エネルギーの源泉から湿地へ
【エネルギーの源泉から湿地へ②】人生単位ではなく1日単位で
ひたすら湧き水が出まくりスポットを見つける。
止まっていては不健康なので、動き続けたい、そしてエネルギー循環的に言えば、何か発信される形が好ましいんですが、その発信されるものがないというのが、悩みの種になりがちです。
これに関しては、一応ターゲットが何とかとか言ってたんですが、
それよりも一生言い続けたい話、そんな領域に気づけることが非常に大事なのです。
大事というかもうそれがすべてだったりします。
だって一生言いたいことが出て来れば毎日何かしら手を動かして書くわけで、書いてれば技術的なことは向上するわけで、
書きたいことを書きたいように書けると楽しいのもっと書きたくなるわけで、
つまり、頑張らなくても言いたいことがあふれてくる状態というわけです。
メモ帳と本棚から
ここで一つ分かれ道がありまして、書きたいことがあふれてくると言いましたが、
①それについては本当に言いたいことがいっぱい出てくるというのと、
②別に今すぐに何か言いたいわけではないが、その感じを呼び起こす方法を知っているかということがあるんですね。
で、今回言いたいのは、①の「こんな話なら一生していたい、こんな部分が気になってしまう」という抽象的な何かを見つけるには、ということなんですが、
これって自分のメモ帳とか本棚を見返すと、分かりやすいです。
そこでよく出てくる話がもうめっちゃ興味ある話題ってことです。
僕は自己啓発本を死ぬほど読んでた時があって、今はそういう分かりやすいのは必要としてないですが、結局興味があるのはその辺の領域なんですね。
つまり、「自分はどう生きたいのか、どう過ごせれば気持ちいいのか、どう社会と関わりたいのか」みたいなことが気になってきたのだと思います。
で、それは自分の問題として深刻だったわけなので、何とか解決しようとしてもいました。
だからこれらについては、考えてきたことや取り組んでみたことがいろいろあるので、日常のいろんな出来事をきっかけとして、そんな文脈で言葉が出てきやすいのです。
これは別に人に対して何か働きかけようとか言うことでもなく、自分の興味としてそういう流れが始まりやすい。
湧き水があふれ出てさえいればい
で、「読む価値のあるものを」見たいなことも思ってたんですが、それも別に最初に考える必要はない気がしていて、
というのは、読む価値は勝手に読んでる側が見出す部分もあるわけです。
だからそこで止まって手が動かないのであれば、一旦書いて出してみて、ややこしい言い方をすれば市場に問うてみればいいわけですね。
で、反応なかったら、「そうですか、まあ別に今日はまた違う話するのでいいです」という感じで、
僕たちは湧き水あふるるポイントを知ってますので、別に反応なかろうが関係ありません。
その水がおいしいからいいのです。どうせ溢れてもったいないので、自由に飲んでくださいねというだけなのです。
別に満たされてる人にいらんっていわれようがまあいいです。またがぶ飲みして腹パンパンになれば誰かに配りに行きましょう。
そんな湧き水ポイントを知ってるってことは、何をしてる時が楽しいか知ってるってことです。
何を知りたくてたまらないのか、何を深く掘り下げていきたいのか知ってるってことです。
そこだけわかってれば、調べて楽しい、考えても楽しい、日常からそれとの関係を見つけて楽しい、書いても楽しい。全部いい感じです。
だから続きます。
というわけでそんな湧き水ポイントを見つけていく。
これまでの人生の流れから見つける
エネルギーの源泉を見つけるには、外の世界に見出すというのもあるが、これまでの人生という流れから見つけ出すというのもある。
というか、むしろ外から見つけるのは難しい。
そうではなくこれまでの生きてきた歴史に、必ずその影は見えていて、それをキャッチする、
それが「人生の軸」という概念でもあって、直接的にはブレインダンプとかするのがいいです。
この記事とか本で書いたのは「人生の方向性」という話で、
直接的には「好きなこと」「過去に興味を持ったこと」「やりたいと思ったこと」などを全部書き出して、そこに全てに共通する物を抽象度を上げて抽出するとヒントが出てくる。
レヴィ=ストロースは構造主義を打ち出したが、子供の頃にすでにそんな気配はすでに出ていた。音楽や地層などの構造に関心があったらしいです。
このまえ久しぶりに会った友達と「最近は何してんの」という流れで喋ってたら「その時の興味のまま来てるんか」と言われた。
「中学生の時に宇宙人が気になったことがきっかけで、物理科に進んで、最近はそれとの関係でこういうことに興味があって~」という話をしてたので。
そしてその彼にもどういうことが好きなのかと聞いてみたら、喫茶店で喋っていて、座席の横のでかい水槽で金魚が泳いでいたのだが、それが好きだといっていた。
ミニチュアとか、「そこに小さな系ができているもの」という感じ、たぶん。
生態系とかも面白いらしい。しかも電車に興味はないけど路線図が面白いらしい。
どの線がどこまで繋がっていてどこに行けるのか、とかずっとみてられるらしい。
人材派遣系の仕事らしいのだが、ここには全部共通する部分があるように感じられて、全体を俯瞰することが好きなのかもしれない。
好きな物や好きな感覚と人生の相関
そして「ミニチュアを自分で作ってみたらいいやん」という話をしたのだが、「作るのは別にかな」って言っていた。
まあ彼は特にやりたいことがないとか、そういうことで悩んでるわけでもないようなので、そこで終わったのだが、
もし、好きなことがないやりたいことがわからないと言っていたら、「一回自分でも作ってみたらいいんちゃう」って言ったと思う。
多分その辺りにエネルギーの源泉があるので。
もっと言えば、その感覚、その「全体から見たい」とか、それが面白いという感覚は本人の人生と大きくかかわっているはず。
あんまり勝手に断定して進めるのもあれなので、ここからはフィクションということにするが、
それが好きなのであれば、人生レベルで見て「エネルギーが下がり気味の期間には全体を捉えることができてなかった」とか、そういうのが確実に絡んでいる。
そうやって全部つながっているものとして考えていくと、人生と目の前の日常が統合されていく。
いくら人生のことを考えていようと、今日の1日がつまらなければなんの意味もなく、今日が面白くても、「その1日限りの外れ値的な面白さ」では満足できない。
というか、それを継続できてこその人生である。
自分にとって心地のいい状態そうありたいようにいられる状態を継続できるように、エネルギーの源泉と生活がつながった状態を継続できるように、
それを日々の生活に組み込んで、そんな生活とその延長としての人生を組み立てていくことが人生をいい感じに遊んでいくということであって、そんなことに取り組むから今日が面白くなっていく。