キャンプのボランティアを見つけておもろそうだったので、その打ち合わせに行ってきた。団体の代表ではないが、運営者の人が来た。
当日の流れを聞いたのだが、「説明がスムーズに行き過ぎて逆にびっくりした」って言ってた。他の人はもう少し詳しく説明をしたりするらしい。
僕としては必要な話は説明してくれるのでそれ以上特に聞きたいこともなかったけど、多少不安だったりする人もいるらしい。
自分のことをあまり知らない人と話すと今の自分の客観的な印象が分かるので面白い。
「今何されてるんですか」という流れから、「大学院で物理の研究をして南米に行ってきました」という話をしたらかなり興味を持ってくれた。
こういうのも自分の周りではもうすでに受け入れられていることなので、たまに全く知らない人と話をしてみると、反応がおもしろかったりする。
「今まであってきた人の中にはあまりいないタイプです」ということを言われが、だからやっぱり、こうやってそれまでの環境の外、別の界隈に出てみると、そこでは珍しい属性ってことになるので、それを中心として話が広がっていく。
そもそも僕は、大学でずっと物理だけしてるとすごい狭い世界に生きることになりそうだったので最初はなんとなくそれを回避したい、ということだったのですが、
別に特別何か派手なことをしなくても関わるコミュニティを変えたり、そこまでいかなくても別のグループに近づいてみれば、それだけで人から見た自分の珍しいところとかが分かったりする。
非日常的体験や感じたことをすぐに言葉にせず内側にとどめておく
少し話がずれますが、今まではこういうちょっと変わった体験や非日常的なイベントがあったときに、もしくはそんな人と話した時に、
印象的だったことや感じたことをがっつりメモして忘れないようにとか、後で掘り下げて記事にしようとか考えていたが、最近はあまりそこまで思わない。
めんどうになったとか気分が向かないというよりも、今感じたことだけをささっとまとめて終わらすのではなくて、自分の内側で、はっきり形にしないままぼんやりとフワッととどめておくのがいい気がしている。
そこで感じたことや思ったことや会話の中で立ち上がってきた気持ちなどを今日すぐに言葉で捉えて形にしておくよりも、ボヤっとふわっとしまい込むことにして、それがまた全然違うところで全然違う話をしてるときに自然と紛れ込んでくるぐらいの方がおもしろい。
つまり、すぐに「今日こんなことがあって、こんな人とこんなことをしてこんな風に思ってこんなことを考えて、、、」と書き残すよりも、
その時間を過ごしながらもう少し漠然と、「今こんなことを感じている」と意識に挙げるまでにしておいて、あとはそれが勝手に育つのをまって、また別のタイミングで何か書いてるときに「そういえばあの時のあの話のように~」みたいな感じで、つながってくる方がおもしろい。
というのを、ちょっと前に村上春樹の小説論的な本で見た。
職業としての小説家(新潮文庫)たしかそこでは、「いろんな人を見て、でもそれがどんな人とかすぐに結論を出さずに自分の中にしまっておく」という話だった。
その時はいまいちわかるようでわからなかったが、今回キャンプの打ち合わせで話を聞いていて、何となくわかりそう。
会話の最中にところどころ浮かんでくる考えがあり、忘れないようにメモしておきたくなるかと思ったが、
「今こういうことが気になった」と一回意識に挙げておけば別に必死でメモしなくても、また違う話をしてるときに育ってきたその考えが滲んでくるはずなので、そっちの方がおもしろい、それは最初の時点で想定していなかった方に話が膨らんでいくってことなので。
例えば、「キャンプの団体を作った」という話をしていたが、それは「昔からボーイスカウトなどをやって、でもそういうコンセプトの団体がなかったから」と言っていて、これは最近気になっている「欲しいものは作る」という感覚。
▶準備をやめて思い付いた瞬間に今あるもので小さな完成品を作っていくと気分がいいという話
ここで僕のセンサーが反応したわけですが、でもそれをすぐメモしたところでスケール感がないというかなんというか、それ以上の広がりがない。
だから、「キャンプの世界でも自分があってほしいと思うものを自分で作る、という感覚はそらあるか」と思った、ということを今わかっていればよくて、
そうするとまた数日後に「欲しいものを作る」「読みたいものを書く」みたいな話をしてるときに、「そういえばこの前キャンプの打ち合わせで喋ってたら~」と自然に紛れ込んでくるはずで、そういう形で書かれた文章が面白い。
その予定調和じゃない感、そういう面白さが好きという話、まあ今回は速攻文章にしてしまってるんですけども。