インターネットの情報で何もかもやっていくところからの変遷として、今はまた物質の時代にたぶん移り変わっていってる。
コロナの時にリモート会議などネットを介したコミュニケーションが増えたところから、それが終わると次は人に会うとかの方向に向かっていくようになり、
その延長なのかは分からないがでも確実に物質とか対面であることの価値は上がってきている。
映像でしか表現されない未来像
そういえば、この前万博に行ったときに思ったのが、デジタルのものがすごく多かった。
中に入れたパビリオンの偏りも大きいのかもしれないが、
「未来」とか「これからの時代」などのコンセプトで展開されるのは、ことごとく「AIでこういうことができるようになる」「日常はこうなっていく」というもので、
それらは基本的にプロジェクターでスクリーンや壁に映ってるが、そのアニメーションが古臭いというか、あまり新しさもなく、よく見た景色や雰囲気で途中でうっすら見飽きてくる。
未来をうたうものはすべてアニメーションとかテクノロジーとか、技術としてはすごいのかもしれないが、
それが作り出す世界のイメージはどこか見たことのあるものでそれほど引き付けられない。
空間を体験するクロアチアパビリオン
それよりもむしろ小規模なところの方がその場で手にとって体験できるものが多く、一緒に行った人とも楽しめる感じがあった。
例えば、べナンかガボンか忘れたが伝統的な陶器や楽器が民族衣装が展示されていたり、帽子をかぶってみれたり。
一番印象的だったのは、クロアチアのパビリオンで、これは一つの建物として独立してあったわけではなくその中でほかの国のパビリオンと並んで存在していて、
スペース自体もちょっと広めの一部屋分ぐらいしかなかったが、そんな十分にあるとはいない広さの中で体験できることとしては一番だったのかもしれない。
クロアチアは場所によって複数の気候があるらしく、5つの気候を一つの部屋の中で再現するというコンセプトで、
天井からつるされた合計十何キロメートルのビニールのチューブに水が流されていて、その水温で気温や湿度をコントロールする。
部屋の中で扉によって5つに仕切られていてそれぞれの気候を再現しているのではなく、パイプの配置とその中を通る液体のコントロールによって、一部屋の中で5つの気候を再現していた。
実際にそれぞれの場所でパイプを触ってみると暖かかったり冷たかったり、実際に手で触り身体で感じることのできる体験が用意されていて、結局それが一番印象に残っている。
本当の近未来
台湾のパビリオンでは複数のタブレットが使われていたり360度のスクリーンできれいな映像を見たりした。
確かに技術は多分すごくて映像ももちろん面白いのだが、
体験としてはスクリーンがあって、前に立ったり座ったりしてそこに流れるものをただ受け取るというもので、
規模の大きさやサイズ感による迫力と新鮮さはあるにしても、家電量販店で大画面のテレビを見てるような感覚に近い。
身体を通してこの今ある場に参加したことを味わえるのは、やはり物質に重きが置かれた空間で、
むしろそっちこそが、近未来の豊かさや面白さなのではないかと思う。
畑にしても、土の手触りや重さを感じることに体験としての面白さがあるのであって、野菜が育つ過程をモニターを通して見ていたいわけではない。
コンサートや球場に行くのは音の圧や空間からの熱を感じたいからで、歌手が歌い、ピッチャーが投げるさまを視覚的に味わうことが主眼ではない。
同じ空間にいることでしか体感できない、皮膚や鼓膜を通した物理的な振動のためである。
産業革命から始まる物質の時代を経てインターネット時代に突入したが、物理的なかかわり、触ること、場や空気を体験することの面白さが再発見されていく。