、大学生や社会人になってからどうやって遊んだらいいのか分からないわけです。
そういえば、この時塾でバイトしてたんですが、そこに同期の講師がいまして、彼は勉強はほどほどにして遊ぶのが好きなタイプだったんですね。で、授業が終わって教室から駐輪場までの間ちょっと喋るタイミングがあり、その人が「これから遊びに行くんですよ~」みたいなことを話の流れで確か言ったんです。その時に僕は「遊ぶって何するんですか」って聞いた記憶があるんですね。
それは「どこ行くんですか」とか「何をするんですか」という意味じゃなくて、「遊ぶってどういうことですか」みたいなニュアンスで聞いてるんです。今なら「遊ぶは遊ぶやろ」で終わりなんですがw、その時は「遊ぶってなんやねん」ってなってたと思うんですね。
で、これはかなりやばいわけです。この本を読んだタイミングとどっちが先か分からないですが、たぶん読む前ですかね流石に、遊ぶって言われてもそこで何が行われてるか想像できてないわけです。つまり相当遊んでないってことです。
確かに、高校生の時は学校が遠すぎて、電車からのスクールバスで通学してたので、帰りにみんなとちょっと寄り道していこうと思うと、最後は一人で私バスを捕まえて帰らないといけないのです。ということで、ほとんど家に直帰していました。
もう少し遡れば小中学生になって、この時は確かに毎日遊んで楽しかった記憶があります。ってなると遊びと言われてもその辺の映像しか出てこないわけです。
そんなわけで、こういう本を読んで遊びってそういう感じかと、といってもここに書いてるのは社会人が趣味の延長で一人でミニ企画みたいな形で遊びつつ、周りにも共有して仲間を増やすともっと楽しい、という感じです。僕はそれに加えてシンプルに友達と遊ぶ、みたいな時間も大事だと思ってます。周りの遊び上手な人と遊んでみると新鮮な体験ができたりします。
遊びと言っても例えばパッケージが最初から用意されてるところにお金を払って参加させてもらうみたいなのは好きじゃないんですね。それってこっちの遊びの精神は関係ないですよね。むしろ、それがない人のためにお金と交換で、こうやって遊ぶんですよ~って枠が作られてるところに収まりに行ってる状態です。
それだと学校のキャンプみたいに、「この時間はここでこうやって遊んでください、次はこのチームでカレー作りします、お風呂は15分で入りましょう」って全部決められた流れに乗るだけの過ごし方です。子供の時はそれも込みで楽しいのでもちろんいいのですが、僕は今日一日をいかに面白く過ごしていくか、という力を伸ばしていくほうが大事だと思っていて、それがさっきも出てきた遊び心、というものだと思ってます。
だからいくらでも素通りできるところから面白いポイントを発見して横にそれていく、段差を作りそこを乗り越える過程を楽しむという遊び方の方が好きなんですね。めっちゃ雑に言えば、ドライブ中に面白そうな店を見つけたらちゃんと止まってそこに入る、みたいなことです。
で、ひとつ面白かった遊びというほどでもないんですが、夜に友達と車に乗ってた時にBBQしようってなったんですね、でも結構遅い時間だったので、どうするのかなと思ってたんですが、ドン・キホーテで墨と網と肉を一人前分ぐらいだけ買って、住宅街からちょっと外れた川沿いでひっそり始めたわけです。
こういう何もないところから作っていく遊びが面白いと思っていて、というか、逆に何もないところから面白い時間を作っていく力、自分を楽しませる感覚がいろんな人が遊びが大事とか言ってる所以だと思うのです。
結局これって欲しいものを自分で作ってるってことですよね。出来上がったものをお金と交換で手に入れるのではなくて、自分で作るところからもう始まっていて、だからBBQが面白いんじゃなくて、ゼロからいきなりその場でBBQを始めようと準備に動いた時間も込みで面白いってことなんだと思います。
この今欲しているイベントやモノや感情をアドリブで満たしていくコツが分かってくるところに、遊びのよさがあるんですね。
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