こんにちは高本です。
今日は「経験や情報の落としどころが見つかれば人生から退屈がなくなる」という話です。
さっきふと「最近退屈って思うことなくなったなあ」と思いまして。
というのは、数年前はやりたいこととか好きなこともよくわかってなかったし、手あたり次第いろいろ手を出してみても、速攻飽きておもんねえってなってました。
でも今考えてみると、自分がどう生きたいのか、今日がどんな人生の流れの一コマなのか、分かってなかったからなんですね。
だから、周りのものとの触れ合い方や見方の引き出しがない。どこに注目すれば、どんな風に取り組めば、自分事になるのか分かってなかったんですね。
そのポイントは当然、「その人がどんな物語に生きてるのか」ということで変わってきます。
逆に言えば、それが分かればあらゆるものが自分の人生との対応で考えられて興味が尽きないし、どこにいても退屈なんてことはなくなるはずです、という話です。
経験や情報の落としどころがないと退屈になる
最近気づいたことがあって、退屈になるのは何か取り組んだり、コンテンツを見たりした時の意味づけができないからだと思うんですね。
それをどの角度から見れば自分にとって面白いものになるか、どこを落としどころとすれば興味を持てるのか。
そんな着地先がないのが根本原因というわけです。
で、それが人生の軸であり自分の物語であって、自分がどんな文脈にあるのかということです。
▶人生の軸を見つけるのは自分の物語を再構築することだという話
普段何をしてどう過ごしていても最後には自分が追求していきたいもの、そこに自分の人生の根幹があると確信しているものに結び付けられることに価値があります。
例えば芸人は、身の回りで起こることをすべてお笑いに変換して着地させて、面白いものはないかと考えるわけですよね。
旅行に行けばエピソードトークが生まれ、話題の映画に触発されてネタが生まれ、ちょっとした会話から一発ギャグやモノマネができるかもしれない。
最後はすべて笑いに着地させるはずです。
僕たちもそんなものが一つあればいいだけなんですね。それに魂を売ると言ってもいいぐらいかもしれません。
それを無しにするなら死んだほうがましとでも言えてしまうぐらいの。
それを自分で分かっていれば、その探求としての人生になっていきます。
そうなれば日常のあらゆる営みは仮説につながる気付きを得ることであり、それを検証・実証していくプロセスでもあるということになってきます。
仮説の見立てと検証のサイクルとしての日常
例えばこのブログは人生をちゃんと遊ぶをテーマにしているので、僕はそれをいかに実現するか、もっと推し進めていくかに普段の生活や学びを還元していきます。
というか、そういうものとして身の回りのものに接していくことが面白くてたまらないということになっていきます。
ギターをやるのも、五感の一つである聴覚を鍛える時間と再定義できます。経済ニュースでも、お金を含めたエネルギーの循環を起こしていくヒントが隠れてないかという見方にもなってくる。
漫画であればドンケツっていうヤクザのおっさんの漫画が好きなんですが、それを読めば主人公感が高い感覚が分かるかもしれないし、
ハンターハンターを読めば人の心を動かす物語の体系が浮かび上がってくるかもしれない。
アサイーボールを食べれば、これに1300円払う人はどこに価値を見出してるのか気になるかもしれない。人それぞれ何にどんな価値を感じてるのか気になるかもしれない。
それを考える中で、自分が人生において価値を見出してるものに気づけるかもしれない。
全部自分に対応付けて考えれば、興味の守備範囲は広がるし、何をしててもどこかで自分の人生という網に引っ掛かります。じゃあもう退屈とかありえないですよね。
だって全部自分に関係あるのだから。
フィルタ―がないから全部がバラバラに入ってくる
そうやって気づいたことや感動というエネルギーを、次は放出していけばまた次の展開が生まれます。あなたの物語は進んでいきます。
そうすれば、そこでまた新たに引っかかるポイントができてきます。
だから退屈とか面白いことがないとか感じるのは、自分が触れたものの変換先がないからですよね。
変換先と言ってもいいし、自分を通過してくるときのフィルターがないというか。
通常、自分の価値観や軸というフィルターを通して情報を受け取ります。そこがグラついていると、どんな基準でその情報を振り分ければいいかはっきりしません。
だから何をどう面白がればいいのか、人生全体から見たときに何を学べるのか、どう生かせばいいのか全く分からないわけですね。
何の脈絡もないただの情報にしか思えなくて、カオスになってしまいます。
そういうときに何をすべきかわからない、面白いことがないということになるんですが、それは文字通り本当に進んでいきたい方角が分かってないわけですね。
だからそれを進んでいくために必要な道具が分からなくて、だからどんな情報から何を読み取ればいいのか、というセンサーが機能しません。
進んでいく方向が定まれば視点が増えていく
だから自分の物語を再構築すればいいんですね。
一つ方向が定まると、そのためにどんな力をつけていきたいか、どんなことができるようになりたいか、というのも見えてきます。
そうなると、ある対象を見る視点が増えていきます。
さっきの話で言えば、ギターをやる場合に、聴覚とか身体感覚を磨くための行為という捉え方も出来れば、
音楽という芸術としてみることも出来れば、数学とか物理に絡めていけば学問寄りにもなっていきます。
しかも音楽は宗教においても重要な役割を担ってるわけなので、宗教の方面に進めていくこともできるかもしれません。
宗教はそれぞれ宗教ごとの物語を人が信じることで成り立ってるので、物語という観点で見ていけば、
人はどんな物語を信じるのか、どんな物語を欲しているのか、どんな物語を受け入れやすいのか、見えてくるかもしれません。
そんな流れに当てはめることで自分の物語も整理しやすくなるかもしれません。神話の法則もその一つですね。
そうやっていろんな視点で見れば感じることも変わってくるし、それをもとに動いていくことでまたさらに物語が展開していきますよね。
そうなればあらゆるものが自分の人生をもっと面白く推し進めていくものに変わってきます。
そうなれば退屈ってないですよね。何やっててもどこにいても自分なりの面白さを見出せるということですね。
それが自分軸というやつなのでは?ということですね。
まとめ
というわけで、今回は「経験や情報の落としどころが見つかれば人生から退屈がなくなる」というテーマでお送りしました。
退屈を感じるのは、周りの物事を自分のテーマに変換できていないからなんですね。
自分の物語に気づいて、その文脈で世界と触れ合えば、日々のあらゆる体験が新たな興味に繋がるはずです。
こういうのをがっつり考えたい場合は、この辺りの記事を参考にしてみてください。
LINEの方でもそんなレポートを配信してるので、ぜひご覧ください。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました!